タブーかもしれないけども
- 2016/08/04
- 11:40
相模原の事件で今一つ解せないのが実は被害者遺族の談話だったする。
「息子は本当にいとおしい存在。絶対に許せない」
「50歳になっても赤ちゃんみたいに笑って。大変だけど、そこが可愛いんです」
「可愛い娘を失い、ただ悲しく、事実を受け入れられない」
新聞記事から抜粋しました。
これって、もしかするとタブーなのかもしれないが、そこまで我が子が愛おしい存在ならば何故自宅に置いて面倒を見なかったのだろうかという思いが俺にはどうしても払拭出来ないでいるのだ。
当然、犯人である植松を擁護するつもりなどサラサラなく、一刻も早く奴は殺処分にしてもらいたいと思っているが、それを差っ引いても正直なところ遺族の無責任な人任せ感が俺には理解できないのだ。本当に本当に言葉は悪いですけど、結局のところ、厄介者を家には置けないからああいう施設に預けていたというのが実情なんじゃないのかと勘ぐってしまう。違うんでしょうか?
別に施設に入所させることに対してケチをつけているわけではない。それは全然いいのだが自分で面倒を見ず、施設に預けておきながら、よくもまあ愛しい愛しいなになにちゃんといった言葉が口をついて出てくるもんだと、そこんところが理解できないのである。そんなに愛しいなら施設になど預けず、自分のうちで面倒を見てればいいのにと思ってしまうのだ。
もちろん、突然大暴れをして手に負えない、親自身が年老いてとてもじゃないが子供を御す体力がない等の切実な問題もあるんでしょう、それは分かるし、そういうことを含め、社会全体でケアしていかなくてはならないというのもよく分かるんですけど、でもなんのかんの言っても結局現実は厄介払いをしているに過ぎないではないか。違いますか。愛しい我が子なんて言葉を新聞記者に言っていいのは自分達が生んだ子を自分たちの責任で自分達が生きている間はキチンと自宅に置いて面倒を見ている人達だけだと思うんだよね、いくらお金を払っているからといって面倒な部分を他人に任せている以上、軽々しく愛しい我が子なんていっちゃいかんし、少なくとも俺が同じ立場ならいわない。そもそも目に入れても痛くないほど本当に愛しているなら他人に預けたりはしない。確かに腹を痛めて生んだ我が子ですから可愛いは可愛いんでしょうけど、でもだからって子供のために自分の大切な私生活を犠牲にはできない、その大切な私生活を維持するためには障害のある子を施設に預け、月に何度か会って可愛いと思える絶妙な距離感を保つ、これが本音じゃないですかね?
こういうことって結局政治家は票を失うから絶対に言わないし、芸能人も視聴者を敵に回すから言わない。ありきたりの同情的なことをいって世間から嫌われないようにする。
しかし、思ったことも言えないようじゃそれこそ息苦しい世の中じゃねぇか、中には俺のように発信する人がいてもいいと思うのだ。
むろん、理解してもらおうとなんては思わない、覆面のバカ許せねぇと思っても結構、だが、こういう考えの人もいるということだけは分かって欲しかったりする。
「息子は本当にいとおしい存在。絶対に許せない」
「50歳になっても赤ちゃんみたいに笑って。大変だけど、そこが可愛いんです」
「可愛い娘を失い、ただ悲しく、事実を受け入れられない」
新聞記事から抜粋しました。
これって、もしかするとタブーなのかもしれないが、そこまで我が子が愛おしい存在ならば何故自宅に置いて面倒を見なかったのだろうかという思いが俺にはどうしても払拭出来ないでいるのだ。
当然、犯人である植松を擁護するつもりなどサラサラなく、一刻も早く奴は殺処分にしてもらいたいと思っているが、それを差っ引いても正直なところ遺族の無責任な人任せ感が俺には理解できないのだ。本当に本当に言葉は悪いですけど、結局のところ、厄介者を家には置けないからああいう施設に預けていたというのが実情なんじゃないのかと勘ぐってしまう。違うんでしょうか?
別に施設に入所させることに対してケチをつけているわけではない。それは全然いいのだが自分で面倒を見ず、施設に預けておきながら、よくもまあ愛しい愛しいなになにちゃんといった言葉が口をついて出てくるもんだと、そこんところが理解できないのである。そんなに愛しいなら施設になど預けず、自分のうちで面倒を見てればいいのにと思ってしまうのだ。
もちろん、突然大暴れをして手に負えない、親自身が年老いてとてもじゃないが子供を御す体力がない等の切実な問題もあるんでしょう、それは分かるし、そういうことを含め、社会全体でケアしていかなくてはならないというのもよく分かるんですけど、でもなんのかんの言っても結局現実は厄介払いをしているに過ぎないではないか。違いますか。愛しい我が子なんて言葉を新聞記者に言っていいのは自分達が生んだ子を自分たちの責任で自分達が生きている間はキチンと自宅に置いて面倒を見ている人達だけだと思うんだよね、いくらお金を払っているからといって面倒な部分を他人に任せている以上、軽々しく愛しい我が子なんていっちゃいかんし、少なくとも俺が同じ立場ならいわない。そもそも目に入れても痛くないほど本当に愛しているなら他人に預けたりはしない。確かに腹を痛めて生んだ我が子ですから可愛いは可愛いんでしょうけど、でもだからって子供のために自分の大切な私生活を犠牲にはできない、その大切な私生活を維持するためには障害のある子を施設に預け、月に何度か会って可愛いと思える絶妙な距離感を保つ、これが本音じゃないですかね?
こういうことって結局政治家は票を失うから絶対に言わないし、芸能人も視聴者を敵に回すから言わない。ありきたりの同情的なことをいって世間から嫌われないようにする。
しかし、思ったことも言えないようじゃそれこそ息苦しい世の中じゃねぇか、中には俺のように発信する人がいてもいいと思うのだ。
むろん、理解してもらおうとなんては思わない、覆面のバカ許せねぇと思っても結構、だが、こういう考えの人もいるということだけは分かって欲しかったりする。