意味のない議論はやめたほうがいいのでは?
- 2023/07/19
- 15:38
一昨年末から今年の初めにかけ、筋膜性疼痛症候群に苦しんだ。もう何回も書いているが猛烈な背中の痛み。深夜の2時、3時になると決まって背中に痛みが走り、飛び起きる。肩甲骨の左下を木づちで殴られるかのような重く鈍い痛み。明確な治療法は今ところない。それどころか、医師によってはレントゲンにもMRIにも映らないため、単なる疲労性、若しくは加齢性のコリと片付ける人もいる、事実いた。
幸い、筋膜性疼痛症候群に理解力ある医師に出会い、筋膜リリースといわれる凝り固まって癒着した筋膜に生理食塩水を注入して、物理的に筋膜を剥がす新しい治療法と(この治療法に否定的な医師も多い)、ストレッチを取り入れた接骨院に通うことで劇的に良くなった。ピーク時の痛みが10だとすると今は日によって異なるが1か2。完治ではないが、夜中に飛び起きることはなくなった。無理にひねると痛いが普段の生活には支障がないレベルにまで回復した。
なにも筋膜性疼痛症候群の治療法を紹介するのではない。
たまたま、自分にはこの治療法が合っていたのであり、これが筋膜性疼痛症候群に苦しむすべての人に当てはまるかといわれたら当てはまる人もいればまったく効果がない人もいるだろう。或いは逆効果の人もいるかもしれない。また、俺が激痛だと思っていてもその痛みも感じ方は人それぞれ、俺が感じている以上に痛みを感じる人もいれば、大した痛みじゃないと首をひねる人もいるだろう。
所詮、痛みの感じ方などそんなもの。
誹謗中傷の感じ方も同様。ひどく刺さる人もいればなんとも思わない人もいる。
かくいう俺も、過去、散々2ちゃんねる(現5ちゃんねる)、その他の掲示板で誹謗中傷を受けたが、だからといって自殺をしようとはまったく思いもしなかった。
そもそも誹謗中傷から自殺するという発想そのものがなかった。確かにイラっとはするものの、せいぜい書いている奴を見つけたらただじゃおかねぇと思う程度でそこから転じて死のうとはゆめゆめ思いもしなかった。おかしなもので誹謗中傷が増えれば増えるほど伴って客も増えた。まったく誹謗中傷のない風俗店は不思議なもので客足も鈍く、叩かれまくっている店の方が却って忙しいといった逆転現象が風俗の世界では当たり前であった。それゆえ、誹謗中傷は人気のバロメーターとして捉えていた。今は知らんが。
もちろん、世の中には誹謗中傷が原因で死のうと考えたり、死んでしまう人がいる。まったく心情的には理解出来ないが、自殺が起き得る一つの客観的な事象としては理解している。
誹謗中傷が心に刺さってしまい死のうと思っている人に対して、誹謗中傷など取るに足らないと励ますのはなんの意味もない。本人には十分取るに足るのだ。
痛みに強い人が筋膜性疼痛症候群の痛みなど全然大したことがないと言っても、俺は事実痛いのだ。痛みに対して耐性のある人とあまりない人がいる。同じ症状でも感じ方はそれぞれだ。俺がいっているのが正しくて、筋膜性疼痛症候群の痛みなど平気へっちゃらといっている人が嘘つきといった話ではない。各々が真実。
誹謗中傷も同様、同じ内容の誹謗中傷を受けても感じ方は人それぞれ、死んでしまう人もいればイライラするだけという人もいる、或いはなんとも思わない人もいる。突き詰めるとこれだけの話。
そこを議論するのは時間の無駄でしかない。落ち込んでしまう人に落ち込むなといってもそれは無理な相談。どうやっても落ち込んでしまうため、なんの意味もない。痛みの感じ方同様、そもそもの持って生まれた遺伝子上の違いもあるかもしれない。培ってきた経験と遺伝子が複雑に絡み合ってその人の人格を形成する。誹謗中傷が原因で自殺する人はたまたま形成された人格が打たれ弱い人であっただけとしか思えない。
その打たれ弱い人に対して心を強く持てといったところで持てるはずなどない。言われて持てるぐらいならとっくに持っている。逆説的にいえば持てないからこそ、死んでしまうのだ。
逆上がりが出来ない人になんでこんな簡単なこともできないのと不思議がっても出来ないものは出来ない。練習することでコツを掴み、克服する人もいるにはいるが出来ない人は永久に出来ない。誹謗中傷も同じ。耐性のない人は永久に耐性がつかず、悩み続けて最期は死んでしまうか、うつ病を患ったりする。
せめてもの抑止は普段から反感を買うような言動や突飛な格好はしない。SNSそのものをしないといったところじゃないか。誹謗中傷をする人が悪い、どうやったら誹謗中傷をネット上からなくすかといった議論は世の中にはどうして泥棒がいるのだろうと思い悩むのと同じであまり意味はない。
幸い、筋膜性疼痛症候群に理解力ある医師に出会い、筋膜リリースといわれる凝り固まって癒着した筋膜に生理食塩水を注入して、物理的に筋膜を剥がす新しい治療法と(この治療法に否定的な医師も多い)、ストレッチを取り入れた接骨院に通うことで劇的に良くなった。ピーク時の痛みが10だとすると今は日によって異なるが1か2。完治ではないが、夜中に飛び起きることはなくなった。無理にひねると痛いが普段の生活には支障がないレベルにまで回復した。
なにも筋膜性疼痛症候群の治療法を紹介するのではない。
たまたま、自分にはこの治療法が合っていたのであり、これが筋膜性疼痛症候群に苦しむすべての人に当てはまるかといわれたら当てはまる人もいればまったく効果がない人もいるだろう。或いは逆効果の人もいるかもしれない。また、俺が激痛だと思っていてもその痛みも感じ方は人それぞれ、俺が感じている以上に痛みを感じる人もいれば、大した痛みじゃないと首をひねる人もいるだろう。
所詮、痛みの感じ方などそんなもの。
誹謗中傷の感じ方も同様。ひどく刺さる人もいればなんとも思わない人もいる。
かくいう俺も、過去、散々2ちゃんねる(現5ちゃんねる)、その他の掲示板で誹謗中傷を受けたが、だからといって自殺をしようとはまったく思いもしなかった。
そもそも誹謗中傷から自殺するという発想そのものがなかった。確かにイラっとはするものの、せいぜい書いている奴を見つけたらただじゃおかねぇと思う程度でそこから転じて死のうとはゆめゆめ思いもしなかった。おかしなもので誹謗中傷が増えれば増えるほど伴って客も増えた。まったく誹謗中傷のない風俗店は不思議なもので客足も鈍く、叩かれまくっている店の方が却って忙しいといった逆転現象が風俗の世界では当たり前であった。それゆえ、誹謗中傷は人気のバロメーターとして捉えていた。今は知らんが。
もちろん、世の中には誹謗中傷が原因で死のうと考えたり、死んでしまう人がいる。まったく心情的には理解出来ないが、自殺が起き得る一つの客観的な事象としては理解している。
誹謗中傷が心に刺さってしまい死のうと思っている人に対して、誹謗中傷など取るに足らないと励ますのはなんの意味もない。本人には十分取るに足るのだ。
痛みに強い人が筋膜性疼痛症候群の痛みなど全然大したことがないと言っても、俺は事実痛いのだ。痛みに対して耐性のある人とあまりない人がいる。同じ症状でも感じ方はそれぞれだ。俺がいっているのが正しくて、筋膜性疼痛症候群の痛みなど平気へっちゃらといっている人が嘘つきといった話ではない。各々が真実。
誹謗中傷も同様、同じ内容の誹謗中傷を受けても感じ方は人それぞれ、死んでしまう人もいればイライラするだけという人もいる、或いはなんとも思わない人もいる。突き詰めるとこれだけの話。
そこを議論するのは時間の無駄でしかない。落ち込んでしまう人に落ち込むなといってもそれは無理な相談。どうやっても落ち込んでしまうため、なんの意味もない。痛みの感じ方同様、そもそもの持って生まれた遺伝子上の違いもあるかもしれない。培ってきた経験と遺伝子が複雑に絡み合ってその人の人格を形成する。誹謗中傷が原因で自殺する人はたまたま形成された人格が打たれ弱い人であっただけとしか思えない。
その打たれ弱い人に対して心を強く持てといったところで持てるはずなどない。言われて持てるぐらいならとっくに持っている。逆説的にいえば持てないからこそ、死んでしまうのだ。
逆上がりが出来ない人になんでこんな簡単なこともできないのと不思議がっても出来ないものは出来ない。練習することでコツを掴み、克服する人もいるにはいるが出来ない人は永久に出来ない。誹謗中傷も同じ。耐性のない人は永久に耐性がつかず、悩み続けて最期は死んでしまうか、うつ病を患ったりする。
せめてもの抑止は普段から反感を買うような言動や突飛な格好はしない。SNSそのものをしないといったところじゃないか。誹謗中傷をする人が悪い、どうやったら誹謗中傷をネット上からなくすかといった議論は世の中にはどうして泥棒がいるのだろうと思い悩むのと同じであまり意味はない。