if vol.5 【R-15指定】
- 2023/11/03
- 14:19
Mは兄貴やドライバーが待機場所からいなくなると、あろうことか他のキャストを脅していた。大仰にいえば洗脳といえなくもない。
なんでもMは俺と付き合っており、私に歯向かうと夢幻のオーナーが黙っていない、私は夢幻の幹部会議にも参加している、あんたらなんかなんとでもなる、だから私の言うことを聞けと、そうMちゃんがいって困る、こんな苦情が他のキャストから兄貴に寄せられた。
しかも人気があるキャストと出勤が重ならないよう、Mが裏で手を回してキャストの出勤日時を自ら差配していたとのことだ。
愕然とした。兄貴の店のキャストが俺に対してよそよそしくなった意味がこれで分かった。下手なことをいってMの耳に入るのを恐れたのだ。なんたる不覚。
確かに兄貴の店のドライバーと俺の店のドライバーは月に二度集まって会議をしていた。
だが、ここに女性のスタッフは一人もいない。兄貴、俺、各店の店長、及びドライバー、全員が男だ。キャストが入り込む余地などない。また、仮にMと俺が本当に付き合っていたとしても兄貴の店のキャストに対してなにかするといった越権行為はあるはずがなく、兄貴の店の人事権に俺はまったく無力だ、口をはさむ余地すらない。
事の発端は俺がMを指名したことから始まる。そういう意味では道義的な責任なら確かにあるだろう。
ただ、くり返しになるが俺はプライベートでMと個人的に会ったのは偶然水戸駅で会った一回だけ、その一回も軽く立ち話をして数分後に別れた、酒どころか、スタバにすら行っていない、それだけだ。
こんな綺麗な子と付き合えたらいいなと思ったことがないといえば嘘になるが、そこは一線を引いていた。どこまでいっても兄貴の店のキャストとしか見ていない。またそう見るべきだと自分をきつく戒めた。
それゆえ、Mを買っても、今度酒を飲みに行こうだとか、休みの日に遊びに行こうと、誤解を生むようなことはなにもいっていないはずだ。唯一あるのは兄貴の店で誰ひとり買ったことがないのにMだけを買ってしまった、これだけだ。これをMは自分が特別視されていると思ったか。
落ち込んだ。まさか、アイツがこんな女だったとは……、Mの不行状もそうだが、己の人の見る目のなさにも嫌気が差した。今更、兄貴に頭を下げて済む話ではないが、軽い気持ちで自分好みのキャストの一人を買って遊んだだけのつもりだった。少なくとも俺のなかでの意識はそう。
ただ、ひとつだけどうしても解せず、知りたいことがあった。
Mが俺と付き合っていると吹聴するあの行為だ。じゃあ、本当に付き合おうといえばMは付き合ったのだろうか。俺に幾ばくかの恋心でもあったのか。それとも冗談じゃない、なんであんたみたいな不出来な男と私が付き合うのよ、都合がいいから利用させてもらっただけよと、鼻で笑われただけか。
今となってはそれも分からず仕舞いだ。
兄貴はMを呼び出し、最後通牒することなくさっさと厄介払いをしてしまった。兄貴はふだんやさしいがこういうところは人一倍厳しい。すべてが明るみに出た以上、Mに抗弁する余力はなかった。すんなり受け入れたという。クビになったところでよしんば店を変えればいいと腹の中では舌を出し笑っていたかもしれない。もちろんその場に俺はいない。これで完全にMとの縁は切れた。
チャゲアスのヒットナンバーに「if」という歌がある。
「たとえばもしも僕じゃなくて、誰かを愛した君がいて名前も知らずにいたならどうするって?哀しいお話しが好きだな、キスの側で星の歴史さえも変えながら朝には横に居る」、この一小節が心にしみる。
人生は「if」の連続だ。
考えたところで意味がないのに、あのときああしておけばと人は考え、いつの時代も思い悩む。
ライオンに喉元を噛まれ絶命しかけているシマウマ、薄れゆく意識の中、「あの時この道を選ばなければ、今ここで死ぬことはなかったのに」と悔やんでいるのかどうか。おそらく、そんなことは考えないだろう。野生の動物たちは、「if」を考えず、常に"今"だけを生きている。人間とは大きく違うところだ。
あのとき、「もし」、いくら好みのオンナであっても素知らぬふりをして指名をせず、我慢していたらどうなっていたのか、こんなことにはならなかったのではないかとも思う。Mがどういういきさつで兄貴の店を選んだのか分からないが「もし」俺の店に面接に来ていたらどうなっていたのだろうか。愛くるしい笑顔にやられて俺はすっかり骨抜きにされていたのだろうか。それとも、冷静さを保ち、彼女はどこまでいってもキャストの一人だと思い続けていたのだろうか。
考えたらきりがない、「if」の連続だ。
その後、Mがどうなったかは分からない。あれから20年近く経った今、Mの消息はまったくわからない。辿る手段もない、あれっきりだ。兄貴も亡くなり地下に眠る。
願わくば昔のことは忘れ、まともな男と結婚をして幸せな家庭を築き、平和に暮らしていて欲しいと思うが、好戦的な性格に加え、シンナーにどっぷりハマった女だ、しかも見た目も抜群によい、手練手管の不良連中が放っておかないだろうなとも思う。都合のいい道具として使われ、最後はボロ雑巾のように捨てられる、こんな悲惨な目にはあって欲しくないがわからない。したたかに荒波を乗り越え飄々と"今"を生きてさえいればそれでいいが、すべてが「if」でしかない。
完
なんでもMは俺と付き合っており、私に歯向かうと夢幻のオーナーが黙っていない、私は夢幻の幹部会議にも参加している、あんたらなんかなんとでもなる、だから私の言うことを聞けと、そうMちゃんがいって困る、こんな苦情が他のキャストから兄貴に寄せられた。
しかも人気があるキャストと出勤が重ならないよう、Mが裏で手を回してキャストの出勤日時を自ら差配していたとのことだ。
愕然とした。兄貴の店のキャストが俺に対してよそよそしくなった意味がこれで分かった。下手なことをいってMの耳に入るのを恐れたのだ。なんたる不覚。
確かに兄貴の店のドライバーと俺の店のドライバーは月に二度集まって会議をしていた。
だが、ここに女性のスタッフは一人もいない。兄貴、俺、各店の店長、及びドライバー、全員が男だ。キャストが入り込む余地などない。また、仮にMと俺が本当に付き合っていたとしても兄貴の店のキャストに対してなにかするといった越権行為はあるはずがなく、兄貴の店の人事権に俺はまったく無力だ、口をはさむ余地すらない。
事の発端は俺がMを指名したことから始まる。そういう意味では道義的な責任なら確かにあるだろう。
ただ、くり返しになるが俺はプライベートでMと個人的に会ったのは偶然水戸駅で会った一回だけ、その一回も軽く立ち話をして数分後に別れた、酒どころか、スタバにすら行っていない、それだけだ。
こんな綺麗な子と付き合えたらいいなと思ったことがないといえば嘘になるが、そこは一線を引いていた。どこまでいっても兄貴の店のキャストとしか見ていない。またそう見るべきだと自分をきつく戒めた。
それゆえ、Mを買っても、今度酒を飲みに行こうだとか、休みの日に遊びに行こうと、誤解を生むようなことはなにもいっていないはずだ。唯一あるのは兄貴の店で誰ひとり買ったことがないのにMだけを買ってしまった、これだけだ。これをMは自分が特別視されていると思ったか。
落ち込んだ。まさか、アイツがこんな女だったとは……、Mの不行状もそうだが、己の人の見る目のなさにも嫌気が差した。今更、兄貴に頭を下げて済む話ではないが、軽い気持ちで自分好みのキャストの一人を買って遊んだだけのつもりだった。少なくとも俺のなかでの意識はそう。
ただ、ひとつだけどうしても解せず、知りたいことがあった。
Mが俺と付き合っていると吹聴するあの行為だ。じゃあ、本当に付き合おうといえばMは付き合ったのだろうか。俺に幾ばくかの恋心でもあったのか。それとも冗談じゃない、なんであんたみたいな不出来な男と私が付き合うのよ、都合がいいから利用させてもらっただけよと、鼻で笑われただけか。
今となってはそれも分からず仕舞いだ。
兄貴はMを呼び出し、最後通牒することなくさっさと厄介払いをしてしまった。兄貴はふだんやさしいがこういうところは人一倍厳しい。すべてが明るみに出た以上、Mに抗弁する余力はなかった。すんなり受け入れたという。クビになったところでよしんば店を変えればいいと腹の中では舌を出し笑っていたかもしれない。もちろんその場に俺はいない。これで完全にMとの縁は切れた。
チャゲアスのヒットナンバーに「if」という歌がある。
「たとえばもしも僕じゃなくて、誰かを愛した君がいて名前も知らずにいたならどうするって?哀しいお話しが好きだな、キスの側で星の歴史さえも変えながら朝には横に居る」、この一小節が心にしみる。
人生は「if」の連続だ。
考えたところで意味がないのに、あのときああしておけばと人は考え、いつの時代も思い悩む。
ライオンに喉元を噛まれ絶命しかけているシマウマ、薄れゆく意識の中、「あの時この道を選ばなければ、今ここで死ぬことはなかったのに」と悔やんでいるのかどうか。おそらく、そんなことは考えないだろう。野生の動物たちは、「if」を考えず、常に"今"だけを生きている。人間とは大きく違うところだ。
あのとき、「もし」、いくら好みのオンナであっても素知らぬふりをして指名をせず、我慢していたらどうなっていたのか、こんなことにはならなかったのではないかとも思う。Mがどういういきさつで兄貴の店を選んだのか分からないが「もし」俺の店に面接に来ていたらどうなっていたのだろうか。愛くるしい笑顔にやられて俺はすっかり骨抜きにされていたのだろうか。それとも、冷静さを保ち、彼女はどこまでいってもキャストの一人だと思い続けていたのだろうか。
考えたらきりがない、「if」の連続だ。
その後、Mがどうなったかは分からない。あれから20年近く経った今、Mの消息はまったくわからない。辿る手段もない、あれっきりだ。兄貴も亡くなり地下に眠る。
願わくば昔のことは忘れ、まともな男と結婚をして幸せな家庭を築き、平和に暮らしていて欲しいと思うが、好戦的な性格に加え、シンナーにどっぷりハマった女だ、しかも見た目も抜群によい、手練手管の不良連中が放っておかないだろうなとも思う。都合のいい道具として使われ、最後はボロ雑巾のように捨てられる、こんな悲惨な目にはあって欲しくないがわからない。したたかに荒波を乗り越え飄々と"今"を生きてさえいればそれでいいが、すべてが「if」でしかない。
完