終戦記念日に思う
- 2017/08/16
- 18:14
『兵は国の大事にして、死生の地、存亡の道、察せざるべからざるなり』
有名な孫子の兵法はこの一節から始まる。
現代語に訳せば「戦争は国家の命運を決める大事な問題。国民の生死が決まり、国家存亡の分かれ道となる。戦争においての意思決定には熟慮を重ね、最大限の思考力を割くべきだ」ということになろうか。
先の大戦は決して負けたから言うわけじゃないが、戦争への道筋があまりにも杜撰、負けるべくして負けた、国の命運を懸けるにはお粗末な戦争だったとしかいいようがない。
孫子の兵法には「彼を知り、己を知れば、百戦して危うからず」という言葉がある。孫子は知らなくともこの言葉を聞いたことのある人も多いと思う。
ただ、この言葉の意味を勘違いしている人が多く、敵を研究すれば百戦百勝を得られると思っている人が殊の外多い。完全なる誤解である。敵を知ることによって戦いを為すべきか為さざるべきかを知ることがこの言葉の最大の教訓である。
結果論かもしれないがアメリカと戦争をするのであれば軍事力、経済力は元より、アメリカ人の気質や文化、歴史に至るまでまずは幅広く知る必要がある。そのうえで日本の方が勝っているのであれば戦争をすべきであるし、どう逆立ちしても勝ち目がないのであればのらりくらりやり過ごすことが国が生きながらえる最善の策であると、孫子の兵法は語っている。
言うまでもないが軍事力、資源、経済力、人口、国土、すべてに於いて当時の日本はアメリカより劣っている。そこを客観的に認めないから最悪の結果を招いてしまった。
自分自身、アホですから、孫子の兵法を読んでもまったく理解できませんが、アホがアホなりに解釈すると、「突き詰めると戦争とは国の命運を左右する一大事であるから開戦するに当たってはよくよく熟慮すべし、もし総合的に判断して勝てる要素がない場合は外交的手段を用いていち早く講和に持ち込むべき、また一度開戦に踏み切ったら倫理観を無視してでも勝ちに拘るべき」というのが孫子の兵法の解釈。
『是の故に、百戦百勝は、善の善なる者に非るなり。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり。』と、孫子は結んでいる。結局のところ、軍事衝突というのは華々しい戦果を挙げようとも味方の損失も大きく、偉いものではない、真の勝者とは外交や諜報戦によって戦わずして勝つことが善策であるという意味だ(と思う)。
主力艦の保有艦数の比率を、米5、英5、日本3、フランス1.75、イタリア1.75とされてしまい、太平洋戦争の引き金となったワシントン海軍軍縮条約、大日本帝国とすれば何故保有艦数を3に落とされるのか甚だ合点がいかないことであろう。日露戦争にも勝ち、世界の海事国家として道を切り開こうとしている途上であれば尚更だ。
だが日本の首脳陣はアメリカの国力を見誤った、何の根拠もないのにいざ戦争になればアメリカにも勝てるだろうという妙な自信過剰が悲劇の端緒となったのである。
それでもまだ海軍の山本五十六は冷静であった。当時の総理大臣近衛文麿に日米戦争の場合の見込みを問われた山本は、「是非やれと言われれば初め半年や1年の間は随分暴れてご覧に入れる。然しながら、2年3年となれば全く確信は持てぬ。三国条約が出来たのは致方ないが、かくなりし上は日米戦争を回避する様極極力御努力願ひたい 」と発言している。アメリカ留学経験のある山本にはアメリカと戦争しても勝ち目はないという冷静な判断があったのであるが、山本の願いも虚しく日本は戦争への道を突き進み、結果は言わずもがなである。
戦争をする、そのこと自体は否定しない。生存圏拡大は日本人の使命でもある。
だが、国民の尊い命を与る以上、やるからには勝たなくてはならず、勝てないのであれば闇雲に戦争に走るべきではない。戦争に勝つ唯一無二の方法は自分より強いものとは絶対に戦わないことである。
もちろん、負けるべくして負けた愚かな戦争であるが亡くした尊い命に対する尊崇の念は決して忘れていけない。愚かな首脳陣とここは切り離して考えるべきである。
戦場に散らした命、空襲で亡くした命、すべての犠牲者に哀悼の意を表すのは日本人として当然であろう。それは忘れてはいけない。
合掌。
有名な孫子の兵法はこの一節から始まる。
現代語に訳せば「戦争は国家の命運を決める大事な問題。国民の生死が決まり、国家存亡の分かれ道となる。戦争においての意思決定には熟慮を重ね、最大限の思考力を割くべきだ」ということになろうか。
先の大戦は決して負けたから言うわけじゃないが、戦争への道筋があまりにも杜撰、負けるべくして負けた、国の命運を懸けるにはお粗末な戦争だったとしかいいようがない。
孫子の兵法には「彼を知り、己を知れば、百戦して危うからず」という言葉がある。孫子は知らなくともこの言葉を聞いたことのある人も多いと思う。
ただ、この言葉の意味を勘違いしている人が多く、敵を研究すれば百戦百勝を得られると思っている人が殊の外多い。完全なる誤解である。敵を知ることによって戦いを為すべきか為さざるべきかを知ることがこの言葉の最大の教訓である。
結果論かもしれないがアメリカと戦争をするのであれば軍事力、経済力は元より、アメリカ人の気質や文化、歴史に至るまでまずは幅広く知る必要がある。そのうえで日本の方が勝っているのであれば戦争をすべきであるし、どう逆立ちしても勝ち目がないのであればのらりくらりやり過ごすことが国が生きながらえる最善の策であると、孫子の兵法は語っている。
言うまでもないが軍事力、資源、経済力、人口、国土、すべてに於いて当時の日本はアメリカより劣っている。そこを客観的に認めないから最悪の結果を招いてしまった。
自分自身、アホですから、孫子の兵法を読んでもまったく理解できませんが、アホがアホなりに解釈すると、「突き詰めると戦争とは国の命運を左右する一大事であるから開戦するに当たってはよくよく熟慮すべし、もし総合的に判断して勝てる要素がない場合は外交的手段を用いていち早く講和に持ち込むべき、また一度開戦に踏み切ったら倫理観を無視してでも勝ちに拘るべき」というのが孫子の兵法の解釈。
『是の故に、百戦百勝は、善の善なる者に非るなり。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり。』と、孫子は結んでいる。結局のところ、軍事衝突というのは華々しい戦果を挙げようとも味方の損失も大きく、偉いものではない、真の勝者とは外交や諜報戦によって戦わずして勝つことが善策であるという意味だ(と思う)。
主力艦の保有艦数の比率を、米5、英5、日本3、フランス1.75、イタリア1.75とされてしまい、太平洋戦争の引き金となったワシントン海軍軍縮条約、大日本帝国とすれば何故保有艦数を3に落とされるのか甚だ合点がいかないことであろう。日露戦争にも勝ち、世界の海事国家として道を切り開こうとしている途上であれば尚更だ。
だが日本の首脳陣はアメリカの国力を見誤った、何の根拠もないのにいざ戦争になればアメリカにも勝てるだろうという妙な自信過剰が悲劇の端緒となったのである。
それでもまだ海軍の山本五十六は冷静であった。当時の総理大臣近衛文麿に日米戦争の場合の見込みを問われた山本は、「是非やれと言われれば初め半年や1年の間は随分暴れてご覧に入れる。然しながら、2年3年となれば全く確信は持てぬ。三国条約が出来たのは致方ないが、かくなりし上は日米戦争を回避する様極極力御努力願ひたい 」と発言している。アメリカ留学経験のある山本にはアメリカと戦争しても勝ち目はないという冷静な判断があったのであるが、山本の願いも虚しく日本は戦争への道を突き進み、結果は言わずもがなである。
戦争をする、そのこと自体は否定しない。生存圏拡大は日本人の使命でもある。
だが、国民の尊い命を与る以上、やるからには勝たなくてはならず、勝てないのであれば闇雲に戦争に走るべきではない。戦争に勝つ唯一無二の方法は自分より強いものとは絶対に戦わないことである。
もちろん、負けるべくして負けた愚かな戦争であるが亡くした尊い命に対する尊崇の念は決して忘れていけない。愚かな首脳陣とここは切り離して考えるべきである。
戦場に散らした命、空襲で亡くした命、すべての犠牲者に哀悼の意を表すのは日本人として当然であろう。それは忘れてはいけない。
合掌。