今まで女で失敗したことはなく、女など所詮は脇役に過ぎんと偉そうなことを散々ほざいていてきたが実は過去に一度だけ失敗をしている。
疲れていると俺は必ずその女の子の夢を見る。昨夜も見て、思わず涙が出そうになった。
その子と出会ったのは今から34年も前の遠い昔。
そう小学生になったときだ。
俺の通っていた小学校は一学年一クラスの小規模小学校、転校でもしない限り、六年間同じ面子と過ごすことになる。
その同じクラスに好きな女の子がいた。
自惚れかもしれないがその子も自分のことを好いていてくれたんじゃないかと思う。まわりの男友達にはそっけなかったが自分にだけは優しかった。
中学に上がり、中学ではたまたま同じ部活に入り、クラスも一年の時は一緒だった。そこでも彼女は同様に自分には親切であった。
しかし、所詮は田舎の中学生、呆れるくらい何も無さ過ぎた。
高校に上がり、別々の学校に進むが乗り降りする駅は一緒だったがここでも何もなく時は無常に過ぎる。
高校を卒業後はどうなったか知らない。
結論から言えば初めて出会ってから高校を卒業するまでの12年間、あまりにもなにもなかった。
あったのは俺の心の中に刻まれた近くて物凄く遠い彼女の存在。
その後、風の噂で誰かと結婚をし今では子を生み幸せに暮らしているというのを聞いた。また、たまたまスーパーで彼女と会ったというおふくろが言うには、彼女は振り替えるような美人になっていたという。
俺のすべての原点は今思うとあの子にあったんじゃないかと思う。
散々尽くしてくれた元の嫁さんには申し訳ないが結婚している時でさえ、彼女の夢を見るときがあった。
自分は女の子とイチャイチャするのが凄く嫌いだ。手をつなぐのもためらったりするぐらいだ。
こんなことを言うのは卑怯極まりないが、原点から未だ進めずにいるから彼女以外のすべての女性に対して心を開くが出来ず、いつもどこか醒めており、女性を受け入れることにためらいを感じているのだと思う。
もちろん恋愛をしている時は比較のしようがないが恐らく自分の中では人並みに付き合っている相手に対して盛り上がっているんじゃないかと思う。
でも、どんなに好きになった相手でも一歩引いて見てしまう。
万事がそんな調子だから失敗などしない。好きは好きで一途ではあるがどこか醒めており、心の底から夢中になることが出来ない。振られてもサバサバしている、それどころか、嫌われてホッとすることも多い。
最後に姿を見てから二十年以上も経つというのにあの子のことを忘れられずにいる。
もちろん、幸せに暮らしているというのは本当によかったと思う。旦那さんになった方を嫉妬するなんてことはまるでない。むしろ、どこの誰かは知らないが絶対に泣かすようなことをしないで欲しいとさえ思っている。
ただ、当時の自分にもうちょっと勇気があってあと一歩だけ踏み込んでおけば、もしかしたら平凡な暮らしを選択して、犯罪者になどならずに違う人生を歩めたんじゃないかとも思う。
俺も世に出るようになると人並みに恋愛を経験し、幸いなことに結婚することも出来た。
卑怯なのは百も承知だが恋愛中でも、結婚中でも彼女の幻影が消えずにいて俺を苦しめる。
今更どうにもなるまい、これ以上苦しめるのはよせ、いい加減解放してくれとさえ思う。
自分は本当に臆病な人間だ。解放してくれと言いつつ現実を直視できないから今だに同窓会にも行けず仕舞いだ。
夢に出てくる程なのにいざ本人と対面したり、まわりからでも彼女の話を聞くのは絶対に嫌なのだ。
書いていてわかるが至る所に矛盾があると思う。しかし、その矛盾も含めて今の俺なのである。
恐らくこの先も女性関係で何かへまをやらかすということは無さそうだ。
だがその反面、ずーっとあの面影に悩まされ続けていくのであろう。
普段はまったくそんなことを考えていないのに深層心理のなかに逃れられない深い闇が消えずにいるのだと思う。
出口のない暗い闇の中を永遠にさまよい続ける。
冷血漢と罵られ、前科者と蔑まれることになんの後悔はない。
今も含め、風俗時代、サラリーマン時代、仕事に関してはそこそこ頑張ってきたつもりだ。
けれど、いつも何かが足りないと心の中で逡巡している。
その癖、それもこれも自分の選んだ道じゃないかと、斜に構えるもう一人の俺がいる。
アインシュタインは相対性理論で人類は未来に行けることを科学的に証明した。
この先科学が発達すれば理論上は数百年、数千年先に進むことが出来るようになる。
けれども過去に戻れる方法はまだ誰にも見つけらずにいる。
夢想でしかないが過去に戻れる方法が見つかったらあの時の自分に何か気の利いたことが言えるかな。
この話はずーっとカミングアウト出来ずにいた。
今日、親友と話していてやっと文字で出来るような気がしたから初めて文章にした。
最初で最後のラブレターです、AB型RHマイナスの君に。