まただ、これで何人目だろうか・・・
- 2014/08/11
- 19:30
先日友人と電話で話した時のことである。
ふと共通の知人であるA君の話題になった。
俺:そういやA君は元気ぃ?暫らく会ってないなぁ。
友人:あれ、聞いてないの、A君死んだよ、自殺だって。
理由を聞くとまあ有体というか、自殺の教科書通り、借金で首が回らなくなっての自殺だそうだ。
ふー。
自分の身の回りでいったい何人自殺するんだろうか。
いつも言うように自殺は否定しない。生きるよりも死ぬほうが楽になれる場合もあるだろう。また死ななくてはいけない場合もある。
しかしだ、A君はまだ三十代半ば、彼がサラ金や友人から借り入れをするにしてもせいぜい数百万だろう、そんなもんで自殺するぐらいならさっさと踏み倒しちまえと思ってしまう。
これが事業でもやっており、友人でもいい、親戚でもいい、誰かが数千万円の根保証をしていたとする、当然債務者が手形を落とせずパンクをすれば債権者達は目の色変えて保証人の財産をむしりに走る。むしろ債権者の目当てはハナから保証人の財産だったりする。
保証人が工場、商店などの事業を営んでおれば動産、不動産、当座資金、売掛金の差し押えになる。
こうなると大抵の場合、保証人も連座してパンクだ。
この場合は死んで詫びねばならぬ。おら関係ねぇべさ、保証人から取ってくんろはあまりに人として怠惰、確かに法律上は自己破産さえしてしまえば債務はなくなるが保証人に散々迷惑を掛けておきながら自分だけ生活保護を貰いのうのうと暮らそうだなんて、最高裁の判事が許しても地獄の閻魔様が許さん。よってこういった場合は死んで詫びるほかない。
話を戻す。詳しくは知らんがA君の場合、突き詰めれば遊びの金だ、借金など恐らくあってもいいところ、三百万程度の金だろう。今は総量規制の問題があるからもしかすると二百万いかない可能性もある。
いずれにしても命の値段としていささか安すぎる。友人達には分割で必ず支払うと頼み込み、サラ金やカード会社、はたまた小口のヤミ金など業者はすべて踏み倒すのだ。
なんでそれが出来んかなぁと思う。
借金には死ぬべき借金と踏み倒すべき借金がある。もちろん滞りなく払い込めるのなら死ぬ必要も踏み倒す必要もないが業者など泣かせてなんぼだろう。
どうせ大した資産もないんだから最終的には開き直ったものの勝ちだ。俺ならそうする。
まあ結局メンタルが弱いうえに情報弱者なんだろうな。借金の踏み倒し方や和解交渉などネットにいくらでも出ている。中には悪質な整理屋まがいの弁護士や司法書士も存在するがそれとて弁護士や司法書士の名前、所属事務所を検索すれば悪質な輩かどうかなど簡単に調べられる。
いずれにせよ、死んじまったものは今更どうしようもないのだが、問題は死ぬときに彼がどう思ったかだ。
人生の善し悪しとは決して長生きすることではない。短くとも満足して死ねるのならば充実した人生である。これがたとえ百まで生きたとしても後悔だらけの人生ならばおのれの腑甲斐なさを呪うほかあるまい。
借金だって稼いだ額より遣った額の方が大きければ人生それだけで勝ち組なのだ、決して悲観する材料ではない。
じゃあ、俺はどうなのか、仮に今日命のともしびが消えようともある程度は満足して死ねる。もちろん道半ばでの中座は無念だが辿ってきた道のりになんら後悔はなく、恐らく今なら笑って死ねるだろう。震災の時とは違う。
人生についてあまり深く考える必要はなく、命はもてあそんでこそ価値があると思っている。大事にし過ぎたばっかりに死ぬとき後悔するのはごめんなんでね。
ふと共通の知人であるA君の話題になった。
俺:そういやA君は元気ぃ?暫らく会ってないなぁ。
友人:あれ、聞いてないの、A君死んだよ、自殺だって。
理由を聞くとまあ有体というか、自殺の教科書通り、借金で首が回らなくなっての自殺だそうだ。
ふー。
自分の身の回りでいったい何人自殺するんだろうか。
いつも言うように自殺は否定しない。生きるよりも死ぬほうが楽になれる場合もあるだろう。また死ななくてはいけない場合もある。
しかしだ、A君はまだ三十代半ば、彼がサラ金や友人から借り入れをするにしてもせいぜい数百万だろう、そんなもんで自殺するぐらいならさっさと踏み倒しちまえと思ってしまう。
これが事業でもやっており、友人でもいい、親戚でもいい、誰かが数千万円の根保証をしていたとする、当然債務者が手形を落とせずパンクをすれば債権者達は目の色変えて保証人の財産をむしりに走る。むしろ債権者の目当てはハナから保証人の財産だったりする。
保証人が工場、商店などの事業を営んでおれば動産、不動産、当座資金、売掛金の差し押えになる。
こうなると大抵の場合、保証人も連座してパンクだ。
この場合は死んで詫びねばならぬ。おら関係ねぇべさ、保証人から取ってくんろはあまりに人として怠惰、確かに法律上は自己破産さえしてしまえば債務はなくなるが保証人に散々迷惑を掛けておきながら自分だけ生活保護を貰いのうのうと暮らそうだなんて、最高裁の判事が許しても地獄の閻魔様が許さん。よってこういった場合は死んで詫びるほかない。
話を戻す。詳しくは知らんがA君の場合、突き詰めれば遊びの金だ、借金など恐らくあってもいいところ、三百万程度の金だろう。今は総量規制の問題があるからもしかすると二百万いかない可能性もある。
いずれにしても命の値段としていささか安すぎる。友人達には分割で必ず支払うと頼み込み、サラ金やカード会社、はたまた小口のヤミ金など業者はすべて踏み倒すのだ。
なんでそれが出来んかなぁと思う。
借金には死ぬべき借金と踏み倒すべき借金がある。もちろん滞りなく払い込めるのなら死ぬ必要も踏み倒す必要もないが業者など泣かせてなんぼだろう。
どうせ大した資産もないんだから最終的には開き直ったものの勝ちだ。俺ならそうする。
まあ結局メンタルが弱いうえに情報弱者なんだろうな。借金の踏み倒し方や和解交渉などネットにいくらでも出ている。中には悪質な整理屋まがいの弁護士や司法書士も存在するがそれとて弁護士や司法書士の名前、所属事務所を検索すれば悪質な輩かどうかなど簡単に調べられる。
いずれにせよ、死んじまったものは今更どうしようもないのだが、問題は死ぬときに彼がどう思ったかだ。
人生の善し悪しとは決して長生きすることではない。短くとも満足して死ねるのならば充実した人生である。これがたとえ百まで生きたとしても後悔だらけの人生ならばおのれの腑甲斐なさを呪うほかあるまい。
借金だって稼いだ額より遣った額の方が大きければ人生それだけで勝ち組なのだ、決して悲観する材料ではない。
じゃあ、俺はどうなのか、仮に今日命のともしびが消えようともある程度は満足して死ねる。もちろん道半ばでの中座は無念だが辿ってきた道のりになんら後悔はなく、恐らく今なら笑って死ねるだろう。震災の時とは違う。
人生についてあまり深く考える必要はなく、命はもてあそんでこそ価値があると思っている。大事にし過ぎたばっかりに死ぬとき後悔するのはごめんなんでね。