少し長めに未来をマクロ的に考えてみた
- 2023/11/20
- 10:52
現代社会の一端を担うAI技術、特にChatGPTのような言語生成ツールは、まさに時代の申し子ともいえる。しかし、その影響力は、過去の大きな歴史的転換点には及ばないだろう。明治維新や敗戦といった日本の歴史上の大きな節目に比べれば、AIの進化はゆっくりとしたものである。
個人的には、このテクノロジーに深く魅了され、有料サービスにも課金している。我ながらまるで宗教のような熱心さだと思う。しかし、これはあくまで個人の興味の域を出ない。社会全体としての大きな変革は、少なくとも今後20年間は見込まれないと考えている。
堀江貴文氏の著書「ChatGPT vs. 未来のない仕事をする人たち」(サンマーク出版)を読んだ。対談形式で、AIの影響についてさまざまな視点が語られている。中でも起業家の佐藤航陽さんの言葉が印象的であった。以下のように述べている。
『2000年前後のウェプサービスを振り返ってみてください。今から20年ほど前、グーグルが日本での検索サービスを開始し、モバイル環境に関してはFOMAなどのサービスが登場した頃です。その時代から現在に至るまで、ウェブと様々な技術のコラボレーションが起きたことで、当時は想像もできなかったサービスを私たちは当たり使っています。
(中略)
かつて20年前の私たちが体験した時代の大変化が再び起ころうとしているのです。3次元とAIが組み合わさり、思いもよらぬ様々なサービスが生まれてくる。この流れがどこまでいくのか、想像がつきません。』
時代は変わり、技術は進化した。かつて経理事務のおばちゃんが手書きで行っていた作業は、会計ソフトとキーボードに取って代わられた。だが、彼女の日常は変わらない。朝9時から夕方17時までの勤務は、昔も今も変わらず続いている。
90年代、Windows95の登場と共にパソコンが中小企業にも普及し、業務の効率化が進んだ。スマートフォンが生活に欠かせない存在となり、多くの面で便利さをもたらしてくれた。それでも、日常生活の基本的な生活構造は変わっていない。学校への通学、会社への出勤は昭和の時代からなんら変わっていない。唯一変わったのが週休二日制ぐらい。
コロナ禍が訪れた時、大きな社会的変化の瀬戸際に立っていると感じた。リモートワークが日常となり、出勤が必要ない事務仕事と製造や建設などの現場作業が分かれる新しい働き方が出現するかもしれないと期待した。敗戦以来のパラダイムシフトが起こるのではと期待した。
しかし、時間が経ち、パンデミックが収束に向かうと、多くの人が再び出勤を始めた。リモートワークでの勤務は一時的な現象に過ぎず、4年前の日常に戻ってしまった。テレワーク技術は進化し、社会も変わるかに見えたが、根本的な日常生活のパターンは変わらない。これは、技術の進化と日常生活の持続性という、時代のパラドックスを示している。
変化は常に身の周りで起こっているが、人々はしばしばその変化に気づかないか、あるいはそれを避ける傾向にある。特に日本においては、この傾向が顕著かもしれない。生成AIの出現により多くの仕事がなくなると予測されているが、それが現実化するまでには相当な時間がかかるだろう。日本の場合、会社が倒産しない限り、明日からあなたは出勤しなくていいですよとはならない。法律や規制の問題もあれば、労働組合の問題もある。
銀行業界では、AIが従業員の仕事を代替するとされているが、その変化は徐々に起こり、まずは新卒の採用を減らすことから始まるだろう。明日から大規模なリストラが始まるなどあろうはずがない。
ライドシェアのような新しいサービスもまた、政治的な調整の結果として成り立っている。タクシー業界や観光業界の影響を考慮しながら、新しい技術やサービスは徐々に社会に受け入れられていくと思われる。一足飛びの変容などあり得ない。国交省と観光庁など、省庁間での政治的な駆け引きもある。納税だけすればあとは自由にすればよいとはならない。
もちろん、生成AIを活用して富を築く若者たちが出現するだろうが、これは過去に見られた「ヒルズ族」、「IT長者」と呼ばれたITバブルと同じ軌跡をたどるだけであり、彼らが全体の経済状況に大きな影響を与えるわけではない。
ヒルズ族の存在とは関係がなく平均年収は過去20年で下がり続けている。ヒルズ族の勃興とともに平均年収が上がった形跡はない。実質賃金は下がりぱなしだ。AI技術は進化し、新しい産業が生まれても、20年やそこらで日常生活や社会全体の構造が劇的に変わるとは思えない。
個人的には、このテクノロジーに深く魅了され、有料サービスにも課金している。我ながらまるで宗教のような熱心さだと思う。しかし、これはあくまで個人の興味の域を出ない。社会全体としての大きな変革は、少なくとも今後20年間は見込まれないと考えている。
堀江貴文氏の著書「ChatGPT vs. 未来のない仕事をする人たち」(サンマーク出版)を読んだ。対談形式で、AIの影響についてさまざまな視点が語られている。中でも起業家の佐藤航陽さんの言葉が印象的であった。以下のように述べている。
『2000年前後のウェプサービスを振り返ってみてください。今から20年ほど前、グーグルが日本での検索サービスを開始し、モバイル環境に関してはFOMAなどのサービスが登場した頃です。その時代から現在に至るまで、ウェブと様々な技術のコラボレーションが起きたことで、当時は想像もできなかったサービスを私たちは当たり使っています。
(中略)
かつて20年前の私たちが体験した時代の大変化が再び起ころうとしているのです。3次元とAIが組み合わさり、思いもよらぬ様々なサービスが生まれてくる。この流れがどこまでいくのか、想像がつきません。』
時代は変わり、技術は進化した。かつて経理事務のおばちゃんが手書きで行っていた作業は、会計ソフトとキーボードに取って代わられた。だが、彼女の日常は変わらない。朝9時から夕方17時までの勤務は、昔も今も変わらず続いている。
90年代、Windows95の登場と共にパソコンが中小企業にも普及し、業務の効率化が進んだ。スマートフォンが生活に欠かせない存在となり、多くの面で便利さをもたらしてくれた。それでも、日常生活の基本的な生活構造は変わっていない。学校への通学、会社への出勤は昭和の時代からなんら変わっていない。唯一変わったのが週休二日制ぐらい。
コロナ禍が訪れた時、大きな社会的変化の瀬戸際に立っていると感じた。リモートワークが日常となり、出勤が必要ない事務仕事と製造や建設などの現場作業が分かれる新しい働き方が出現するかもしれないと期待した。敗戦以来のパラダイムシフトが起こるのではと期待した。
しかし、時間が経ち、パンデミックが収束に向かうと、多くの人が再び出勤を始めた。リモートワークでの勤務は一時的な現象に過ぎず、4年前の日常に戻ってしまった。テレワーク技術は進化し、社会も変わるかに見えたが、根本的な日常生活のパターンは変わらない。これは、技術の進化と日常生活の持続性という、時代のパラドックスを示している。
変化は常に身の周りで起こっているが、人々はしばしばその変化に気づかないか、あるいはそれを避ける傾向にある。特に日本においては、この傾向が顕著かもしれない。生成AIの出現により多くの仕事がなくなると予測されているが、それが現実化するまでには相当な時間がかかるだろう。日本の場合、会社が倒産しない限り、明日からあなたは出勤しなくていいですよとはならない。法律や規制の問題もあれば、労働組合の問題もある。
銀行業界では、AIが従業員の仕事を代替するとされているが、その変化は徐々に起こり、まずは新卒の採用を減らすことから始まるだろう。明日から大規模なリストラが始まるなどあろうはずがない。
ライドシェアのような新しいサービスもまた、政治的な調整の結果として成り立っている。タクシー業界や観光業界の影響を考慮しながら、新しい技術やサービスは徐々に社会に受け入れられていくと思われる。一足飛びの変容などあり得ない。国交省と観光庁など、省庁間での政治的な駆け引きもある。納税だけすればあとは自由にすればよいとはならない。
もちろん、生成AIを活用して富を築く若者たちが出現するだろうが、これは過去に見られた「ヒルズ族」、「IT長者」と呼ばれたITバブルと同じ軌跡をたどるだけであり、彼らが全体の経済状況に大きな影響を与えるわけではない。
ヒルズ族の存在とは関係がなく平均年収は過去20年で下がり続けている。ヒルズ族の勃興とともに平均年収が上がった形跡はない。実質賃金は下がりぱなしだ。AI技術は進化し、新しい産業が生まれても、20年やそこらで日常生活や社会全体の構造が劇的に変わるとは思えない。