なにかと物議を醸す昆虫食
- 2023/03/01
- 14:18
昆虫食がなにかと物議を醸している。
個人的にはわざわざ食べない。理由はコオロギを食べる必要性が今のところまったく見当たらないから。コオロギを食べると患っている不治の病バカが治るのであれば進んで食べるがそんな話はどこにも見当たらない。バカは治らずとも高血圧や高血糖に効くのであればまだしも、そういった薬理作用も報告されていない。そもそも血糖値は標準以下だ。
但し、くれぐれも昆虫食を否定するものではない。単純にコオロギの風味や食感が好きな人も世の中にはいるだろう、その人がスナック菓子を食べる感覚でポリポリ摘まむのを赤の他人が否定するのは失礼極まりない。余計なお世話だ。コオロギが入っているのを予め明確にするのであればパンやお菓子に練り込んであっても問題はない。
ではなぜこうも昆虫食が物議を醸すのかといえば食べる必要性に対して、単純に気持ち悪さが上回ってしまうからだ。
コオロギには良質のタンパク質が豊富なのは研究でも明らかだが、良質なタンパク質はわざわざコオロギを食べずとも大豆や牛肉、乳製品などから十分摂取が可能。コオロギにしかない特殊な物質が発見され、それが何かしらの病気に対し、承認された薬剤を上回る治療効果が認められるのであれば昆虫食もやぶさかではないが、研究途上なのか、そういった報告は未だ上がってきていない。
また、食用コオロギなどごく最近の話ゆえ、健康に対するエビデンスがなにもない。食べ過ぎの弊害は果たしてなにもないのか、そこにも疑念が残る。
例えば糖質、脂質、タンパク質、ビタミンAやB群、ビタミンC、カリウム、鉄分など多くの成分が豊富に含まれているギンナン、食べ過ぎると神経毒メチルピリドキシンが含まれているので危険。昆虫食もギンナンと同じく、健康的なメリット、デメリットをよくよく調べる必要がある。昆虫食に無限の可能性を求めるのも結構だが、同時に様々な角度から危険性を追及するのも提供する側の責務だ。後になって発がん性物質が含まれていましたではシャレにならない。一部の地域では食用にされているヤシガニやカブトガニも生息地によっては毒性が強く、基本的に食べるべきではないとされている。
涼秋を誘うコオロギの鳴き声は儚く、風情がある、刷り込まれた記憶としてあるのは俳句の季語にもなる秋の虫でしかなく、食べ物としての認識は皆無。認識としてせいぜいあるのはペットのトカゲやカエルの餌。
お隣中国、韓国、最近は随分減ったらしいが犬猫を食べる文化がある。
反日思想に凝り固まった韓国や中国の政治イデオロギーなどくそ喰らえ、到底容認できないが、だからといって、別に犬食文化にまでケチをつけるつもりはない。そんなものは内政干渉でしかなく、他国の人間があれこれいうべきではないと思っている。そこは弁えている。
ただひとつだけいうのであれば犬猫を食べるのは構わないが最低限の節度を持って欲しい。劣悪な環境で飼育し、残忍な方法で屠殺するのはやめてもらいたい。なかなか難しいとは思うものの、敬意をもって育て、屠殺するにしても出来るだけ恐怖を与えない方法で殺して欲しいと願う。食べるためなら豚や牛は殺しても構わない、犬や猫は可愛いから殺してはいけない、そんな子供じみたことをいうつもりはさらさらない。歴史観の相違と食文化の違いは分けて考えるべき。
昆虫食も似たような感覚。犬や猫を食べないのと同じ理屈に近い。
つまり、繰り返すが昆虫食を好む人に対して、あれこれいうのは筋違い。食品としての安全性が担保されているのであれば食べたい人は食べればいい、それを外野がケチをつけるのはおかしな話。同様に昆虫食を強要するのもおかしな話。戦後進駐軍によって強要された脱脂粉乳と違い、今は飽食の時代だ、強要される必要がない。良質なタンパク質摂取が目的ならばコオロギに固執する必要がない。目の前にコオロギと豆腐を出されたら迷わず豆腐を選ぶ、だが、コオロギを選ぶ人がいても全然おかしくない、それだけの話じゃないのか。
いずれにせよ、コオロギ、その他の昆虫を食べるのは結構だが、玩具にはするな。一寸の虫にも五分の魂。
個人的にはわざわざ食べない。理由はコオロギを食べる必要性が今のところまったく見当たらないから。コオロギを食べると患っている不治の病バカが治るのであれば進んで食べるがそんな話はどこにも見当たらない。バカは治らずとも高血圧や高血糖に効くのであればまだしも、そういった薬理作用も報告されていない。そもそも血糖値は標準以下だ。
但し、くれぐれも昆虫食を否定するものではない。単純にコオロギの風味や食感が好きな人も世の中にはいるだろう、その人がスナック菓子を食べる感覚でポリポリ摘まむのを赤の他人が否定するのは失礼極まりない。余計なお世話だ。コオロギが入っているのを予め明確にするのであればパンやお菓子に練り込んであっても問題はない。
ではなぜこうも昆虫食が物議を醸すのかといえば食べる必要性に対して、単純に気持ち悪さが上回ってしまうからだ。
コオロギには良質のタンパク質が豊富なのは研究でも明らかだが、良質なタンパク質はわざわざコオロギを食べずとも大豆や牛肉、乳製品などから十分摂取が可能。コオロギにしかない特殊な物質が発見され、それが何かしらの病気に対し、承認された薬剤を上回る治療効果が認められるのであれば昆虫食もやぶさかではないが、研究途上なのか、そういった報告は未だ上がってきていない。
また、食用コオロギなどごく最近の話ゆえ、健康に対するエビデンスがなにもない。食べ過ぎの弊害は果たしてなにもないのか、そこにも疑念が残る。
例えば糖質、脂質、タンパク質、ビタミンAやB群、ビタミンC、カリウム、鉄分など多くの成分が豊富に含まれているギンナン、食べ過ぎると神経毒メチルピリドキシンが含まれているので危険。昆虫食もギンナンと同じく、健康的なメリット、デメリットをよくよく調べる必要がある。昆虫食に無限の可能性を求めるのも結構だが、同時に様々な角度から危険性を追及するのも提供する側の責務だ。後になって発がん性物質が含まれていましたではシャレにならない。一部の地域では食用にされているヤシガニやカブトガニも生息地によっては毒性が強く、基本的に食べるべきではないとされている。
涼秋を誘うコオロギの鳴き声は儚く、風情がある、刷り込まれた記憶としてあるのは俳句の季語にもなる秋の虫でしかなく、食べ物としての認識は皆無。認識としてせいぜいあるのはペットのトカゲやカエルの餌。
お隣中国、韓国、最近は随分減ったらしいが犬猫を食べる文化がある。
反日思想に凝り固まった韓国や中国の政治イデオロギーなどくそ喰らえ、到底容認できないが、だからといって、別に犬食文化にまでケチをつけるつもりはない。そんなものは内政干渉でしかなく、他国の人間があれこれいうべきではないと思っている。そこは弁えている。
ただひとつだけいうのであれば犬猫を食べるのは構わないが最低限の節度を持って欲しい。劣悪な環境で飼育し、残忍な方法で屠殺するのはやめてもらいたい。なかなか難しいとは思うものの、敬意をもって育て、屠殺するにしても出来るだけ恐怖を与えない方法で殺して欲しいと願う。食べるためなら豚や牛は殺しても構わない、犬や猫は可愛いから殺してはいけない、そんな子供じみたことをいうつもりはさらさらない。歴史観の相違と食文化の違いは分けて考えるべき。
昆虫食も似たような感覚。犬や猫を食べないのと同じ理屈に近い。
つまり、繰り返すが昆虫食を好む人に対して、あれこれいうのは筋違い。食品としての安全性が担保されているのであれば食べたい人は食べればいい、それを外野がケチをつけるのはおかしな話。同様に昆虫食を強要するのもおかしな話。戦後進駐軍によって強要された脱脂粉乳と違い、今は飽食の時代だ、強要される必要がない。良質なタンパク質摂取が目的ならばコオロギに固執する必要がない。目の前にコオロギと豆腐を出されたら迷わず豆腐を選ぶ、だが、コオロギを選ぶ人がいても全然おかしくない、それだけの話じゃないのか。
いずれにせよ、コオロギ、その他の昆虫を食べるのは結構だが、玩具にはするな。一寸の虫にも五分の魂。