思えば遠くに来たもんだ
- 2016/07/16
- 17:07
中年になったから変わったのか、それとも逮捕されてから変わったのかそのあたりの原因は自分でもイマイチ分かっていないのですが四十を過ぎてから自分でも大きく変わったと思う。
よく心臓病の我が子を臓器移植で救うため、親が記者会見を開いて募金を募ることってあるじゃない、○○ちゃんを救う会なんて言うあれね。昔はああいうのを見ると無性に腹が立ったのです。人様にお金を恵んでくださいという前にお前さん達はすることがあるだろう、真っ先に自らの家土地を処分して、親兄弟親類縁者に一人ずつ頭を下げ、金の無心をしたんかい、それもせず、なんとかウチの娘を助けてくださいはさすがに図々しすぎるやろと、憤りを感じずにはいられなかった。母親の薬指に結婚指輪があった日にゃあ尚更だ、まずはそれを売れと!もちろん我が子を思う親の気持ちは痛いほどよく分かるが人様に頼る前にもう少しするべきことがあるだろうがよと、イライラせずにはいられなかった。
しかし、最近は募金をしたい人ならすればいいし、したくない人はしなければいいという当たり前な結論に落ち着く、何故なら人には募金をしない自由もあるから。
つまり、自分の持っている資産を処分すんのは嫌だけど、それでも人から金を恵んでもらいたい、こういう考えがあったとしてもそれ自体法を犯していなければさしあたって他人がとやかく言うべきじゃないなと、こういうふうに考えるようになってしまったのである。
お金関係の話は特にそうだ。
日ハムの斉藤投手がダンベ(いわゆる旦那衆)であるベースボール・マガジン社の社長からポルシェを買ってもらったとか(本人は自分で払っているといっているが)、或いはちょっと前だと日テレの上重アナがABCマートの創業者である三木正浩氏から多額の現金を無利息で借りていたとか、この手のニュースはなーんとも思わなくなってしまった。俺が同僚なら確かに嫉妬して2ちゃんねるに悪口を書くかもしれないが、自分とはなんの関係もない一民間人である、法を犯さない限り、どこでなにをしようとそんなものは知ったこっちゃないと、冷めた目で見てんだよねぇ。
丸くなったのか、それとも一層社会的無関心が進んだか?
またまたホリエモンネタで申し訳ないが彼の著書の一コマに、「上司にイライラする、意見が言いたくて仕方がないが言ったほうがいいでしょうか?」という読者からの質問が載っていたのだが、彼の答えは、嫌な思いをするのは一瞬、それであれば言いたいことをいってスッキリしたほうが上司のためにも会社のためにも良い、だから言いなさいであったが俺は必ずしもそうとばかりは思わないんだよね。
いや、昔なら腐った上司などクソ喰らえだと、堀江さんの意見に100%賛同しましたが四十を過ぎて社会の構図が少しばかり見えるようになると考え方もガラリと変わる。
俺の意見としては再就職をするあてがあるならともかく、あてもないのに無闇矢鱈と意見を言うべきではない、わからずやの上司なら尚更だ、本件が後を引き、恨みを買って左遷やクビにでもなったら取り返しがつかないではないか、家のローンや子供の教育費はどうする?ましてや上場企業や公務員であれば別にあなたが上司に身を挺して意見を言ったところで職場の構図はなにも変わらない、であればムカついても我慢するのも仕事のうちだと割り切る必要もあるんじゃないかと思うようになった。やるならせいぜい上司の車を傷をつけたり、夜中にイタ電するぐらいにしとけとアドバイスする。
あー、ちなみに俺が上司の立場であれば飲める飲めないは別にして俺は喜んで意見を聞きます、そこは昔から何も変わっていない。年下からであっても学ぶ謙虚さは最低限持ち合わせているつもりだ。
どんなに年を積み重ねても考え方の根っこの部分は変わらんだろうなと、おぼろげながらもそう考えていたのだがいざ実際四十になってみると意外や意外変わるものだ。もちろん、謙虚に意見を聞くところなど、変わらないところも多い。最近はそのギャップを自分でも愉しんでいる。
よく心臓病の我が子を臓器移植で救うため、親が記者会見を開いて募金を募ることってあるじゃない、○○ちゃんを救う会なんて言うあれね。昔はああいうのを見ると無性に腹が立ったのです。人様にお金を恵んでくださいという前にお前さん達はすることがあるだろう、真っ先に自らの家土地を処分して、親兄弟親類縁者に一人ずつ頭を下げ、金の無心をしたんかい、それもせず、なんとかウチの娘を助けてくださいはさすがに図々しすぎるやろと、憤りを感じずにはいられなかった。母親の薬指に結婚指輪があった日にゃあ尚更だ、まずはそれを売れと!もちろん我が子を思う親の気持ちは痛いほどよく分かるが人様に頼る前にもう少しするべきことがあるだろうがよと、イライラせずにはいられなかった。
しかし、最近は募金をしたい人ならすればいいし、したくない人はしなければいいという当たり前な結論に落ち着く、何故なら人には募金をしない自由もあるから。
つまり、自分の持っている資産を処分すんのは嫌だけど、それでも人から金を恵んでもらいたい、こういう考えがあったとしてもそれ自体法を犯していなければさしあたって他人がとやかく言うべきじゃないなと、こういうふうに考えるようになってしまったのである。
お金関係の話は特にそうだ。
日ハムの斉藤投手がダンベ(いわゆる旦那衆)であるベースボール・マガジン社の社長からポルシェを買ってもらったとか(本人は自分で払っているといっているが)、或いはちょっと前だと日テレの上重アナがABCマートの創業者である三木正浩氏から多額の現金を無利息で借りていたとか、この手のニュースはなーんとも思わなくなってしまった。俺が同僚なら確かに嫉妬して2ちゃんねるに悪口を書くかもしれないが、自分とはなんの関係もない一民間人である、法を犯さない限り、どこでなにをしようとそんなものは知ったこっちゃないと、冷めた目で見てんだよねぇ。
丸くなったのか、それとも一層社会的無関心が進んだか?
またまたホリエモンネタで申し訳ないが彼の著書の一コマに、「上司にイライラする、意見が言いたくて仕方がないが言ったほうがいいでしょうか?」という読者からの質問が載っていたのだが、彼の答えは、嫌な思いをするのは一瞬、それであれば言いたいことをいってスッキリしたほうが上司のためにも会社のためにも良い、だから言いなさいであったが俺は必ずしもそうとばかりは思わないんだよね。
いや、昔なら腐った上司などクソ喰らえだと、堀江さんの意見に100%賛同しましたが四十を過ぎて社会の構図が少しばかり見えるようになると考え方もガラリと変わる。
俺の意見としては再就職をするあてがあるならともかく、あてもないのに無闇矢鱈と意見を言うべきではない、わからずやの上司なら尚更だ、本件が後を引き、恨みを買って左遷やクビにでもなったら取り返しがつかないではないか、家のローンや子供の教育費はどうする?ましてや上場企業や公務員であれば別にあなたが上司に身を挺して意見を言ったところで職場の構図はなにも変わらない、であればムカついても我慢するのも仕事のうちだと割り切る必要もあるんじゃないかと思うようになった。やるならせいぜい上司の車を傷をつけたり、夜中にイタ電するぐらいにしとけとアドバイスする。
あー、ちなみに俺が上司の立場であれば飲める飲めないは別にして俺は喜んで意見を聞きます、そこは昔から何も変わっていない。年下からであっても学ぶ謙虚さは最低限持ち合わせているつもりだ。
どんなに年を積み重ねても考え方の根っこの部分は変わらんだろうなと、おぼろげながらもそう考えていたのだがいざ実際四十になってみると意外や意外変わるものだ。もちろん、謙虚に意見を聞くところなど、変わらないところも多い。最近はそのギャップを自分でも愉しんでいる。