if vol.4 【R-15指定】
- 2023/11/02
- 12:47
その後、兄貴から連絡があった。
「悪いんだけど、Mを指名してくれないか」
時折、あまりにも店が暇すぎて知り合いに声を掛ける風俗店のオーナーや店長がいるがどうやらそれとも違うらしい。だいたい兄貴の店は忙しい。
「どうかしましたか」
「あいつ、やっぱりシンナーやってるっぽいんだよ、本人は絶対やってないって言い張るんだけどさ。金はいいから、会って確かめてくれないか」
「そういうことでしたらわかりました。金はちゃんと払います、それとなくMにあたってみますね」
「頼むわ」
前回の逢瀬から約一ヶ月が経過している。しかし、高揚感は全くない。むしろ、間諜のような行動に少し罪悪感を覚える。完全に見知らぬ相手であれば、なにも感じないが、一度でも心を奪われた女を疑うのはどこか気分が晴れない。心は重たい曇り空のようだ。そう思い至ると、俺は知らず知らずMに対して少なからず恋心を抱いていたのかと、今さらながらに驚いた。
ホテルで待っていると、「ごめんねぇ、待った?」、ほぼ定刻通りにMが入ってくる。俺に後ろめたさがあるからだろう、笑顔が痛い。
「先に金払っておくわ」
所定のプレイ料金を支払う。まさか、Mも探りを入れられるために俺が放たれたとは思っていまい。それだけに俺も心苦しい。元来こういう役割は苦手なのだ。
俺は先にシャワーを済ませていた。Mにシャワーを浴びてきなよと促す。他のお客であればそうはしないのだろうが、相手は俺だ、無造作にバッグがソファに置かれていた。だがさすがに覗くのもどうかと思い、バッグの中を見るのはやめた。信頼して置いていったものをいくら間諜であるとはいえ裏切りたくはなかった。
シャワーを浴びたMがバスタオルを巻いて浴室から出てきた。相変わらず美しかった。艶やかでなめかしくもある。高揚感は皆無といっておきながらいざそのセミヌードを目の当たりにすると欲情してしまうのは男の悲しいさが。バスタオルを無理やり剥ぎ取り、ベッドに押し倒し、Mの体をむさぼった。Mは細身の体ながら形の良いバストが自慢だ。抱き心地のよさは相変わらずだ。しっかりとMもこちらの要望に応えてくれる。色白の肌が紅潮し、淡い吐息が漏れる。力強くか細い体を抱きしめる。互いを激しく求めあった。肌が合い、俺たちはひとつになった。いつぞや、食傷気味といったのが嘘のよう。
問題は懸念材料であるシンナーだ。結論からいうとはっきり「クロ」。Mはプレイ前に歯を磨いてた。それなのに吐息から漏れる香りが歯磨き粉のミント香ではなく、独特のセメダイン臭、つまりシンナーだ。
もはや除光液は通じない。ハッキリと口の中から匂った。
ただ、直接シンナーについては聞けなかった。聞けば俺を怪しむだろうし、聞いたところではぐらかされるに決まっている。その代わり、「最近変わったことはない?」、「俺も新しいことを始めてみたいがなにかいいものはあるかな?」と、遠回しに探りを入れたが、「ないよ~、あったら私、こういう仕事してないもん」と枕元で笑う。「そうだよな~」といって俺も会話に蓋をした。「ありがとう、また指名するわ」といってMを部屋から帰した。
Mが去ったラブホテルの一室、ひとりでいると気持ちが沈んでしまった。先ほどのしとねが欲情を発散させるためだけのものではなく、一瞬かも知れないが本当にMを愛おしいと思っただけに悔しさはひとしおだ。
どうしてアイツはこんな愚かなことをしてしまったのだろうか、怒りに似た感情がふつふつとわき上がってくる。ドラッグとはまるで無縁、シンナーが骨や歯を溶かし、脳を萎縮させるといったステレオタイプの情報しか持っていないが、あながち嘘ではないだろう。シンナーの過剰摂取で廃人になった人間の話を幾度も聞いたことがある。
ホテルを出て、兄貴に電話を入れた。
「やはり、シンナーをやってますね。前回よりもむしろ臭いがキツかったです。ただ、警戒しているのか、Mも本当のことはなにも言いませんでした」
「そうか、ありがとう、こっちも色々考えなくちゃなんねぇな」と兄貴の声がいつになく寂しげだ。
翌日、付き合いのある刑事の携帯に電話を入れる。
刑事と違法フーゾクのオーナー、本来あってはならぬ関係かもしれないが、そこは残念ながら詳しく語れない。
「すいません、ちょっと聞きたいのですが、今時分、シンナーって流行っているんですか、知り合いの店の子がシンナーをやってるみたいなんです。ただ二十代半ば過ぎですよ、16、7ならともかく、いい年した大人がシンナーなんてやりますかね?」
「いま、実は大人のシンナーが流行っているんだわ。表には出ないから知られてないが結構俺らも捕まえている。意外だろ?」
「なるほど、自分は知っての通り、タバコすら吸わないもので、薬物関係にはまったく疎いんです。それにしても自分らの頃はシンナーなんて中学か高校までじゃないすか、時代が変わったんですね」
「で、どうする、事件にするか」
「ちょっと待ってください。こっちでかたをつけますんで。それでもし、どうしようもなくなったらそんときはお願いします」
「ああ、わかった」
大麻だ、覚せい剤だと、この世界では嫌でも聞かされるが、正直シンナーについては初めてだ。俺の感覚では、シンナーなど中高生がいたずら半分で手を出す、悪い遊びぐらいにしか思っていない。
しかし、これが現実だ。そもそも、シンナーをどこで手に入れるのか。今ならハッシュタグで検索すればすぐに見つかるだろうが、あの当時、TwitterやLINEはまだ存在しない。かろうじて利用できたのはMixiくらいだった。Mixiでの隠語を使った違法薬物の売買なんてあまり聞いたことがない。
直接、不良たちから買うとしても、果たして奴らがアラサーに差し掛かろうとしている女にシンナーを勧めるだろうか。勧めるとすれば、より利益の出る大麻や覚せい剤、LSDといったハードドラッグの方だろう。昔は、オロナミンCの瓶に入れて「C瓶」として売っていたが、重くて、匂いもあって、利益もそれほど大きくなく、扱いが面倒だった。だから直接ヤクザは売らず、売っていたのは準構(準構成員)と呼ばれる組に出入りしているチンピラか、不良に被れた高校生が仲間内で売りさばくぐらいであった。
それとも、Mには塗装屋にでも知り合いがいるのだろうか。
先の刑事に頼めば、すべてが明らかになるかもしれない。ただ、すべてを知れば、知らなくても良い事まで知ってしまうことの怖さがある。誤った考えかもしれないが、Mに手錠が掛けられるのは二度ならずも三度情交を結んだ相手だ、さすがにそれは忍びない。今になって気付いたが情もある、出来ることなら逮捕は避けたい。ましてや、兄貴の店のキャストだ。俺がそこまで深く関わる必要はない。後は流れに任せようと思い、今にも泣き出しそうな鉛色の空を見上げた。
つづく、次回最終回
「悪いんだけど、Mを指名してくれないか」
時折、あまりにも店が暇すぎて知り合いに声を掛ける風俗店のオーナーや店長がいるがどうやらそれとも違うらしい。だいたい兄貴の店は忙しい。
「どうかしましたか」
「あいつ、やっぱりシンナーやってるっぽいんだよ、本人は絶対やってないって言い張るんだけどさ。金はいいから、会って確かめてくれないか」
「そういうことでしたらわかりました。金はちゃんと払います、それとなくMにあたってみますね」
「頼むわ」
前回の逢瀬から約一ヶ月が経過している。しかし、高揚感は全くない。むしろ、間諜のような行動に少し罪悪感を覚える。完全に見知らぬ相手であれば、なにも感じないが、一度でも心を奪われた女を疑うのはどこか気分が晴れない。心は重たい曇り空のようだ。そう思い至ると、俺は知らず知らずMに対して少なからず恋心を抱いていたのかと、今さらながらに驚いた。
ホテルで待っていると、「ごめんねぇ、待った?」、ほぼ定刻通りにMが入ってくる。俺に後ろめたさがあるからだろう、笑顔が痛い。
「先に金払っておくわ」
所定のプレイ料金を支払う。まさか、Mも探りを入れられるために俺が放たれたとは思っていまい。それだけに俺も心苦しい。元来こういう役割は苦手なのだ。
俺は先にシャワーを済ませていた。Mにシャワーを浴びてきなよと促す。他のお客であればそうはしないのだろうが、相手は俺だ、無造作にバッグがソファに置かれていた。だがさすがに覗くのもどうかと思い、バッグの中を見るのはやめた。信頼して置いていったものをいくら間諜であるとはいえ裏切りたくはなかった。
シャワーを浴びたMがバスタオルを巻いて浴室から出てきた。相変わらず美しかった。艶やかでなめかしくもある。高揚感は皆無といっておきながらいざそのセミヌードを目の当たりにすると欲情してしまうのは男の悲しいさが。バスタオルを無理やり剥ぎ取り、ベッドに押し倒し、Mの体をむさぼった。Mは細身の体ながら形の良いバストが自慢だ。抱き心地のよさは相変わらずだ。しっかりとMもこちらの要望に応えてくれる。色白の肌が紅潮し、淡い吐息が漏れる。力強くか細い体を抱きしめる。互いを激しく求めあった。肌が合い、俺たちはひとつになった。いつぞや、食傷気味といったのが嘘のよう。
問題は懸念材料であるシンナーだ。結論からいうとはっきり「クロ」。Mはプレイ前に歯を磨いてた。それなのに吐息から漏れる香りが歯磨き粉のミント香ではなく、独特のセメダイン臭、つまりシンナーだ。
もはや除光液は通じない。ハッキリと口の中から匂った。
ただ、直接シンナーについては聞けなかった。聞けば俺を怪しむだろうし、聞いたところではぐらかされるに決まっている。その代わり、「最近変わったことはない?」、「俺も新しいことを始めてみたいがなにかいいものはあるかな?」と、遠回しに探りを入れたが、「ないよ~、あったら私、こういう仕事してないもん」と枕元で笑う。「そうだよな~」といって俺も会話に蓋をした。「ありがとう、また指名するわ」といってMを部屋から帰した。
Mが去ったラブホテルの一室、ひとりでいると気持ちが沈んでしまった。先ほどのしとねが欲情を発散させるためだけのものではなく、一瞬かも知れないが本当にMを愛おしいと思っただけに悔しさはひとしおだ。
どうしてアイツはこんな愚かなことをしてしまったのだろうか、怒りに似た感情がふつふつとわき上がってくる。ドラッグとはまるで無縁、シンナーが骨や歯を溶かし、脳を萎縮させるといったステレオタイプの情報しか持っていないが、あながち嘘ではないだろう。シンナーの過剰摂取で廃人になった人間の話を幾度も聞いたことがある。
ホテルを出て、兄貴に電話を入れた。
「やはり、シンナーをやってますね。前回よりもむしろ臭いがキツかったです。ただ、警戒しているのか、Mも本当のことはなにも言いませんでした」
「そうか、ありがとう、こっちも色々考えなくちゃなんねぇな」と兄貴の声がいつになく寂しげだ。
翌日、付き合いのある刑事の携帯に電話を入れる。
刑事と違法フーゾクのオーナー、本来あってはならぬ関係かもしれないが、そこは残念ながら詳しく語れない。
「すいません、ちょっと聞きたいのですが、今時分、シンナーって流行っているんですか、知り合いの店の子がシンナーをやってるみたいなんです。ただ二十代半ば過ぎですよ、16、7ならともかく、いい年した大人がシンナーなんてやりますかね?」
「いま、実は大人のシンナーが流行っているんだわ。表には出ないから知られてないが結構俺らも捕まえている。意外だろ?」
「なるほど、自分は知っての通り、タバコすら吸わないもので、薬物関係にはまったく疎いんです。それにしても自分らの頃はシンナーなんて中学か高校までじゃないすか、時代が変わったんですね」
「で、どうする、事件にするか」
「ちょっと待ってください。こっちでかたをつけますんで。それでもし、どうしようもなくなったらそんときはお願いします」
「ああ、わかった」
大麻だ、覚せい剤だと、この世界では嫌でも聞かされるが、正直シンナーについては初めてだ。俺の感覚では、シンナーなど中高生がいたずら半分で手を出す、悪い遊びぐらいにしか思っていない。
しかし、これが現実だ。そもそも、シンナーをどこで手に入れるのか。今ならハッシュタグで検索すればすぐに見つかるだろうが、あの当時、TwitterやLINEはまだ存在しない。かろうじて利用できたのはMixiくらいだった。Mixiでの隠語を使った違法薬物の売買なんてあまり聞いたことがない。
直接、不良たちから買うとしても、果たして奴らがアラサーに差し掛かろうとしている女にシンナーを勧めるだろうか。勧めるとすれば、より利益の出る大麻や覚せい剤、LSDといったハードドラッグの方だろう。昔は、オロナミンCの瓶に入れて「C瓶」として売っていたが、重くて、匂いもあって、利益もそれほど大きくなく、扱いが面倒だった。だから直接ヤクザは売らず、売っていたのは準構(準構成員)と呼ばれる組に出入りしているチンピラか、不良に被れた高校生が仲間内で売りさばくぐらいであった。
それとも、Mには塗装屋にでも知り合いがいるのだろうか。
先の刑事に頼めば、すべてが明らかになるかもしれない。ただ、すべてを知れば、知らなくても良い事まで知ってしまうことの怖さがある。誤った考えかもしれないが、Mに手錠が掛けられるのは二度ならずも三度情交を結んだ相手だ、さすがにそれは忍びない。今になって気付いたが情もある、出来ることなら逮捕は避けたい。ましてや、兄貴の店のキャストだ。俺がそこまで深く関わる必要はない。後は流れに任せようと思い、今にも泣き出しそうな鉛色の空を見上げた。
つづく、次回最終回