ライブとはアーティストとファンが一堂に会し、魂のぶつかり合いを果たす。
しかし、先日行われた山崎まさよしの水戸公演は、その原点を見失ったかのような様子であったという。彼の「歌うってしんどい」や「今日はお客さんと話がしたい」との発言が波紋を呼び、会場は怒号と不満の声で騒然となった。
アーティストとしての彼に問いたい、自らのライブを客観的にどう評価しているのか、またそのライブに来るファンを真心から喜ばせようという意識があったのか。
かつて氷室京介のライブに足を運んだことがある。当日、彼は風邪で声がかれていたが、それでも彼の熱意やファンを大切に思う気持ちは確実に伝わってきた。持ち前の高音が出ずガラガラ声であっても怒号はおろか、席を立つ人すらいない。必死に歌う、彼の熱い思いにほだされた。不満など微塵もなかった。
ライブとは一期一会の場。それぞれの公演で繰り広げられる一つ一つの瞬間が、アーティストにとってもファンにとってもかけがえのないものである。
中には山崎のトークを楽しみにしていたファンもいるとは思う。しかし、多くのファンは彼の歌声を求め、ライブに足を運んでいる。
ライブに訪れる人のなかには苦しい家計や少ないお小遣いをなんとかやり繰りしてライブに足を運ぶファンもいるだろう。夫や義父母の顔色を伺い、やっとの思いで来場する人もいるはずだ。日常の喧騒を暫し忘れるためのひと時がライブである人もいるだろう、そのひと時がストレスでしかなかったのであればいったいなんのためのライブなのか。
本来、特別な時間であったはずなのに肩を落として帰路につく、そこにあるのがライブの高揚感から連なる心地よい余韻ではなく、悲しさ、悔しさ、虚しさ、怒りであるのなら、ファンはやるせない気持ちでいっぱいだ。
アーティストの魅力は音楽や歌声だけでなく、その背後にある信念やスタイル、そしてファンへの感謝の気持ち。ライブはそのすべてが交錯する場である。
プロとしてのステージに立つことは、単に音楽を「聴かせてやる」行為に過ぎない。だが、当然、それに伴う誇り、そしてファンへの深い感謝や熱情が必要だ。歌を楽しむためだけなら、確かにCDで十分。ライブにはCDにない独特の魅力、熱気、そして共鳴が存在する。そのライブの特別な空気や瞬間を大切にしないのはアーティストとして失格だ。
>>ゆい^^ちゃん
10年後は生成AIがあって当たり前の時代になると思います。別に誰も生成AIだとすら意識をしない時代になると思います。今はちょうどその過渡期なんじゃないかな。当たり前の時代になってからでは遅すぎるので俺は今、積極的に生成AIを取り入れて優位に立ち回ろうと思っています。