ロールモデル、その2
- 2018/11/15
- 15:13
中流階級出身であることや私生活は地味、金に無頓着、コミュニケーション能力に問題あり、しかし、他方、客として面会した人間を魅了することは得意、女性に対しては常に紳士的であり派手な女遊びはしない、子供好き、姪を溺愛(俺は甥)、学歴コンプレックス、友達は非常に少ない、歴史好き、物理・数学は苦手、愛犬家、自称芸術家(そこそこの能力はあるものの実態は二流半)、車好き、競馬好き、嫌煙家、礼儀正しい、自尊心が強くアーティスティック、神経質で臆病な性格、極度の夢想家・・・、ヒトラーと俺との違いは彼がベジタリアンであったことぐらいで何から何までとにかく性格が似ている。
だからこそ、シンパを感じるのかもしれないが、ロールモデルにするのには最適なのです。
ヒトラーというと、どうしてもホロコーストがクローズアップされ、負の面ばかりが強調されますが、オーストリアを併合し、フランスを統治下におくまではドイツ史上最大の政治家と呼ばれ、実際、第一次世界大戦後の疲弊しきったドイツ経済を立て直し、失業率を大きく改善させ、癌をはじめとする予防医学にも多額の予算を割き、国民の健康増進に寄与した。また、当時自動車はどこの国でも上流階級の贅沢品でしかなかったが、ヒトラーは有名なポルシェ博士に依頼して、フォルクスワーゲンビートルを開発させた。
ヒトラー最大の失敗はソ連侵攻。ヒトラーはフランスを苦々しく思っていたが同じく平民出身のナポレオンは非常に尊敬しており、パリ占領後、ナポレオンの霊廟を見た時は感動して震えたという。そのナポレオンの失政はロシア侵攻、ヒトラーも同様にソ連の冬将軍にとどめを刺された。「スターリングラードを死守せよ、よしんば死守できなくば玉砕せよ」の軍令もむなしく、寒波に凍えるドイツ軍は飢えに苦しみ降伏、そこからヒトラー敗戦の歴史が始まる。
結果論かもしれないが、フランス侵攻まででやめておいていたら世界的な大政治家として名声を欲しいままにしたであろう。イギリス、アメリカと講和を結び、ソ連との不可侵条約を反故にしなければ多くの犠牲者を出さずに済んだ。
ドイツの名宰相であるオットー・ビスマルクは「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と語った。
今の世の中、ヒトラーやナチスを肯定することはどんな事情であれ、決して許されませんが、ロールモデルとして学ぶべき点は学んでもいいと思うのです。
繰り返すが平民家庭出身である高卒プー太郎のヒトラーが一度はヨーロッパを席巻したのは紛れもない事実だ。
これってまったくの無能な人が為し得ますかね?
俺は違うと思うのね。
歴史に俺が学ぶとすればやはりヒトラーである。
だからこそ、シンパを感じるのかもしれないが、ロールモデルにするのには最適なのです。
ヒトラーというと、どうしてもホロコーストがクローズアップされ、負の面ばかりが強調されますが、オーストリアを併合し、フランスを統治下におくまではドイツ史上最大の政治家と呼ばれ、実際、第一次世界大戦後の疲弊しきったドイツ経済を立て直し、失業率を大きく改善させ、癌をはじめとする予防医学にも多額の予算を割き、国民の健康増進に寄与した。また、当時自動車はどこの国でも上流階級の贅沢品でしかなかったが、ヒトラーは有名なポルシェ博士に依頼して、フォルクスワーゲンビートルを開発させた。
ヒトラー最大の失敗はソ連侵攻。ヒトラーはフランスを苦々しく思っていたが同じく平民出身のナポレオンは非常に尊敬しており、パリ占領後、ナポレオンの霊廟を見た時は感動して震えたという。そのナポレオンの失政はロシア侵攻、ヒトラーも同様にソ連の冬将軍にとどめを刺された。「スターリングラードを死守せよ、よしんば死守できなくば玉砕せよ」の軍令もむなしく、寒波に凍えるドイツ軍は飢えに苦しみ降伏、そこからヒトラー敗戦の歴史が始まる。
結果論かもしれないが、フランス侵攻まででやめておいていたら世界的な大政治家として名声を欲しいままにしたであろう。イギリス、アメリカと講和を結び、ソ連との不可侵条約を反故にしなければ多くの犠牲者を出さずに済んだ。
ドイツの名宰相であるオットー・ビスマルクは「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と語った。
今の世の中、ヒトラーやナチスを肯定することはどんな事情であれ、決して許されませんが、ロールモデルとして学ぶべき点は学んでもいいと思うのです。
繰り返すが平民家庭出身である高卒プー太郎のヒトラーが一度はヨーロッパを席巻したのは紛れもない事実だ。
これってまったくの無能な人が為し得ますかね?
俺は違うと思うのね。
歴史に俺が学ぶとすればやはりヒトラーである。