駄文、NotFound
- 2013/03/08
- 23:48
あと数日で震災から丸二年、テレビで地震の特番を見ると未だに心臓が震え、皮膚があわ立つ。
暗やみに閉じ込められた圧迫感というのだろうか、周りは暗くて何も見えないはずなのに、でも確実に誰かいて、そいつに睨み付けられているかのような物凄いを圧力を感じる。
それなりに波瀾万丈の人生を歩んできたが、震災を経験するまではこんな感覚を味わったことがない。
不謹慎な例えかも知れないが戦争がどんなに凄惨だといったところで所詮戦争は人間が作り出した演出の一端に過ぎず、言うなればチコチコ動くメトロノームの針が大きくマイナスの側に振られただけの話である。
まさに禍福は糾える縄の如し、戦争と平和は常に表裏一体であり、平和を得ようとするために戦争が起きるというパラドックスは太古の昔に猿が火を使った瞬間から人間に与えられた宿命なのだろう。
それ故、心が痛むことはあってもどこかドライで、戦争は仕方がないことだと諦めている自分がいるのもまた事実である。
しかし、天災というのは科学的には解明できても哲学的には絶対に解明できない。
天災はなんのために起こり、何故何も悪いことをしていない人々を襲い、悲しまさせたり、苦しまさせたりするのだろうか。
誰かがいった、艱難辛苦を乗り越えてこそ人間は強くなれるというがそんな戯言に何の意味がある?
可愛い我が子を亡した親からすれば強くなれなくてもいいから子供を返して欲しいというのが本音だろう。
あれやこれやとない頭で二年間考えてみたが未だに何も見えず。
3月11日には黙祷をし、犠牲者の霊を弔おうと思っているが果たして犠牲者からすればそんなことをされたところで悼まれるのだろうかとふと疑問に思う、もう一人の自分がいるのもまた事実なのである。
わからない。
見つからない。
Not Found。
暗やみに閉じ込められた圧迫感というのだろうか、周りは暗くて何も見えないはずなのに、でも確実に誰かいて、そいつに睨み付けられているかのような物凄いを圧力を感じる。
それなりに波瀾万丈の人生を歩んできたが、震災を経験するまではこんな感覚を味わったことがない。
不謹慎な例えかも知れないが戦争がどんなに凄惨だといったところで所詮戦争は人間が作り出した演出の一端に過ぎず、言うなればチコチコ動くメトロノームの針が大きくマイナスの側に振られただけの話である。
まさに禍福は糾える縄の如し、戦争と平和は常に表裏一体であり、平和を得ようとするために戦争が起きるというパラドックスは太古の昔に猿が火を使った瞬間から人間に与えられた宿命なのだろう。
それ故、心が痛むことはあってもどこかドライで、戦争は仕方がないことだと諦めている自分がいるのもまた事実である。
しかし、天災というのは科学的には解明できても哲学的には絶対に解明できない。
天災はなんのために起こり、何故何も悪いことをしていない人々を襲い、悲しまさせたり、苦しまさせたりするのだろうか。
誰かがいった、艱難辛苦を乗り越えてこそ人間は強くなれるというがそんな戯言に何の意味がある?
可愛い我が子を亡した親からすれば強くなれなくてもいいから子供を返して欲しいというのが本音だろう。
あれやこれやとない頭で二年間考えてみたが未だに何も見えず。
3月11日には黙祷をし、犠牲者の霊を弔おうと思っているが果たして犠牲者からすればそんなことをされたところで悼まれるのだろうかとふと疑問に思う、もう一人の自分がいるのもまた事実なのである。
わからない。
見つからない。
Not Found。