佐野
- 2014/04/16
- 23:47
佐野実、死んだのか。
死人のこというのもなんだが彼がメディアで見るまんまの人ならば職人としては一流かもしれないが指導者として三流以下だな。
得てして暴言、暴行で教育をしようという奴にろくな指導者はいない。
だいたいあの手の奴って普段散々厳しいことを言っておきながら時折菩薩のような表情で優しいことを言うんだよな、それで塾生はホロッときちゃって涙ぼろぼろがお約束のパターン。たわけが、あれは恐怖を利用した単なる洗脳だっつぅのバカたれ。いい加減気付よ。
怒鳴られるのが好きな真性マゾの人間ならちょうどいいかもしれないいが人間は基本的に怒鳴られるのを好まない。
科学的にも立証されているのだが怒鳴って教えた場合と誉めて教えた場合、結果が残るのは圧倒的に誉めて教える場合である。
確かに時には厳しさも必要だろう。
しかし、四六時中怒鳴られてみろよ、生まれのは恐怖か反発だけだ。
で、そんなバカ教育を受けたバカはその暴力主義こそが教育だと思っているから今度は自分の弟子たちにも恐怖教育を強いる。実にくだらない。
巨人の星の星一徹をイメージしているのだろうか。あんなの漫画でしかない。
僕は意外なほど身内に対しては怒らないです。怒る場合はよっぽどね。
怒る前に噛み砕いて分かりやすく説明して、相手に理解してもらうように心がける。怒らない。真面目にやって出来ない場合なら尚更、むしろ、「俺もここ何度も間違っちゃってなぁ~、覚えるのに苦労したよ、いきなり出来るようにならなくてもいいから少しづつ頑張って」と優しい声を掛ける。
織田信長は天才政治家であったがリーダーとしての資質は正直疑問である。それはまさに劇的な最期が物語っている。また天下人になった秀吉も信長公は名君ではなかったと述懐している。もっとも戦乱の世を鎮めるためには恐怖政治が必要だったのかもしれないが…。
とにかく怒鳴りまくるバカにろくな指導者なしというのが持論。またチリ一つ見過ごせない細かすぎる奴にも指導者は無理だ。
戦闘能力は身内にではなく、敵対する相手にぶつけるべき。
もちろん、冷徹に撤しなくてはならない場面はあります。何回教えても理解してもらえない、組織内部に害になる考えを持っている、こういう輩には徹底的に恐怖を植え付けて抹殺するしかあるまい。
孫子の兵法にリーダーとしての資質が著されている。
孫子曰く、智信仁勇厳の五つを兼ね備えておかなければならないという。
智信仁勇厳を分かりやすく説明すれば頭がよく、誠実で優しく、そして勇ましく、自分にも他人にも厳しくなくてはならないという意味だ。
無論自分がそうだとは言わないが少しでも近付けるよう昔から努力をしてきたつもりである。
孫子も厳しさの必要性は深く述べているがその前に『信(信頼、裏切らない)』と『仁(優しさ、慈悲の心)』がある。信長には欠けていたもは思いやりだと思う。
佐野氏に優しさや誠実さがあったのかはテレビの画面しか見ていないので詳しくは知らない。もしかしたらあれは演技で実像は実直で部下思いの優しい人なのかもしれない。あくまでもメディアを通して伝わる伝聞でしかないのであしからず。
ただ、本当にあれが実像であるなら少なくとも自分は尊敬は出来かねる。もし奴が上司なら顔面が変形するほどぶん殴っていると思う。
だいたい弟子を怒鳴り付けて教育するなんていうのは体のいい弱いもんイジメだ。
佐野本人は命懸けみたいなことを言っているが結局ラーメンはラーメンでしかなく、旨いラーメンを出したいのであれば回りくどい修業などせずともレシピをキッチリ学ぶほうがよっぽど合理的だ。
俺は調理のド素人だが麺を茹でる時間何分、醤油の量は何mlなど、きちっとすべてを数値化してくれれば佐野と同じラーメンを作ることに造作はない。ラーメン如きに和食や中華のような芸術的な包丁裁きが試されるわけではあるまい。
だいたいラーメンに命懸けなんてバカじゃないのか、たかだか数百円の食べ物に命を懸けるなんて随分安っぽい人生なんだなと軽くみてしまう。
ま、佐野にしろ、マゾヒストの弟子にしろ、所詮は人の人生だからどうでもいいのだが。
死人のこというのもなんだが彼がメディアで見るまんまの人ならば職人としては一流かもしれないが指導者として三流以下だな。
得てして暴言、暴行で教育をしようという奴にろくな指導者はいない。
だいたいあの手の奴って普段散々厳しいことを言っておきながら時折菩薩のような表情で優しいことを言うんだよな、それで塾生はホロッときちゃって涙ぼろぼろがお約束のパターン。たわけが、あれは恐怖を利用した単なる洗脳だっつぅのバカたれ。いい加減気付よ。
怒鳴られるのが好きな真性マゾの人間ならちょうどいいかもしれないいが人間は基本的に怒鳴られるのを好まない。
科学的にも立証されているのだが怒鳴って教えた場合と誉めて教えた場合、結果が残るのは圧倒的に誉めて教える場合である。
確かに時には厳しさも必要だろう。
しかし、四六時中怒鳴られてみろよ、生まれのは恐怖か反発だけだ。
で、そんなバカ教育を受けたバカはその暴力主義こそが教育だと思っているから今度は自分の弟子たちにも恐怖教育を強いる。実にくだらない。
巨人の星の星一徹をイメージしているのだろうか。あんなの漫画でしかない。
僕は意外なほど身内に対しては怒らないです。怒る場合はよっぽどね。
怒る前に噛み砕いて分かりやすく説明して、相手に理解してもらうように心がける。怒らない。真面目にやって出来ない場合なら尚更、むしろ、「俺もここ何度も間違っちゃってなぁ~、覚えるのに苦労したよ、いきなり出来るようにならなくてもいいから少しづつ頑張って」と優しい声を掛ける。
織田信長は天才政治家であったがリーダーとしての資質は正直疑問である。それはまさに劇的な最期が物語っている。また天下人になった秀吉も信長公は名君ではなかったと述懐している。もっとも戦乱の世を鎮めるためには恐怖政治が必要だったのかもしれないが…。
とにかく怒鳴りまくるバカにろくな指導者なしというのが持論。またチリ一つ見過ごせない細かすぎる奴にも指導者は無理だ。
戦闘能力は身内にではなく、敵対する相手にぶつけるべき。
もちろん、冷徹に撤しなくてはならない場面はあります。何回教えても理解してもらえない、組織内部に害になる考えを持っている、こういう輩には徹底的に恐怖を植え付けて抹殺するしかあるまい。
孫子の兵法にリーダーとしての資質が著されている。
孫子曰く、智信仁勇厳の五つを兼ね備えておかなければならないという。
智信仁勇厳を分かりやすく説明すれば頭がよく、誠実で優しく、そして勇ましく、自分にも他人にも厳しくなくてはならないという意味だ。
無論自分がそうだとは言わないが少しでも近付けるよう昔から努力をしてきたつもりである。
孫子も厳しさの必要性は深く述べているがその前に『信(信頼、裏切らない)』と『仁(優しさ、慈悲の心)』がある。信長には欠けていたもは思いやりだと思う。
佐野氏に優しさや誠実さがあったのかはテレビの画面しか見ていないので詳しくは知らない。もしかしたらあれは演技で実像は実直で部下思いの優しい人なのかもしれない。あくまでもメディアを通して伝わる伝聞でしかないのであしからず。
ただ、本当にあれが実像であるなら少なくとも自分は尊敬は出来かねる。もし奴が上司なら顔面が変形するほどぶん殴っていると思う。
だいたい弟子を怒鳴り付けて教育するなんていうのは体のいい弱いもんイジメだ。
佐野本人は命懸けみたいなことを言っているが結局ラーメンはラーメンでしかなく、旨いラーメンを出したいのであれば回りくどい修業などせずともレシピをキッチリ学ぶほうがよっぽど合理的だ。
俺は調理のド素人だが麺を茹でる時間何分、醤油の量は何mlなど、きちっとすべてを数値化してくれれば佐野と同じラーメンを作ることに造作はない。ラーメン如きに和食や中華のような芸術的な包丁裁きが試されるわけではあるまい。
だいたいラーメンに命懸けなんてバカじゃないのか、たかだか数百円の食べ物に命を懸けるなんて随分安っぽい人生なんだなと軽くみてしまう。
ま、佐野にしろ、マゾヒストの弟子にしろ、所詮は人の人生だからどうでもいいのだが。