コインランドリーで思う30年後の未来
- 2023/11/21
- 20:53
技術の進化がもたらす日常生活への変革は、しばしば思い描かれるほど急激ではない。
ワイシャツなどクリーニングに出すもの以外、洗濯は一週間分をまとめてコインランドリーだ。コインランドリーのいいところは洗剤も柔軟剤も必要がない。
現代の技術進化の一環として、AIを活用した洗濯機が登場している。これらの洗濯機は、洗濯物の量や汚れ具合、さらには素材の種類までをAIが自動で計算し、それに応じて洗剤や柔軟剤の量、水の温度、乾燥時間や温度を適切に調整する。技術のさらなる進歩により、将来的には季節やシャツを羽織る人の気分を考慮し、シーンに応じたアロマ柔軟剤の種類を自動で選択する全自動洗濯機も実現するかもしれない。
このようなAI搭載の洗濯機は、日々の生活をより快適にし、私たちの時間を大いに節約してくれるだろう。ここまでは素人でも考えがつく。将来はコインランドリーにも導入されるであろう。
だが、俺は不満だ。コインランドリーの入口を見上げれば看板には乾燥まで出来る全自動洗濯機とある。真に全自動であるなら、洗濯物を畳んで、さらにはタンスに収めるまでをこなすべきだろう。なにが全自動洗濯機かと悪態をつく。
飲食店に目を移す。大手飲食チェーンは確かに決済システムもAIを取り入れ、益々自動化していくだろう。不評ながらも徐々に普及している松屋の食券販売機のように、技術は日常に浸透していく。マクドナルドの店頭から店員が消え、スマイルゼロ円がメニューから消える日もそう遠くないかもしれない。
しかし、その一方で、夫婦が経営する地域のラーメン屋や定食屋など小規模な飲食店では、自動化された決済システムの導入は到底考えにくい。
導入費用の問題はもちろん、その背後にはもっと根本的な理由がある。不都合な真実かもしれないが、個人経営の飲食店の多くは、正確な売上の記録を避け、税務上の透明性を嫌っている。早い話が殆どの個人飲食店は脱税をしている。現金商売の特性上、よほど行列のできる店でもない限り、税務署が介入することは少ないが、食券販売機を導入すれば、売上の透明化が進み、脱税は難しくなる。
そのため、AI化や自動化は、必要性が低いとされる業態である。30年後も注文を取りに来るのは紙の伝票を持ったおばちゃんであるはずだ。
なにより一番、ドラスティックな変化が起こりにくいのが住宅。
一般的に家を建てたり、分譲マンションを購入する行為は、50年後の未来を見据えた投資と言える。当然ながらリフォームはするにせよ、今建てる家は50年後もほぼ同じ姿で存在し続けることになる。つまり、住宅はその新陳代謝が極めて低く、たとえAIのような技術がどれほど進化しようとも、多くの人々は何十年も前の物件に住み続けている。
50年も経過した家は、古民家と呼ぶにはまだ新しく、しかしそれでいてただの古い家という不便な状態にある。手塚治虫の漫画に描かれる近未来の風景は、空を飛ぶ車が舞い、ビル群が先鋭的な形状で突き上げる壮大なものだ。
このような描写は、全てのものが均等に進化し、未来が一様に先進的な技術で満たされているという前提に立っている。漫画といえばそれまでだが、そもそもの前提がおかしい。多くの人々が50年後も同じ家に住み続けている限り、どんなにAIが進化しても冬はコタツでミカンだろう。
アムロ・レイが「逆襲のシャア」で語った、「革命はいつもインテリが始めるが、夢みたいな目標を持ってやるから、いつも過激なことしかやらない。しかし革命の後では、気高い革命の心だって、官僚主義と大衆に飲み込まれていくから、インテリはそれを嫌って世間からも政治からも身を引いて世捨て人になる」という言葉は、技術革新と社会変化の関係を象徴している。技術は進化するが、その影響は人々の価値観や生活の本質を根本から変えるものではない。
未だに三国志に熱狂する現代人が示すように、人間の本質は数千年を経ても変わらない。
エジプトのピラミッドに刻まれた象形文字を研究していた学者が、壁画に記された「今時の子は…」という言葉を発見し、その普遍性に驚いたという笑い話。人々の基本的な感覚や考え方は驚くほど変わらないという示唆に富んでいる。古代エジプトの時代から現代に至るまで、世代間の感覚の隔たりや若者への認識は、驚くほど一貫しているのだ。ましてや、数十年程度で劇的に世の中が変化するはずがない。
さてと、洗濯物を畳むか。
ワイシャツなどクリーニングに出すもの以外、洗濯は一週間分をまとめてコインランドリーだ。コインランドリーのいいところは洗剤も柔軟剤も必要がない。
現代の技術進化の一環として、AIを活用した洗濯機が登場している。これらの洗濯機は、洗濯物の量や汚れ具合、さらには素材の種類までをAIが自動で計算し、それに応じて洗剤や柔軟剤の量、水の温度、乾燥時間や温度を適切に調整する。技術のさらなる進歩により、将来的には季節やシャツを羽織る人の気分を考慮し、シーンに応じたアロマ柔軟剤の種類を自動で選択する全自動洗濯機も実現するかもしれない。
このようなAI搭載の洗濯機は、日々の生活をより快適にし、私たちの時間を大いに節約してくれるだろう。ここまでは素人でも考えがつく。将来はコインランドリーにも導入されるであろう。
だが、俺は不満だ。コインランドリーの入口を見上げれば看板には乾燥まで出来る全自動洗濯機とある。真に全自動であるなら、洗濯物を畳んで、さらにはタンスに収めるまでをこなすべきだろう。なにが全自動洗濯機かと悪態をつく。
飲食店に目を移す。大手飲食チェーンは確かに決済システムもAIを取り入れ、益々自動化していくだろう。不評ながらも徐々に普及している松屋の食券販売機のように、技術は日常に浸透していく。マクドナルドの店頭から店員が消え、スマイルゼロ円がメニューから消える日もそう遠くないかもしれない。
しかし、その一方で、夫婦が経営する地域のラーメン屋や定食屋など小規模な飲食店では、自動化された決済システムの導入は到底考えにくい。
導入費用の問題はもちろん、その背後にはもっと根本的な理由がある。不都合な真実かもしれないが、個人経営の飲食店の多くは、正確な売上の記録を避け、税務上の透明性を嫌っている。早い話が殆どの個人飲食店は脱税をしている。現金商売の特性上、よほど行列のできる店でもない限り、税務署が介入することは少ないが、食券販売機を導入すれば、売上の透明化が進み、脱税は難しくなる。
そのため、AI化や自動化は、必要性が低いとされる業態である。30年後も注文を取りに来るのは紙の伝票を持ったおばちゃんであるはずだ。
なにより一番、ドラスティックな変化が起こりにくいのが住宅。
一般的に家を建てたり、分譲マンションを購入する行為は、50年後の未来を見据えた投資と言える。当然ながらリフォームはするにせよ、今建てる家は50年後もほぼ同じ姿で存在し続けることになる。つまり、住宅はその新陳代謝が極めて低く、たとえAIのような技術がどれほど進化しようとも、多くの人々は何十年も前の物件に住み続けている。
50年も経過した家は、古民家と呼ぶにはまだ新しく、しかしそれでいてただの古い家という不便な状態にある。手塚治虫の漫画に描かれる近未来の風景は、空を飛ぶ車が舞い、ビル群が先鋭的な形状で突き上げる壮大なものだ。
このような描写は、全てのものが均等に進化し、未来が一様に先進的な技術で満たされているという前提に立っている。漫画といえばそれまでだが、そもそもの前提がおかしい。多くの人々が50年後も同じ家に住み続けている限り、どんなにAIが進化しても冬はコタツでミカンだろう。
アムロ・レイが「逆襲のシャア」で語った、「革命はいつもインテリが始めるが、夢みたいな目標を持ってやるから、いつも過激なことしかやらない。しかし革命の後では、気高い革命の心だって、官僚主義と大衆に飲み込まれていくから、インテリはそれを嫌って世間からも政治からも身を引いて世捨て人になる」という言葉は、技術革新と社会変化の関係を象徴している。技術は進化するが、その影響は人々の価値観や生活の本質を根本から変えるものではない。
未だに三国志に熱狂する現代人が示すように、人間の本質は数千年を経ても変わらない。
エジプトのピラミッドに刻まれた象形文字を研究していた学者が、壁画に記された「今時の子は…」という言葉を発見し、その普遍性に驚いたという笑い話。人々の基本的な感覚や考え方は驚くほど変わらないという示唆に富んでいる。古代エジプトの時代から現代に至るまで、世代間の感覚の隔たりや若者への認識は、驚くほど一貫しているのだ。ましてや、数十年程度で劇的に世の中が変化するはずがない。
さてと、洗濯物を畳むか。