風化
- 2014/03/02
- 21:13
震災からまもなく三年であるが被災者の憂いはなによりも『風化』であるという。
しかし、僕自身、風化は致し方ないことであり、むしろ風化していくことこそが真の復興だと思っている。
日本という国が誕生して今日までに凡そ2700年(紀元節をスタートだと考えて)、当たり前だが平穏無事でここまで来たわけではなく、日本という国の歴史はそのまま戦乱、天災の歴史であったと言っていい程だ。
でも、どんなに大きな戦や天災が起きようともすべて風化をしてしまっている。
先の大戦で日本は多大な犠牲を被った。
しかし、戦後70年、殆どの市民はせいぜい終戦記念日や広島、長崎の原爆の日の時に戦争の記憶を辿るだけであとは戦争のことなどあまり気に留めることはなく普段の生活を送る。家族や友人、恋人を戦争で亡くした人ですらそうである。
それは言うまでもなく日本が戦争の廃墟から完全に復興したからである。
記憶が風化をするということはそれだけ事前よりも事後が新しい状態になるということである。
時間が止まったままだったら先には進めないじゃないか。
無論、被災者たちの声も分かる。
津波で町は破壊尽くされ、原発の事故処理は未だ先が見えない。
だが、厳しい言い方だが被災地以外の場所では役所にしろ、企業にしろ、個人にしろ、皆、それぞれに使命や生活があるのである。
瓦礫がうずたかく積まれ、食うもの、着るものもない悲惨な時ならともかく、とりあえず今は被災者であろうとも一定レベルの生活が担保出来ている。いつまでも自らの生活を放棄してまでボランティアに駆け付けるわけにはいかない。
いっちゃ悪いが企業にしろ、個人にしろ、そこまで赤の他人のために付き合ってられないのだ。
あとは被災者達自身の努力で道を切り開くしかない。
いつまでも人の手に頼ることばっかりを考え、記憶が風化するのは怖いと、愚痴をこぼすこと自体が甘えなのだ。
くだらない喩かもしれないが関ケ原の戦いの後、当時の人々は死屍累々、屍(しかばね)の山を見て、この記憶を風化させてはいけない、後世に伝えねばと思ったかもしれない。
しかし、今、あの関ケ原の悲しみを忘れるなといっている人はいるか?
400年も前の話、歴史物語として愉しむ人はいてもリアルに置き換えて日本人同士が争う合戦の悲惨さを忘れてはいけないと憂いている人などいないだろう。
そうやって一つ一つが風化され、記憶の1ページとして頭の隅っこに追いやられ、年に一度の終戦記念日や大震災の日などに思い出すのが関の山なのだ。
被災地の人が望むと望まざるを別にして時は確実に過ぎていく。
行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず、よどみに浮ぶうたかたはかつ消え、かつ結びて久しくとどまることなしだ。
前を向いて進もう。
しかし、僕自身、風化は致し方ないことであり、むしろ風化していくことこそが真の復興だと思っている。
日本という国が誕生して今日までに凡そ2700年(紀元節をスタートだと考えて)、当たり前だが平穏無事でここまで来たわけではなく、日本という国の歴史はそのまま戦乱、天災の歴史であったと言っていい程だ。
でも、どんなに大きな戦や天災が起きようともすべて風化をしてしまっている。
先の大戦で日本は多大な犠牲を被った。
しかし、戦後70年、殆どの市民はせいぜい終戦記念日や広島、長崎の原爆の日の時に戦争の記憶を辿るだけであとは戦争のことなどあまり気に留めることはなく普段の生活を送る。家族や友人、恋人を戦争で亡くした人ですらそうである。
それは言うまでもなく日本が戦争の廃墟から完全に復興したからである。
記憶が風化をするということはそれだけ事前よりも事後が新しい状態になるということである。
時間が止まったままだったら先には進めないじゃないか。
無論、被災者たちの声も分かる。
津波で町は破壊尽くされ、原発の事故処理は未だ先が見えない。
だが、厳しい言い方だが被災地以外の場所では役所にしろ、企業にしろ、個人にしろ、皆、それぞれに使命や生活があるのである。
瓦礫がうずたかく積まれ、食うもの、着るものもない悲惨な時ならともかく、とりあえず今は被災者であろうとも一定レベルの生活が担保出来ている。いつまでも自らの生活を放棄してまでボランティアに駆け付けるわけにはいかない。
いっちゃ悪いが企業にしろ、個人にしろ、そこまで赤の他人のために付き合ってられないのだ。
あとは被災者達自身の努力で道を切り開くしかない。
いつまでも人の手に頼ることばっかりを考え、記憶が風化するのは怖いと、愚痴をこぼすこと自体が甘えなのだ。
くだらない喩かもしれないが関ケ原の戦いの後、当時の人々は死屍累々、屍(しかばね)の山を見て、この記憶を風化させてはいけない、後世に伝えねばと思ったかもしれない。
しかし、今、あの関ケ原の悲しみを忘れるなといっている人はいるか?
400年も前の話、歴史物語として愉しむ人はいてもリアルに置き換えて日本人同士が争う合戦の悲惨さを忘れてはいけないと憂いている人などいないだろう。
そうやって一つ一つが風化され、記憶の1ページとして頭の隅っこに追いやられ、年に一度の終戦記念日や大震災の日などに思い出すのが関の山なのだ。
被災地の人が望むと望まざるを別にして時は確実に過ぎていく。
行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず、よどみに浮ぶうたかたはかつ消え、かつ結びて久しくとどまることなしだ。
前を向いて進もう。