鉄則
- 2014/04/18
- 01:06
僕が商売をするときの鉄則としてあるのは決して全力では挑まないということである。
最悪負けても構わないという前提で勝負を掛ける。
絶対に背水の陣など敷かない。
商いに命を懸けている人からすれば随分人を喰ったような舐めた話だろう。
しかし、商売というのは成功することの方が稀なのである。新しく起業した会社が10年後もそのまま残っているのはいいところ1割か2割しかない。つまり残念なことに80%以上が失敗するのである。新陳代謝は限りなく速いのだ。
それを知っているから自分は常々失敗しても、いいところチャラ線で終われるような位置で勝負を挑んでいる。
もちろん命から数えて二番目に大切なお金を投資するわけですから真剣です。
でも、真剣になり過ぎてすべてを投資するようなことはしない。
負けることによってすべてを失い、果てはにっちもさっちもいかなくなり、路頭に迷って首をくくるしかなくなったら…。
僕は負けてもゼロなら全然恥ずかしくないと思っている。ゼロだったらはじめの状態に戻っただけだからまた新たにチャレンジすればいいじゃないですか。その繰り返しで一つ当たれば儲け物と考えている。
逆に言えば8割が失敗するのだが残りの2割は成功するのである。単純な確率論として考えれば自明だがサイコロの一の目を一回で出すのは難しいけれどやめずに何回も振り続けていればその内必ず出る。むしろ否が応でも出てしまう。つまり負けても負けても立ち上がりやり続けていればきっとその内どれかは当たってしまうものなのだ。
商売って確率論みたいなところが多分にあり、成功している人はそれ以上に失敗した経験も多いと思う。
もちろん、理想は一回目に当たりを引けることだがそんなのってなかなかありえない。
だいたい必死になりすぎて後がなくなるとまわりが見えなくなる。得てして支払いのことばかりが気になって肝心の業務が疎かになるものだ。こうなったらもう浮き目はない。
知り合いのOという男は一昨年のことだが無能なくせに方々から分不相応な借金をしてまさに背水の陣で勝負を挑んだ。
案の定惨敗であった。
結果金が廻らなくなりOは首を吊るという無様な最期を遂げたのである。まあ夜逃げしてのうのうと生きているよりは潔いとはいえるが。
日本人特有の気性なのか商売をするときはすべてをなげうち全身全霊を傾けて挑むべしという、いわば玉砕主義が罷り通っているがいきなり一の目を引けるわけでもないのにすべてをなげうてはないだろう。
デッドオアアライブ、こんなの商売でもなんでもない。単なる博打だ。
くれぐれも勘違いしないでいただきたいのは手を抜けといっているわけじゃない。
綿密に計算を立て、効率よく勝てる方法を模索する。しかし、勝負は水もの、どんなに手を尽くしても負けるときは負けるのである。それは時流だったり、地域性だったり、或いは予期せぬ同業他社の猛攻だったりと、避けられないものなのだ。
問題は負けた時のことを言っている。
文字通り、金はもちろんのこと、家族や信用まで、すべてを失い、生きてはいられないという事態に陥ったら何のための商売かということになる。
だから僕はゼロでいられるところまででしか勝負はしない。
不真面目なようで実は誰にも迷惑を掛けないというかなり真面目な考え方だ。
最悪負けても構わないという前提で勝負を掛ける。
絶対に背水の陣など敷かない。
商いに命を懸けている人からすれば随分人を喰ったような舐めた話だろう。
しかし、商売というのは成功することの方が稀なのである。新しく起業した会社が10年後もそのまま残っているのはいいところ1割か2割しかない。つまり残念なことに80%以上が失敗するのである。新陳代謝は限りなく速いのだ。
それを知っているから自分は常々失敗しても、いいところチャラ線で終われるような位置で勝負を挑んでいる。
もちろん命から数えて二番目に大切なお金を投資するわけですから真剣です。
でも、真剣になり過ぎてすべてを投資するようなことはしない。
負けることによってすべてを失い、果てはにっちもさっちもいかなくなり、路頭に迷って首をくくるしかなくなったら…。
僕は負けてもゼロなら全然恥ずかしくないと思っている。ゼロだったらはじめの状態に戻っただけだからまた新たにチャレンジすればいいじゃないですか。その繰り返しで一つ当たれば儲け物と考えている。
逆に言えば8割が失敗するのだが残りの2割は成功するのである。単純な確率論として考えれば自明だがサイコロの一の目を一回で出すのは難しいけれどやめずに何回も振り続けていればその内必ず出る。むしろ否が応でも出てしまう。つまり負けても負けても立ち上がりやり続けていればきっとその内どれかは当たってしまうものなのだ。
商売って確率論みたいなところが多分にあり、成功している人はそれ以上に失敗した経験も多いと思う。
もちろん、理想は一回目に当たりを引けることだがそんなのってなかなかありえない。
だいたい必死になりすぎて後がなくなるとまわりが見えなくなる。得てして支払いのことばかりが気になって肝心の業務が疎かになるものだ。こうなったらもう浮き目はない。
知り合いのOという男は一昨年のことだが無能なくせに方々から分不相応な借金をしてまさに背水の陣で勝負を挑んだ。
案の定惨敗であった。
結果金が廻らなくなりOは首を吊るという無様な最期を遂げたのである。まあ夜逃げしてのうのうと生きているよりは潔いとはいえるが。
日本人特有の気性なのか商売をするときはすべてをなげうち全身全霊を傾けて挑むべしという、いわば玉砕主義が罷り通っているがいきなり一の目を引けるわけでもないのにすべてをなげうてはないだろう。
デッドオアアライブ、こんなの商売でもなんでもない。単なる博打だ。
くれぐれも勘違いしないでいただきたいのは手を抜けといっているわけじゃない。
綿密に計算を立て、効率よく勝てる方法を模索する。しかし、勝負は水もの、どんなに手を尽くしても負けるときは負けるのである。それは時流だったり、地域性だったり、或いは予期せぬ同業他社の猛攻だったりと、避けられないものなのだ。
問題は負けた時のことを言っている。
文字通り、金はもちろんのこと、家族や信用まで、すべてを失い、生きてはいられないという事態に陥ったら何のための商売かということになる。
だから僕はゼロでいられるところまででしか勝負はしない。
不真面目なようで実は誰にも迷惑を掛けないというかなり真面目な考え方だ。