無様が生き様になる瞬間
- 2021/06/21
- 16:07
ミャンマー人サッカー選手の難民申請、あれ、なんかモヤモヤするんだよね。
そもそもワールドカップもオリンピックも選手や関係者が競技上で政治的な表現をすることは固く禁じられており、軍事政権に対するささやかな抵抗であってもルールは遵守すべきじゃない、そのうえでどうしても政治的な発信をしたいのであればユニフォームを脱ぎ、ピッチの外でするべきなのだ。ルールをルールとして守れない人間にスポーツをする資格はない。ルールを守らなくていいというのであれば別に手を使ったって構わないだろう、相手を故意に押し倒しても構わないだろうと、なんでもありになってしまい収拾がつかなくなってしまう。たとえそれが直接プレーに関係ない行為であってもダメなものはダメなのだ。
ミャンマーが負けてしまったからなのか、はたまた生死が掛かったナイーブな問題からなのかあまりこのルール違反ついては語られない。
それでまあ俺がモヤモヤするのはピッチ上で覚悟を決めて彼は軍事政権への抵抗を示す三本指を掲げた、これ以後の彼の行為。
ともすると自分は殺されてしまうかもしれないがミャンマー人として軍事政権の圧政は見逃せぬと、覚悟を決めて軍事政権に叛意を表明したんだろ?日本人の感覚とミャンマー人の感覚では違うのかもしれないが、俺ならば、そこまで覚悟を決めてポーズを取ったのであれば腹を括り、日本に助けを求めることは恥だと思ってしまう。堂々とミャンマーに帰り、空港で軍に拘束され、死刑や懲役刑を宣告されたとしてもそれは己の信念であるからと一切泣き言はいわない。その点、香港の活動家周庭さんは立派だった。正直周庭さんの反政府運動に関しては子供じみているというか、あまりにも無為無策だと思うのであるが死を賭して己の信念を貫き通したのは立派だ。彼女たちのリベラルな主義主張は相容れないところもあるがそれでも主義主張を越えたところで尊敬できる部分があるのも事実である。
対してコイツはどうだ。
たいそうなことをしでかした割りに最後には日本政府に泣きついて命乞いって情けなくないか?命乞いするくらいなら初めから中途半端に政治的なポーズなんかすんなよ。
俺が間違ってんのか?
いやね、別に命が惜しいのはいいよ、殺されたくありませんと思うのもいい、だったら余計な真似をせず、プレーだけしてさっさと国に帰れ。さすがにいくら軍事政権といえどもミャンマー代表として戦った選手を迫害するようなことはあるまい。自分の良心に嘘をついたとしてもその結果死なずに済むのであれば無理して抗議などしなくていい。
恐らくだが今回招集されたミャンマー人選手の中には軍事政権に対して忸怩たる思いの選手もいるでしょう、もしかすると殆どの選手が内心そう思っているかもしれない。でもやっぱり殺されたり拘留されたりするのは嫌だからと湧き上がる感情を押し殺して平静を装っている。俺はですけど、よっぽどこっちの方が立派だと思っている。
ちょっとニュアンスが違うが、俺が誰かにキレて、てめぇぶっ殺してやると殴りかかったとする。しかし相手が存外に強く、俺は返り討ちに合い、コテンパンにやられてしまった。ここで俺が警察に泣きついたらいい笑いものじゃない?確かに法律上は一方的に俺が殴る蹴るされればいくら俺がはじめに殴りかかったとしても過剰防衛が適用され、相手は逮捕されるか書類送検になることでしょう。でも、散々覆面の奴、偉そうなことをいっておきながら最後はサツタレかよってならない?格好悪すぎひん?件のミャンマー人選手の一部始終って結局こういうことだろ?
これが初めから警察に解決してもらおうと思って、俺が相手との接触を取らないようにしているのであれば話は別だが、勝手に殴りかかっておきながら、ドラえも~ん、助けて~って、なんだかなぁじゃない。そもそも負けることは決して恥じゃない、強い相手に立ち向かっていき、結果的にコテンパンにされたとしてもそれは男として評価できると思う。倒れることは無様でも何度でも立ち上がればそれは生き様になる。男とは生き様を評価されてなんぼだろう。少しばかり恰好つけて、あとは命乞いっておのれは口先番長かと呆れてしまう。
このへんの感覚が果たして万国共通の意識であるのか、俺だけがそう思っているミクロな感覚なのかは分かりません、でも意地を通すなら最後まで意地を通せよと思う。思わん?
そもそもワールドカップもオリンピックも選手や関係者が競技上で政治的な表現をすることは固く禁じられており、軍事政権に対するささやかな抵抗であってもルールは遵守すべきじゃない、そのうえでどうしても政治的な発信をしたいのであればユニフォームを脱ぎ、ピッチの外でするべきなのだ。ルールをルールとして守れない人間にスポーツをする資格はない。ルールを守らなくていいというのであれば別に手を使ったって構わないだろう、相手を故意に押し倒しても構わないだろうと、なんでもありになってしまい収拾がつかなくなってしまう。たとえそれが直接プレーに関係ない行為であってもダメなものはダメなのだ。
ミャンマーが負けてしまったからなのか、はたまた生死が掛かったナイーブな問題からなのかあまりこのルール違反ついては語られない。
それでまあ俺がモヤモヤするのはピッチ上で覚悟を決めて彼は軍事政権への抵抗を示す三本指を掲げた、これ以後の彼の行為。
ともすると自分は殺されてしまうかもしれないがミャンマー人として軍事政権の圧政は見逃せぬと、覚悟を決めて軍事政権に叛意を表明したんだろ?日本人の感覚とミャンマー人の感覚では違うのかもしれないが、俺ならば、そこまで覚悟を決めてポーズを取ったのであれば腹を括り、日本に助けを求めることは恥だと思ってしまう。堂々とミャンマーに帰り、空港で軍に拘束され、死刑や懲役刑を宣告されたとしてもそれは己の信念であるからと一切泣き言はいわない。その点、香港の活動家周庭さんは立派だった。正直周庭さんの反政府運動に関しては子供じみているというか、あまりにも無為無策だと思うのであるが死を賭して己の信念を貫き通したのは立派だ。彼女たちのリベラルな主義主張は相容れないところもあるがそれでも主義主張を越えたところで尊敬できる部分があるのも事実である。
対してコイツはどうだ。
たいそうなことをしでかした割りに最後には日本政府に泣きついて命乞いって情けなくないか?命乞いするくらいなら初めから中途半端に政治的なポーズなんかすんなよ。
俺が間違ってんのか?
いやね、別に命が惜しいのはいいよ、殺されたくありませんと思うのもいい、だったら余計な真似をせず、プレーだけしてさっさと国に帰れ。さすがにいくら軍事政権といえどもミャンマー代表として戦った選手を迫害するようなことはあるまい。自分の良心に嘘をついたとしてもその結果死なずに済むのであれば無理して抗議などしなくていい。
恐らくだが今回招集されたミャンマー人選手の中には軍事政権に対して忸怩たる思いの選手もいるでしょう、もしかすると殆どの選手が内心そう思っているかもしれない。でもやっぱり殺されたり拘留されたりするのは嫌だからと湧き上がる感情を押し殺して平静を装っている。俺はですけど、よっぽどこっちの方が立派だと思っている。
ちょっとニュアンスが違うが、俺が誰かにキレて、てめぇぶっ殺してやると殴りかかったとする。しかし相手が存外に強く、俺は返り討ちに合い、コテンパンにやられてしまった。ここで俺が警察に泣きついたらいい笑いものじゃない?確かに法律上は一方的に俺が殴る蹴るされればいくら俺がはじめに殴りかかったとしても過剰防衛が適用され、相手は逮捕されるか書類送検になることでしょう。でも、散々覆面の奴、偉そうなことをいっておきながら最後はサツタレかよってならない?格好悪すぎひん?件のミャンマー人選手の一部始終って結局こういうことだろ?
これが初めから警察に解決してもらおうと思って、俺が相手との接触を取らないようにしているのであれば話は別だが、勝手に殴りかかっておきながら、ドラえも~ん、助けて~って、なんだかなぁじゃない。そもそも負けることは決して恥じゃない、強い相手に立ち向かっていき、結果的にコテンパンにされたとしてもそれは男として評価できると思う。倒れることは無様でも何度でも立ち上がればそれは生き様になる。男とは生き様を評価されてなんぼだろう。少しばかり恰好つけて、あとは命乞いっておのれは口先番長かと呆れてしまう。
このへんの感覚が果たして万国共通の意識であるのか、俺だけがそう思っているミクロな感覚なのかは分かりません、でも意地を通すなら最後まで意地を通せよと思う。思わん?