経営者がマスクを外せと強要するのはおかしいと思う
- 2023/05/01
- 11:12
星野リゾートグループでは5月8日以降全従業員がマスクを外して接客をすると代表の星野佳路氏が自身のツイッターを更新。このアナウンスに「もう行きません」とマスク着用派が猛反発。
問題は猛反発をするマスク着用派ではなく、全従業員にマスクを外させる経営者側の対応、こちらの方が問題だ。マスク着用派が星野リゾートを利用するしないはマスク着用派が自身で決めればよく、従業員がマスクをしないのは不謹慎だと思うのであれば星野リゾートに行かなければいい、観光客には星野リゾートを利用しない自由が与えられている。ただそれだけの話。
マスクは決して制服じゃない、メガネや補聴器とまでは言わぬもののどちらかといえば医療機器に近い。それを経営者が一方的に外せと命ずるのは如何なものか。この3年、人々の生活様式は大きく変わった。コロナ脳といってしまえばそれまでだが、マスクがないと恐怖心が芽生え、人前に立てない人が一定数いると思われる。マスク着用によってはじめて心を平穏無事に保てる人がいるはずだ。科学的な論拠とは別の次元の話、むしろ精神的な話。
コロナが5類に変わった、ではすぐに生活様式をコロナ前に戻しましょうと言われても戸惑う人も大勢いる。その戸惑いを命令によって無理やり取り除こうとするのは経営者の傲慢とはいえないか。荒療治がいい方向に向かえば結構だが、従業員の精神に支障をきたすようでは本末転倒だ。
マスクを外すと自分が病気になってしまう、もちろん強迫観念ではある。その強迫観念はかぼちゃの馬車に乗ったシンデレラじゃあるまいし、日付が0時に変わった途端、霧消してしまう人ばかりじゃない。だからこその強制なのかもしれないが、ジェンダーレス化については寛容であってもこういう目の前の現実に関してはすこぶる厳しい。
個人的にはマスク非着用派だ。医療機関に出向くとき以外、基本的にマスクはしない。しかしマスク着用で精神の安寧を保っている人を糾弾するつもりなど微塵もない。同時にマスクをしないのを他人からあれこれ言われる筋合いもない。接客業だから笑顔が見えないといけない、確かに理屈であるがすべてではない。おどおどされるぐらいならマスクをしてしっかり接客をされた方が嬉しい。こういう人たちは「お前のメガネは不快だからコンタクトレンズにしろ」とでもいうのか。
喩えが飛躍するが、戦後、民主主義が一気に広まった、特に平成生まれは学校でそう教わったはず。
しかしながら、昭和生まれであると疑問を呈せずにはいられない。
昭和五十年ぐらいまでだと教員のなかにもまだまだ戦争を美化する人がいたのは事実。軍隊を退役して教員になった人も多い。今じゃ考えられないが平和を謳歌する一方、NHKの歌謡ショーでは俳優の鶴田浩二が軍歌である「同期の桜」を歌ったりもしていた。
戦争はいけないもの、悲惨なものと思っていても、どこか戦争に対して憧憬を抱いていた人が一定数存在していた。アラフィフ以上の人であれば同意はせずともなんとなく分かってもらえると思う。
太平洋戦争が終わるまで昭和の前半は戦争に明け暮れた。終戦になった8月15日を境に、新しい民主主義の創造に気持ちを切り替えようといったところでそれは無理な相談だ。コインの裏表のようにいきなりアメリカナイズされた民主主義を賛美する空気が生まれたわけではない。戦後をもはや戦後と呼ばなくなるまでには長い年月が掛かっている。
考え方はコロナも同じじゃないかと思う。この3年、寝ても覚めてもコロナだ。テレビニュースを見ればまずはコロナの感染者数の発表から始まる。平日は玉川徹が、日曜日は関口宏が連日コロナ、コロナと大騒ぎをしている。マスクをしないとまるで戦時中の非国民的な扱いを受けた。マスクの着用を巡り刃傷沙汰も少なくなかった。
突然気持ちを変えろと言われても脳がマスクをしなくてはいけないと思っているため、気持ちの整理が追いつかない。その気持ちを汲めない人が果たしておもてなしの心を利用客に与えることができるのか。
問題は猛反発をするマスク着用派ではなく、全従業員にマスクを外させる経営者側の対応、こちらの方が問題だ。マスク着用派が星野リゾートを利用するしないはマスク着用派が自身で決めればよく、従業員がマスクをしないのは不謹慎だと思うのであれば星野リゾートに行かなければいい、観光客には星野リゾートを利用しない自由が与えられている。ただそれだけの話。
マスクは決して制服じゃない、メガネや補聴器とまでは言わぬもののどちらかといえば医療機器に近い。それを経営者が一方的に外せと命ずるのは如何なものか。この3年、人々の生活様式は大きく変わった。コロナ脳といってしまえばそれまでだが、マスクがないと恐怖心が芽生え、人前に立てない人が一定数いると思われる。マスク着用によってはじめて心を平穏無事に保てる人がいるはずだ。科学的な論拠とは別の次元の話、むしろ精神的な話。
コロナが5類に変わった、ではすぐに生活様式をコロナ前に戻しましょうと言われても戸惑う人も大勢いる。その戸惑いを命令によって無理やり取り除こうとするのは経営者の傲慢とはいえないか。荒療治がいい方向に向かえば結構だが、従業員の精神に支障をきたすようでは本末転倒だ。
マスクを外すと自分が病気になってしまう、もちろん強迫観念ではある。その強迫観念はかぼちゃの馬車に乗ったシンデレラじゃあるまいし、日付が0時に変わった途端、霧消してしまう人ばかりじゃない。だからこその強制なのかもしれないが、ジェンダーレス化については寛容であってもこういう目の前の現実に関してはすこぶる厳しい。
個人的にはマスク非着用派だ。医療機関に出向くとき以外、基本的にマスクはしない。しかしマスク着用で精神の安寧を保っている人を糾弾するつもりなど微塵もない。同時にマスクをしないのを他人からあれこれ言われる筋合いもない。接客業だから笑顔が見えないといけない、確かに理屈であるがすべてではない。おどおどされるぐらいならマスクをしてしっかり接客をされた方が嬉しい。こういう人たちは「お前のメガネは不快だからコンタクトレンズにしろ」とでもいうのか。
喩えが飛躍するが、戦後、民主主義が一気に広まった、特に平成生まれは学校でそう教わったはず。
しかしながら、昭和生まれであると疑問を呈せずにはいられない。
昭和五十年ぐらいまでだと教員のなかにもまだまだ戦争を美化する人がいたのは事実。軍隊を退役して教員になった人も多い。今じゃ考えられないが平和を謳歌する一方、NHKの歌謡ショーでは俳優の鶴田浩二が軍歌である「同期の桜」を歌ったりもしていた。
戦争はいけないもの、悲惨なものと思っていても、どこか戦争に対して憧憬を抱いていた人が一定数存在していた。アラフィフ以上の人であれば同意はせずともなんとなく分かってもらえると思う。
太平洋戦争が終わるまで昭和の前半は戦争に明け暮れた。終戦になった8月15日を境に、新しい民主主義の創造に気持ちを切り替えようといったところでそれは無理な相談だ。コインの裏表のようにいきなりアメリカナイズされた民主主義を賛美する空気が生まれたわけではない。戦後をもはや戦後と呼ばなくなるまでには長い年月が掛かっている。
考え方はコロナも同じじゃないかと思う。この3年、寝ても覚めてもコロナだ。テレビニュースを見ればまずはコロナの感染者数の発表から始まる。平日は玉川徹が、日曜日は関口宏が連日コロナ、コロナと大騒ぎをしている。マスクをしないとまるで戦時中の非国民的な扱いを受けた。マスクの着用を巡り刃傷沙汰も少なくなかった。
突然気持ちを変えろと言われても脳がマスクをしなくてはいけないと思っているため、気持ちの整理が追いつかない。その気持ちを汲めない人が果たしておもてなしの心を利用客に与えることができるのか。