『しない善よりする偽善』、この考え方に変わりはないのだがそれでもやっぱり24時間テレビには違和感を感じる。
確かに車椅子を送ったり、色々と寄付をしたりと、愛の手を差し延べているのは分かるのだがタレントに高額なギャラが発生するというのはどうよと思ってしまう。
アメリカでもヨーロッパでもこの手の番組ってあるらしいのだが一様にタレントは皆無償で出演するんだってな。かつて司会を担当したバイリンガルの西田ひかるは、えっ、出演料が発生するんですかと語り、物議を醸したことがある。海外生活の長い西田にはボランティア番組でのギャラ発生がさぞかし奇異に写ったのだろう。
加山雄三とか谷村新司なんかはサライ一曲歌うとそれだけでうん百万円単位のギャラが発生するっていうからたまらない。奴ら、「今年も空けてあります」といってニヤニヤしているというじゃないか、もはや障害者や社会的弱者を食い物にしてるとしか思えねぇよ、気持ち悪いよな。こんな奴らに歌われたところで有り難みなんて感じられず、障害者の中にはバカにすんなと憤りを感じる人もいるだろう。
なかなか平時に於いては大量の金を集め、困っている方々を助けてあげようという機会がないのは分かっている、そう考えると24時間テレビの善意は決して無駄ではないのは分かるんだけども、なんだろ、喉に刺さった小骨のようにどうしても釈然としない。
加山などの大御所だけじゃなく、三流のお笑い芸人達にも24時間テレビは欠かせない草刈り場だという。全国各地の募金センターに派遣されるため普段仕事がない彼らには願ってもないチャンスなんだということだ。ちなみに茨城出身の落ち目芸人赤プルが2012年の24時間テレビの出演をブログに浮かれて書いているのを見た時、あまりの寒さに萎えた。よっぽどステージに立つことが嬉しかったのだろう、それでいてテレビに一秒も映らないというオチ、もはや笑えないコントである。
それでもまあタレントが番組を通して売名行為をするのはいいと思う。そうでもしなきゃ過当競争のなかじゃ生きていけないもんな。でも最低限ボランティアはさ、無償でやって、その後の活動に繋げろよと思ってしまう。お茶の間からすればその方がよっぽど親近感湧くぜぇ、目先の数万を拾うよりももっと先に目を向けろよ、それが出来ねぇクズだからお前らは一生浮かび上がれない五流芸人なんだよ。
言葉は悪いが結局障害者をダシにしたテレビ局と番組に纏わる奴ら(出演者、スポンサー、広告代理店)の金儲けとしか思えないんだわ。
人の善意をこうも踏みにじっていいものなのか。子供達の中にはお小遣いを貯めて持参する子もいる、また、中高生など若い連中が暑いさなか街頭に立ち、汗だくになり、募金よろしくお願いしますと頭を下げる、人の善意を奴らはどう思っているのか。
俺は普段から人を喰ったようなことばかりを書いているがそれでも弱者を食い物にするような真似は今も昔もしていないと思う。
大変不謹慎なたとえになるが本日ご利用のお客様の数掛ける千円を福祉施設に寄付させて頂きます、どしどしご利用くださいねといって俺が風俗のイベントをしたらどうなる?いくら金を寄付するといってもこれはやっちゃいかんだろう。寄付をするのなら黙って俺のポケットマネーからそっと差し出す、それが人として最低限のモラルだろ、欲にまみれた汚い金ならなおさらだ、間違っていますか?
生きている限り人間には尊厳が伴う、尊厳とは幾ばくかの金なんかよりよっぽど重く尊いものであり、守銭奴達の欲に翻弄されるほど尊厳は軽くない。
悪党と言われるのは俺自身全然構わない。俺はもとより善人だなんて一言も言っていない。人を散々貶めてきた、それも否定はしない。
だが、弱者を食い物にし、笑い者にするような下衆な真似だけはしていないと断言する。
資本主義国家である以上、金を稼ぐのは尊いことであるから恥じることはない、ジャンジャン稼げばいい、しかし、線引きは必要ないのか。綺麗事を言うつもりはさらさらないがそれでも弱者を食い物にして金持ちになるくらいならよっぽど貧乏でいるほうが気持ちいい。少なくとも俺はそう思う。
毎年8月最終週の週末は胸がむかむかして反吐が出そうになる。