自殺に対する補足
- 2020/09/30
- 14:28
一応補足しておくと決して自殺を推奨しているわけではない。むしろ自殺は原則として反対。ただ、どうしても進退窮まり、死ぬという選択肢しかない場合は当人の意思を尊重しますといっているに過ぎない。死なずに済むのであればそれに越したことはない。当たり前だ。
その上で政府は孤立させない社会づくりを目指すというが、確かに一定程度は自殺抑止の効果は上がると思う。事実、自殺の名所である東尋坊には声を掛けるボランティアスタッフがいるという。ボランティアさんに声を掛けられ自殺を思いとどまり、今ではすっかり立ち直り、健全な生活をしている人も相当いるという。
もちろん、声を掛けられても死ぬ人は死ぬわけでそれは致し方ないと思う。俺が言っているのはこの致し方ない人についてだ。
前回も書いたが自殺の原因は金の問題か、それ以外かの二つしかないと思っている。
金の問題に関していうと、孤立云々はあまり関係ない。もしかすると、孤立せずにいれば、情の厚いどこかの社長さんと接点ができ、その社長の下で働くことを条件に借金を肩代わりしてくれるなんてこともあるかもしれないが、どちらかというとこれは奇跡に近い、そもそも借金の問題はナイーブすぎる問題ゆえ、なかなか人に打ち明けることが憚れる。打ち明けられるような人なら借金苦で自殺はしないだろう。この手のタイプに言えるのは合法的な借金なら司法書士や弁護士に相談しろ、闇金など違法な話なら警察に相談しろ、後は日雇いのバイトでもしてなんとか糊口をしのげとしか言いようがない。
むろん、これは教科書通りのフォーマットであり、実際はイレギュラーな借金苦も多々あると思う、たとえば会社や客の金を横領してしまったとか、或いは取り込み詐欺を働いてしまい金を返済しないと刑事告発されるといったヤバい話、しかしこの手の犯罪に直結する金のトラブルであっても最悪何年か懲役を務めれば道義的な問題は別にして、少なくとも法的には許される。あとは死を選ぶか、服役するかという本人の意思の問題。その結果、刑務所に行くぐらいなら死んだ方がマシだというのであればやはりこれも止める手立てはないし、意思を尊重すべき。
問題はそれ以外の方、具体的には恋愛を含めた人間関係の方。
こちらは孤立をしなければかなり自殺者は減らせると思う。
何故なら人間関係なんてものは所詮水もの、どんなに嫌な相手でもそのカテゴリーから自分が一抜けすればなんてことのない話。職場で嫌な奴がいるなら辞めればいい。家族がどうしてもそりが合わなくてストレスの原因になるというのであれば親兄弟であっても縁を切る。その縁の切り方を後押ししてくれる人がいれば随分救われると思う。
あとそれ以外の方でいうと病苦での自殺。これは致し方のないことだと思う。治療法はなく、日夜御し難い痛みに苛まれている、だから死にたい、同情する。こういった病苦で死を望む人に対して生きろとはあまりにも残酷、この人に関していうと本人の意志は最大限考慮されるべきだろう。孤立とはまったく別次元の話。
また、最近、病苦での自殺と同様に俺もよく考えるのだが、今は健康だからいいが、これがあと30年もしたら相当ガタがくると思う、恐らく今の生活が続くようなら誰も面倒見てくれるような人はいない、その時は潔く死ぬべきかなと思っている。
足腰が立たなくなり、自我が保てなくなったとき、俺という人間は終わる。これは悲観や絶望での自殺ではない。しっかりと生前整理をして前向きに死ぬ、くれぐれも恥ではない。法的な死因は自殺でも恐らく俺は晴れやかな気分で死ぬと思う。心持ちの問題である。覚悟といっていい。
その上で政府は孤立させない社会づくりを目指すというが、確かに一定程度は自殺抑止の効果は上がると思う。事実、自殺の名所である東尋坊には声を掛けるボランティアスタッフがいるという。ボランティアさんに声を掛けられ自殺を思いとどまり、今ではすっかり立ち直り、健全な生活をしている人も相当いるという。
もちろん、声を掛けられても死ぬ人は死ぬわけでそれは致し方ないと思う。俺が言っているのはこの致し方ない人についてだ。
前回も書いたが自殺の原因は金の問題か、それ以外かの二つしかないと思っている。
金の問題に関していうと、孤立云々はあまり関係ない。もしかすると、孤立せずにいれば、情の厚いどこかの社長さんと接点ができ、その社長の下で働くことを条件に借金を肩代わりしてくれるなんてこともあるかもしれないが、どちらかというとこれは奇跡に近い、そもそも借金の問題はナイーブすぎる問題ゆえ、なかなか人に打ち明けることが憚れる。打ち明けられるような人なら借金苦で自殺はしないだろう。この手のタイプに言えるのは合法的な借金なら司法書士や弁護士に相談しろ、闇金など違法な話なら警察に相談しろ、後は日雇いのバイトでもしてなんとか糊口をしのげとしか言いようがない。
むろん、これは教科書通りのフォーマットであり、実際はイレギュラーな借金苦も多々あると思う、たとえば会社や客の金を横領してしまったとか、或いは取り込み詐欺を働いてしまい金を返済しないと刑事告発されるといったヤバい話、しかしこの手の犯罪に直結する金のトラブルであっても最悪何年か懲役を務めれば道義的な問題は別にして、少なくとも法的には許される。あとは死を選ぶか、服役するかという本人の意思の問題。その結果、刑務所に行くぐらいなら死んだ方がマシだというのであればやはりこれも止める手立てはないし、意思を尊重すべき。
問題はそれ以外の方、具体的には恋愛を含めた人間関係の方。
こちらは孤立をしなければかなり自殺者は減らせると思う。
何故なら人間関係なんてものは所詮水もの、どんなに嫌な相手でもそのカテゴリーから自分が一抜けすればなんてことのない話。職場で嫌な奴がいるなら辞めればいい。家族がどうしてもそりが合わなくてストレスの原因になるというのであれば親兄弟であっても縁を切る。その縁の切り方を後押ししてくれる人がいれば随分救われると思う。
あとそれ以外の方でいうと病苦での自殺。これは致し方のないことだと思う。治療法はなく、日夜御し難い痛みに苛まれている、だから死にたい、同情する。こういった病苦で死を望む人に対して生きろとはあまりにも残酷、この人に関していうと本人の意志は最大限考慮されるべきだろう。孤立とはまったく別次元の話。
また、最近、病苦での自殺と同様に俺もよく考えるのだが、今は健康だからいいが、これがあと30年もしたら相当ガタがくると思う、恐らく今の生活が続くようなら誰も面倒見てくれるような人はいない、その時は潔く死ぬべきかなと思っている。
足腰が立たなくなり、自我が保てなくなったとき、俺という人間は終わる。これは悲観や絶望での自殺ではない。しっかりと生前整理をして前向きに死ぬ、くれぐれも恥ではない。法的な死因は自殺でも恐らく俺は晴れやかな気分で死ぬと思う。心持ちの問題である。覚悟といっていい。