昨日書いた鉄則の話は正直いきつくまで相当悩んだものである。
といっても風俗をやりだして暫らくの間までだが。
僕は大胆な反面、物凄く臆病であり、すべてを失うことにとてつもない恐怖を感じる。
ビジネスで名を残した人は商売は戦だ、敗けたら死ぬぐらいの強い覚悟でやれみたいなことを言ってたりするわけですよ。
起業初期はそれを鵜呑みにし、確かにそう思っていた、しかし、だんだん果たしてそうなのかと疑問を感じるようになった。
僕もね、ビジネスが戦争だというのはその通りだと思います。
でも、歴史を勉強すればするほど気付かされるのだが背水の陣を敷いて崖っ淵の状態で戦争をするってことはそうそうないわけ。
思い当たるのは織田信長の桶狭間の戦い、徳川家康の関ケ原の戦いくらいなもので後はあまり見当たらない。
有名な謙信と信玄の川中島の戦いにしたって途中で謙信が信玄に塩を送ったり、信玄も信玄でその返礼として名刀を送り返したりと、わりと呑気であり、とても命を懸けて本気の潰し合いをしているようには思えんのだよね。
じゃあ敗けて滅ぼされた大名はどうなのかと言われるかもしれないが敗けて滅んだ武将達は戦いに挑んで滅んだわけではなく、ただ単に強い大名に討ち滅ぼされただけであるから決して背水の陣をしいて戦ったわけではない。
歴史の偉人ですらそうなのに果たして俺如きが命を懸ける必要などあるのか、勝つように最善は尽くすが敗けることももちろんあると考えるのは自然なことだろうという結論に至った。勝てば丸儲け、敗けても掠り傷ですむような戦争を心がけるようになった。
戦争に必要なのは勇敢に戦って名を残すことではない。名前なんてどうでもよい、実益を得ることが一番大事なのだ。
よく、親や教師はしたり顔で出来なくたっていい、頑張ることこそが大事なんだっていうじゃん。
俺はそうは思わん。
額に汗して必死に頑張ったにも関わらず試験に落ちてしまったA君、ちゃらんぽらんで真面目とは縁遠いキャラクターながら試験に受かったB君、どっちが評価されますか?
答えは言うまでもなく試験に受かったB君です。
過程なんてどうでもいい、勝ちゃいい。極端な話、仮にB君がカンニングをして受かったとしても試験官にバレなかった時点ですでにB君の勝ちなのだ。
俺も独立したてのころはこの考え方が分からず随分悩んだ。
だが途中からいかに敗けても傷が小さくて済むような戦いを心掛けた。
その積み重ねで今があると思っている。
それなりに飯を喰えているのは敗けたら死ぬような無茶な戦を仕掛けなかったからだといえる。
もしかしてこれから起業しようと考えている読者さんもいるかもしれない。全身全霊、すべてを注ぎ込む覚悟で挑む人もいるでしょう。ただ、敗けた時のことを考えているのですかと言いたい。
別に借金が悪いといっているわけではない。
借金が残ったとしても再出発が出来ればそれはゼロだ。
確かに一か八かのぎりぎりの状態で戦うことこそが愉しいのは否めない。花の慶次も負け戦こそが戦の花と言っているしね(笑)。
でも、従業員だったり、家族だったり、護るものがある状況がありながら後ろが断崖絶壁はあまりに無責任だと思う。本人は野となれ山となれなのかもしれないが残されたものはどうなのかと。
そういう諸々のことを踏まえて考えると、やはり廃業イコール死という商売のやり方は受け入れがたいという結論になる。
昨日も書いた通り、確率論からいえば起業は八割方失敗するのです。でも確実に二割は成功する。
五回やれば一回は成功する。つまり四回は失敗する。
要は五回目の当たりを引くまでは出来るだけ体力を温存しとかなければならない。そうすれば善くも悪くも成功してしまうのである。
またこの確率論の話は通常の業務に於いても有用である。
僕はイチイチ話してませんけど、実はたくさん釣り針を垂らしています。
釣りもある意味確率論であり、結局釣れるのは一本の竿しか出さない人より、たくさん竿を出している人である。
言わないだけで色んな方向性のビジネスを展開している。そうすりゃどれか一つくらいは当たるでしょう、それぐらい軽い気持ち(笑)。
自分は不退転の覚悟で商売に挑んでいるがあくまでも敗けても敗けても挑戦し続けるという意味での不退転の決意であって、別に今のウェブ制作に命を懸けているわけではない。
勝ち目がなさそうだと思えば撤退して別のことを考える。
勘違いされても困るから長々と書いてみた。