六本木フラワー事件に思う
- 2013/01/14
- 22:40
最近になりやっと容疑者達の逮捕が相次いでいるが今一つよく分からない関東連合OBによる六本木フラワー事件。
まずなぜあんなに大勢の人数で襲撃したのか。
南米や中東、アフリカの無法地帯なら分かる。見せしめにもなるだろうからあえて派手に殺す。
しかし、ここは法治国家日本、反社会的な行為をすれば必ずそのツケは我が身に戻ってくる。
彼らの暴力性を世間に喧伝するという点では確かにいいデモンストレーションになったであろうがこれから長い懲役が待っているわけで果たして取った行動が正しかったのか。
リストとリターンを天秤に掛けた場合およそ割に合う犯罪ではない。
それともまさか捕まらないとでも思ったのか。
そんな馬鹿な。
警察の捜査能力が甘くないのは彼らが一番理解しているはず。
だいたい関わる人が多ければ多いほど捕まる確率は飛躍的に高まる。
戦争をするには必ず戦後のことを考えて戦をしなければならない。
局地戦で勝った負けたと一喜一憂するのは愚鈍な凡将のすること、有能な将軍なら勝った後のこと、負けた後のことを考えて戦を仕掛ける。
極端な話、人間をバラすだけなら女子供にも出来る。
しかし、問題は殺(や)った後である。
留守を守る輜重(しちょう)部隊は刑務所にいる実行犯のため、経済的な支援を最大限行なわなくてはならない。
昔の言葉で言うところの兵農分離の原則。
農民は戦に行かなくいい代わりに食料を年貢として納め、兵隊は働かなくていい代わりに農民の安全保障を担保する、アウトローも同じ。
その点、今回の事件は実に不可解である。
言葉は悪いが兵隊も農民も一緒になって戦争を起こしてしまい、結果的に司直の手によって裁かれることになった。
裁かれるのはまあよい、想定の範囲内ともいえる。しかし、耕作主のいなくなった農地(シノギ)はどうなる?
荒れ放題になるか、誰かに奪われて終わりだろう。
殺された藤本氏という人間は大勢で襲撃しなければならないほど許せん、不倶戴天の敵だったのだろうか。
そこらへんが裁判で詳(つまび)らかになればいいが本当のことは語られずに結審してしまうような気がしてならないのだ。
まずなぜあんなに大勢の人数で襲撃したのか。
南米や中東、アフリカの無法地帯なら分かる。見せしめにもなるだろうからあえて派手に殺す。
しかし、ここは法治国家日本、反社会的な行為をすれば必ずそのツケは我が身に戻ってくる。
彼らの暴力性を世間に喧伝するという点では確かにいいデモンストレーションになったであろうがこれから長い懲役が待っているわけで果たして取った行動が正しかったのか。
リストとリターンを天秤に掛けた場合およそ割に合う犯罪ではない。
それともまさか捕まらないとでも思ったのか。
そんな馬鹿な。
警察の捜査能力が甘くないのは彼らが一番理解しているはず。
だいたい関わる人が多ければ多いほど捕まる確率は飛躍的に高まる。
戦争をするには必ず戦後のことを考えて戦をしなければならない。
局地戦で勝った負けたと一喜一憂するのは愚鈍な凡将のすること、有能な将軍なら勝った後のこと、負けた後のことを考えて戦を仕掛ける。
極端な話、人間をバラすだけなら女子供にも出来る。
しかし、問題は殺(や)った後である。
留守を守る輜重(しちょう)部隊は刑務所にいる実行犯のため、経済的な支援を最大限行なわなくてはならない。
昔の言葉で言うところの兵農分離の原則。
農民は戦に行かなくいい代わりに食料を年貢として納め、兵隊は働かなくていい代わりに農民の安全保障を担保する、アウトローも同じ。
その点、今回の事件は実に不可解である。
言葉は悪いが兵隊も農民も一緒になって戦争を起こしてしまい、結果的に司直の手によって裁かれることになった。
裁かれるのはまあよい、想定の範囲内ともいえる。しかし、耕作主のいなくなった農地(シノギ)はどうなる?
荒れ放題になるか、誰かに奪われて終わりだろう。
殺された藤本氏という人間は大勢で襲撃しなければならないほど許せん、不倶戴天の敵だったのだろうか。
そこらへんが裁判で詳(つまび)らかになればいいが本当のことは語られずに結審してしまうような気がしてならないのだ。