就職氷河期世代ノースキルの絶望
- 2021/02/07
- 20:47
就職氷河期世代ノースキルの絶望というネットニュース記事を読んだが、あー、これはよく分かる。
アラフィフである俺らの世代って、年代的にパソコンというものを本格的に学んだ人が少なく、俺らが若い頃にパソコンをいじっている奴がいるとむしろ世間とは一線を引いてる変わり者と思われていた。だから殆どの人がエクセルもワードも学ばず、社会人になっている。これが一つ下のアラフォー世代だと別で、ここらへんからはパソコンが就職には必須となり、エクセル、ワードは言うに及ばず、パワーポイントが使えて当たり前になってくるのだが、本当にアラフィフ世代はパソコンというものに触れずに来てしまった。
現実問題、今、まともに働こうとするとすべての職業でパソコンが使えないとまったく職場では役に立たない。美容室や飲食店などのサービス業であっても、いかにホットペッパーなどのWEB媒体を上手に繰れるかが集客の肝であったり、費用対効果を分析するのもパソコンだったりする。
逆に言うと、パソコンが出来るとまだそこそこ仕事はある。
果たしてまともな会社さんが俺なんかを雇うかという問題はさて置き、俺の持っているWEB制作のスキルをベースにindeedで検索を掛けて見ると、結構応募できる企業は見つかる。
もちろん、お前なんか面接で落とされるに決まっているという意見は否定しない、実際その通りでしょう、でも、一応、応募できるというのはやはり大きい。応募すら出来ないのと、応募できる企業があるというのであればまったく心持ちが違ってくる。仮に今、うちの会社が倒産してもなんとかなるという安心感みたいなものがあるとそれだけで救われる。
これは、結局のところ、ちょうど10年前に必死コイてパソコンを学んだからに過ぎない。
当時、思ったのは俺らの時代はパソコンというものを習わず社会に出た人が多く、俺もその一人だ、これからの時代、パソコンが使えなければ絶対に落ちぶれてしまう、だから、1年間はまったく無収入であってもいいからきちんとパソコンのイロハから腰据えて学ぼうと考え、実際、高校時代このぐらい勉強すれば早慶上智は無理でもマーチレベルの大学には入れるんじゃねぇのかというぐらい自分なりに真剣に勉強をした。
その甲斐あってか、今コロナ禍であるが、特段慌てることもなく、そこそこ食えている。一応、まだ月初であるがすでに今月の純利七桁ちょい、まあもっとも俺は定額制の役員報酬ですから給料はなんぼ儲けたところで変わりませんがね。ともかく、零細企業としてはかなり健闘している部類だと思う。
それもこれもスキルのないことを自覚しており、ここでパソコンが出来るようになっていないとこの先俺はマズいことなるというのが原点。
もちろん、10年後に疫病で世界中が不況の渦に飲み込まれるとは思いもしなかったが、普通免許と高卒、国家資格である「前科」という三つの資格しか持っていない俺は当時強い危機感を持っていました。アラフォー、普通科卒という資格で働けるところなんか殆どない、幸い工業立国である茨城県だから日立製作所関連企業の派遣工として働くことは出来るだろうが、流れ作業は大っ嫌い(くれぐれも流れ作業で働いている人を揶揄しているのではない、単に俺が嫌いという話)。
じゃあなにするかといえばパソコンが使えるようにならなくてはと考えた。そして学んだ。
この選択は本当によかったとコロナ禍になればなるほど思えてくる。
逆に言うと、あの時、パソコンの勉強をせず、日々なんとなく過ごしていたらと思うと、正直ゾッとする。
氷河期世代で、高卒、運転免許証しかないという人で、定職に就けていない人って今本当大変だと思う。我々より上の世代だと、企業でも幹部となってパソコンがあまり詳しくなくとも逃げ切れるし、自分たちよりも一回り下の世代になると、学校でパソコンを習うのでそれなりにスキルはある、ホントヤベェのがアラフィフのノースキルだ。
ただまあ、身も蓋もない話だが、これはとどのつまり自己責任だと思う。前科者の俺ですら、人生やり直すつもりで必死になって勉強した、今になって絶望に打ち震えている人って単に勉強をしてこなかったわけで、それは誰のせいでもなく、勉強しなかった自分が悪いって話じゃない。
もしかすると、アラフィフ世代の路上生活者や自殺者がこれから先、加速度的に増えていくかもしれんね。
アラフィフである俺らの世代って、年代的にパソコンというものを本格的に学んだ人が少なく、俺らが若い頃にパソコンをいじっている奴がいるとむしろ世間とは一線を引いてる変わり者と思われていた。だから殆どの人がエクセルもワードも学ばず、社会人になっている。これが一つ下のアラフォー世代だと別で、ここらへんからはパソコンが就職には必須となり、エクセル、ワードは言うに及ばず、パワーポイントが使えて当たり前になってくるのだが、本当にアラフィフ世代はパソコンというものに触れずに来てしまった。
現実問題、今、まともに働こうとするとすべての職業でパソコンが使えないとまったく職場では役に立たない。美容室や飲食店などのサービス業であっても、いかにホットペッパーなどのWEB媒体を上手に繰れるかが集客の肝であったり、費用対効果を分析するのもパソコンだったりする。
逆に言うと、パソコンが出来るとまだそこそこ仕事はある。
果たしてまともな会社さんが俺なんかを雇うかという問題はさて置き、俺の持っているWEB制作のスキルをベースにindeedで検索を掛けて見ると、結構応募できる企業は見つかる。
もちろん、お前なんか面接で落とされるに決まっているという意見は否定しない、実際その通りでしょう、でも、一応、応募できるというのはやはり大きい。応募すら出来ないのと、応募できる企業があるというのであればまったく心持ちが違ってくる。仮に今、うちの会社が倒産してもなんとかなるという安心感みたいなものがあるとそれだけで救われる。
これは、結局のところ、ちょうど10年前に必死コイてパソコンを学んだからに過ぎない。
当時、思ったのは俺らの時代はパソコンというものを習わず社会に出た人が多く、俺もその一人だ、これからの時代、パソコンが使えなければ絶対に落ちぶれてしまう、だから、1年間はまったく無収入であってもいいからきちんとパソコンのイロハから腰据えて学ぼうと考え、実際、高校時代このぐらい勉強すれば早慶上智は無理でもマーチレベルの大学には入れるんじゃねぇのかというぐらい自分なりに真剣に勉強をした。
その甲斐あってか、今コロナ禍であるが、特段慌てることもなく、そこそこ食えている。一応、まだ月初であるがすでに今月の純利七桁ちょい、まあもっとも俺は定額制の役員報酬ですから給料はなんぼ儲けたところで変わりませんがね。ともかく、零細企業としてはかなり健闘している部類だと思う。
それもこれもスキルのないことを自覚しており、ここでパソコンが出来るようになっていないとこの先俺はマズいことなるというのが原点。
もちろん、10年後に疫病で世界中が不況の渦に飲み込まれるとは思いもしなかったが、普通免許と高卒、国家資格である「前科」という三つの資格しか持っていない俺は当時強い危機感を持っていました。アラフォー、普通科卒という資格で働けるところなんか殆どない、幸い工業立国である茨城県だから日立製作所関連企業の派遣工として働くことは出来るだろうが、流れ作業は大っ嫌い(くれぐれも流れ作業で働いている人を揶揄しているのではない、単に俺が嫌いという話)。
じゃあなにするかといえばパソコンが使えるようにならなくてはと考えた。そして学んだ。
この選択は本当によかったとコロナ禍になればなるほど思えてくる。
逆に言うと、あの時、パソコンの勉強をせず、日々なんとなく過ごしていたらと思うと、正直ゾッとする。
氷河期世代で、高卒、運転免許証しかないという人で、定職に就けていない人って今本当大変だと思う。我々より上の世代だと、企業でも幹部となってパソコンがあまり詳しくなくとも逃げ切れるし、自分たちよりも一回り下の世代になると、学校でパソコンを習うのでそれなりにスキルはある、ホントヤベェのがアラフィフのノースキルだ。
ただまあ、身も蓋もない話だが、これはとどのつまり自己責任だと思う。前科者の俺ですら、人生やり直すつもりで必死になって勉強した、今になって絶望に打ち震えている人って単に勉強をしてこなかったわけで、それは誰のせいでもなく、勉強しなかった自分が悪いって話じゃない。
もしかすると、アラフィフ世代の路上生活者や自殺者がこれから先、加速度的に増えていくかもしれんね。