どこまで行っても野党は野党
- 2021/02/08
- 09:57
舌鋒鋭くを通り越し、もはや半狂乱といっていいほどの鬼気迫る形相で森会長をやいのやいのと責め立てている蓮舫議員、ここが政権奪還の絶好機だと思ったのかどうかは知らないけど、この人、かつて当時のご主人を「ペット以下の存在」、「そのうち居なくなる」と公言していた。かつてといったのはそのご主人とは既に離婚しているから。
森会長が言質を取られるのは致し方ない、オリンピックの趣旨とは大きく異なるというのもまさにその通り、しかし、てめぇの亭主を「ペット以下の存在」と揶揄する人が果たして男女平等を語る資格があるのかといえば正直微妙。私人ならともかく、国会議員であり、かつては党の代表にまでなった人が自分の亭主に対してまるで敬意がない。
もちろん、家庭内のことであるから、旦那さんに対してどういう接し方をしたとしてもそれは構わないし、もしかすると家庭ではフォトジェニックな強い女性像のイメージとは裏腹に存外貞淑な女性だっのかもしれないが、それでもやっぱり、公人たる国会議員が、「ペット以下の存在」、「そのうち居なくなる」、こんなことを言葉にする必要があるのかと訝しく思う。
俺はよく男尊女卑の思想があると言われるが、それは半分正解で半分不正解。宗教宗派を問わず、何故、神様が人間を男と女に分けたのかということを考えれば答えは明らかだろう。言うまでもなく、それぞれの役割を果たすために神様は男と女を半々に分けた。男にしか出来ないこともあれば男には絶対に出来ないこともある、また逆も然り、それはどちらが上でどちらが下ということでもない、あくまでも対等。そういう意味で俺は原理主義者であり、時折、女性のことをまったく分かっていないとお叱りを受ける。
例えば、女性が過酷な肉体労働に従事するのは反対。
そういうことをいうと、大型トレーラーを転がしている女性がいる、建設現場で働く女性の大工さんもいる、なんて話になるが、過酷な労働環境で働くという事は子供の出産にはマイナスだ。だから、肉体労働は男性に任せて、不妊や流産の原因にもなるから女性はあまり過酷ではない軽作業に従事しなさいというのが俺の考えであり、神様もそう考えたからこそ、女性には男性以上の身体能力を与えなかった。
確かに世の中には男勝りの女性もおり、工事現場で働く人もいる。また、レスリングの吉田沙保里さんのように男性を軽々投げ飛ばす人もいる。ただ、ここが半分正解、半分不正解のところなのだが、俺は原理原則を説いているのである。そりゃあ、中にはスーパーウーマンも存在するでしょう。でも、数万人に1人のスーパーウーマンをシンボリックに仕立てて、女性も出来ますというのはさすがに違うでしょうといっているのだ。
「女性は女性らしく、おしとやかに」ということを否定するフェミニスト、ステレオタイプの押し付けが鬱陶しいというのでしょうけど、世の男性は概ねおしとやか女性に好意を抱き、そういうか弱い存在だからこそ、女性を守ってやろうという意識が湧きおこり、額に汗水を流して働く、女性もまたその戦っている男性の姿にほだされて、この人の子供を産み育てたいとなる。これも当然原理主義者による原理原則論。反対意見はあるでしょうけど、だからといってそこまで間違ったことを言っているとは思わない。
自分の考え方を押し付けるつもりは毛頭ないが、ある意味、俺ぐらい女性の意思を尊重している人間もいないだろうと思っているぐらいだ。だから、蓮舫議員のように、結婚しているときもそうであるし、離婚した今もそうであるが、決して元妻を女性蔑視の観点から卑下したことはない。
むろん、それが正しく受け止められたかといえばその自信はない。家事を卒なくこなす彼女のことは尊敬していたし、俺にはとても出来ないなと思っていた。ただ、その代わり、金を稼ぐ才能は俺の方が勝っているという自負はあった。このあたりの齟齬が結局かみ合わず最終的には離婚という決断になったが、少なくとも俺は元妻を「ペット以下の存在」と思ったことなどたったの一度もない。それは天地神明に誓って断言できる。
蓮舫議員のキレ芸は彼女にすれば唯一無二の伝家の宝刀なのかもしれないが、言うのであればまずは自分自身を鑑みて、果たしてそんなことを言える資格が自分にはあるのだろうかということを今一度反芻することをお勧めする。この人がいうことはまるで説得力がない。とはいえ、間違っても立憲民主党に投票をしたくなくなるなという意味ではありがたい存在でありますが。
森会長が言質を取られるのは致し方ない、オリンピックの趣旨とは大きく異なるというのもまさにその通り、しかし、てめぇの亭主を「ペット以下の存在」と揶揄する人が果たして男女平等を語る資格があるのかといえば正直微妙。私人ならともかく、国会議員であり、かつては党の代表にまでなった人が自分の亭主に対してまるで敬意がない。
もちろん、家庭内のことであるから、旦那さんに対してどういう接し方をしたとしてもそれは構わないし、もしかすると家庭ではフォトジェニックな強い女性像のイメージとは裏腹に存外貞淑な女性だっのかもしれないが、それでもやっぱり、公人たる国会議員が、「ペット以下の存在」、「そのうち居なくなる」、こんなことを言葉にする必要があるのかと訝しく思う。
俺はよく男尊女卑の思想があると言われるが、それは半分正解で半分不正解。宗教宗派を問わず、何故、神様が人間を男と女に分けたのかということを考えれば答えは明らかだろう。言うまでもなく、それぞれの役割を果たすために神様は男と女を半々に分けた。男にしか出来ないこともあれば男には絶対に出来ないこともある、また逆も然り、それはどちらが上でどちらが下ということでもない、あくまでも対等。そういう意味で俺は原理主義者であり、時折、女性のことをまったく分かっていないとお叱りを受ける。
例えば、女性が過酷な肉体労働に従事するのは反対。
そういうことをいうと、大型トレーラーを転がしている女性がいる、建設現場で働く女性の大工さんもいる、なんて話になるが、過酷な労働環境で働くという事は子供の出産にはマイナスだ。だから、肉体労働は男性に任せて、不妊や流産の原因にもなるから女性はあまり過酷ではない軽作業に従事しなさいというのが俺の考えであり、神様もそう考えたからこそ、女性には男性以上の身体能力を与えなかった。
確かに世の中には男勝りの女性もおり、工事現場で働く人もいる。また、レスリングの吉田沙保里さんのように男性を軽々投げ飛ばす人もいる。ただ、ここが半分正解、半分不正解のところなのだが、俺は原理原則を説いているのである。そりゃあ、中にはスーパーウーマンも存在するでしょう。でも、数万人に1人のスーパーウーマンをシンボリックに仕立てて、女性も出来ますというのはさすがに違うでしょうといっているのだ。
「女性は女性らしく、おしとやかに」ということを否定するフェミニスト、ステレオタイプの押し付けが鬱陶しいというのでしょうけど、世の男性は概ねおしとやか女性に好意を抱き、そういうか弱い存在だからこそ、女性を守ってやろうという意識が湧きおこり、額に汗水を流して働く、女性もまたその戦っている男性の姿にほだされて、この人の子供を産み育てたいとなる。これも当然原理主義者による原理原則論。反対意見はあるでしょうけど、だからといってそこまで間違ったことを言っているとは思わない。
自分の考え方を押し付けるつもりは毛頭ないが、ある意味、俺ぐらい女性の意思を尊重している人間もいないだろうと思っているぐらいだ。だから、蓮舫議員のように、結婚しているときもそうであるし、離婚した今もそうであるが、決して元妻を女性蔑視の観点から卑下したことはない。
むろん、それが正しく受け止められたかといえばその自信はない。家事を卒なくこなす彼女のことは尊敬していたし、俺にはとても出来ないなと思っていた。ただ、その代わり、金を稼ぐ才能は俺の方が勝っているという自負はあった。このあたりの齟齬が結局かみ合わず最終的には離婚という決断になったが、少なくとも俺は元妻を「ペット以下の存在」と思ったことなどたったの一度もない。それは天地神明に誓って断言できる。
蓮舫議員のキレ芸は彼女にすれば唯一無二の伝家の宝刀なのかもしれないが、言うのであればまずは自分自身を鑑みて、果たしてそんなことを言える資格が自分にはあるのだろうかということを今一度反芻することをお勧めする。この人がいうことはまるで説得力がない。とはいえ、間違っても立憲民主党に投票をしたくなくなるなという意味ではありがたい存在でありますが。