くだらない妄想
- 2013/06/24
- 22:42
くだらない話なんだけどさ、もし俺が新島八重と同じ江戸時代末期に生まれていたらどうなっていたかを考えてみた。
代々当家は水戸藩の中級武士の家系、まあ今で言ったら県庁の部課長クラスの家系だと思う。
言い伝えでは徳川斉昭が日立の助川海坊城に出向く折り、途中立ち寄ってお茶を啜っていくのが我が家だったという。
事実、戦後間もなくまでは藩主から賜ったという葵の御紋入りの木杯があったというのだから名家とはお世辞にも言えないものの、それでもそこそこの家だったのだと思う(お宝は死んだ爺さんが売ってしまったらしい…)。
結局どんなに頑張ったところで家柄から家老にはなれん代わり、その分禄は保障されており、スーダラ節のサラリーマンは気楽な稼業ときたもんだじゃないけど、責任もそれほどまでじゃないだろうし、ある意味一番恵まれてる位置だったのかも知れない。
実際殿様の宴席で鼓を打つのがご先祖様の仕事(?)の一つだったというしね、宴会部長かよ(笑)。
ま、そんなわけで当然俺は長男であるから大小ぶら下げて水戸城にあがることになる。
ただ、冒頭に書いた通り、時は江戸末期、水戸藩、いや日本中を震撼させる大事件が起こる、桜田門外の変である。
その時歴史が動いたじゃないが、俺も脱藩して関鉄ノ介らと大老井伊直弼を殺(と)りに行ったんだろうか。
水戸藩士にしてみれば直弼は斉昭を安政の大獄により蟄居幽閉してしまった不倶戴天の敵、まさに国賊許すまじだ。
ただ、そうは言っても直弼は今で言えば総理大臣、易々と殺せるような相手ではなく(易々と殺されてしまったが、笑)、色々な思いが逡巡するのが人間だ。
もし今のままの俺という野郎がその当時にいたら暗殺には加わらなかったと思う。
井伊直弼をよしんば倒したところで世の中が変わるわけではあるまい。
確かに主君の恨みは晴らせるかも知れないがそもそも斉昭自体が暗殺を望んでいたのだろうか。
徳川宗家の選んだ総理大臣を殺すということはすなわち徳川宗家に刄を向けると同義であろう。
確かに斉昭は常々、天皇家と徳川宗家が戦になったときは、我々は天皇の臣下であるから徳川宗家を討つべしといって憚らなかったが、だからといって徳川宗家を蔑ろにできるはずはなく、やはり直弼暗殺は本意ではないはずだ。
そうなると事情はどうであれ、関一派には加わらなかったと思う…、って、あれ、みんななんで寝てんの?
代々当家は水戸藩の中級武士の家系、まあ今で言ったら県庁の部課長クラスの家系だと思う。
言い伝えでは徳川斉昭が日立の助川海坊城に出向く折り、途中立ち寄ってお茶を啜っていくのが我が家だったという。
事実、戦後間もなくまでは藩主から賜ったという葵の御紋入りの木杯があったというのだから名家とはお世辞にも言えないものの、それでもそこそこの家だったのだと思う(お宝は死んだ爺さんが売ってしまったらしい…)。
結局どんなに頑張ったところで家柄から家老にはなれん代わり、その分禄は保障されており、スーダラ節のサラリーマンは気楽な稼業ときたもんだじゃないけど、責任もそれほどまでじゃないだろうし、ある意味一番恵まれてる位置だったのかも知れない。
実際殿様の宴席で鼓を打つのがご先祖様の仕事(?)の一つだったというしね、宴会部長かよ(笑)。
ま、そんなわけで当然俺は長男であるから大小ぶら下げて水戸城にあがることになる。
ただ、冒頭に書いた通り、時は江戸末期、水戸藩、いや日本中を震撼させる大事件が起こる、桜田門外の変である。
その時歴史が動いたじゃないが、俺も脱藩して関鉄ノ介らと大老井伊直弼を殺(と)りに行ったんだろうか。
水戸藩士にしてみれば直弼は斉昭を安政の大獄により蟄居幽閉してしまった不倶戴天の敵、まさに国賊許すまじだ。
ただ、そうは言っても直弼は今で言えば総理大臣、易々と殺せるような相手ではなく(易々と殺されてしまったが、笑)、色々な思いが逡巡するのが人間だ。
もし今のままの俺という野郎がその当時にいたら暗殺には加わらなかったと思う。
井伊直弼をよしんば倒したところで世の中が変わるわけではあるまい。
確かに主君の恨みは晴らせるかも知れないがそもそも斉昭自体が暗殺を望んでいたのだろうか。
徳川宗家の選んだ総理大臣を殺すということはすなわち徳川宗家に刄を向けると同義であろう。
確かに斉昭は常々、天皇家と徳川宗家が戦になったときは、我々は天皇の臣下であるから徳川宗家を討つべしといって憚らなかったが、だからといって徳川宗家を蔑ろにできるはずはなく、やはり直弼暗殺は本意ではないはずだ。
そうなると事情はどうであれ、関一派には加わらなかったと思う…、って、あれ、みんななんで寝てんの?