ぼくは管理人さんよりも朱美さん派です
- 2023/04/24
- 10:51
男は男らしく、女は女らしく、今のご時世、著名人がひとたびこんなことを言おうものならそこに悪意はなくとも総スカン、ひんしゅくを買う。
それなのに飲食店での支払いは男性がするべきだが根強い。最近ネットで話題になったのがプロポーズを女性からするのはおかしい論。飲食店の支払いもプロポーズも男性がすべきだと主張している女性はジェンダーレス化社会についていったいどう思っているのだろうか。それとこれとは別なのか。であれば随分都合のよい話だと思ってしまう。
私見を語れば飲食店の支払いは原則男性がするものと思っているが、5回に1回ぐらいはいつもご馳走になっているから今日は私が出すねといって欲しい、金じゃなく気持ちが欲しい。プロポーズはケースバイケースだと思う。女性の方から、「結婚してやるよ」と言われてもいい。めぞん一刻では姉御肌の六本木朱美が確かそんな感じのことをいって勤め先であるスナックのマスターと結婚したように記憶する。ちなみに俺は音無さんより朱美さん派。サバサバした男っぽい女性を見るとキュンキュンする。
なにもジェンダーレス化、すべてを否定しているのではない。
最近は女子高生が制服でズボンを履くようになった。通っている高校にも拠るのだろうが街中でもよく見かける。スカートを履きたい生徒は今まで通り履けばいいし、ズボンを履きたい生徒はズボンを履けばいい、そういう選択肢はあっていい。だからといって男子生徒がスカートを履くのはダメだ。おかしくはないし、矛盾もしていない。
ライオンのオスは基本的に狩りをしない。狩りはもっぱらメスライオンの役目。オスは群れの中で偉そうにふんぞり返り、メスが獲ってきた獲物を我先にと一番初めに食う。メスライオンは自分で獲った獲物にも関わらずオスのおこぼれを預かる。カマキリや蜘蛛の仲間の多くはオスよりもメスの方がひと回り大きく、オスは無残にも交尾のあとメスに食べられてしまう(逃げてしまうオスもいるが)。アリやハチは女王主体のコミュニティを作り、集団生活を営む。働き蜂(アリ)は終生女王に尽くす。それ以外に生きる術はない。
これが自然の摂理だ。良いも悪いもない。むろんジェンダーレスといった概念など微塵もない。羽根の綺麗な孔雀はすべてオス、メスの孔雀が私も派手な羽根が欲しいといくらそう願ったところでそれは叶わぬ夢。
人と動物は違う、その通りかもしれない。ただ、人は人である以前に動物の一種だ。別に他人からなにを言われようともこれまでのスタイルは変えないし、変えるつもりはない。その結果、ひんしゅくを買って男女を問わず、人が離れていってしまっても構わない。俺の人生は俺のためだけにある。誰にも迷惑を掛けず、俺が満足ならどんなに偏った考えであろうともそれが正解。
昭和の香りが色濃く残る木造、古アパートの二階、くわえタバコをした女性が窓を開け、半身を窓の外に乗り出し、気怠そうにサッシの縁に寄りかかっている。覇気もなければ化粧っ気もない初夏の昼下がり。眼下にはキャッキャッと戯れている下校中の小学生たち。くゆらす紫煙の先の日差しは眩しいが蝉の声はまだない。そこで外を見ながらボソリ、「あんたと結婚してやるよ」、そう言われたい。夢だ。引っ越すか、昭和の古アパートに。アパートの名は一刻館。
それなのに飲食店での支払いは男性がするべきだが根強い。最近ネットで話題になったのがプロポーズを女性からするのはおかしい論。飲食店の支払いもプロポーズも男性がすべきだと主張している女性はジェンダーレス化社会についていったいどう思っているのだろうか。それとこれとは別なのか。であれば随分都合のよい話だと思ってしまう。
私見を語れば飲食店の支払いは原則男性がするものと思っているが、5回に1回ぐらいはいつもご馳走になっているから今日は私が出すねといって欲しい、金じゃなく気持ちが欲しい。プロポーズはケースバイケースだと思う。女性の方から、「結婚してやるよ」と言われてもいい。めぞん一刻では姉御肌の六本木朱美が確かそんな感じのことをいって勤め先であるスナックのマスターと結婚したように記憶する。ちなみに俺は音無さんより朱美さん派。サバサバした男っぽい女性を見るとキュンキュンする。
なにもジェンダーレス化、すべてを否定しているのではない。
最近は女子高生が制服でズボンを履くようになった。通っている高校にも拠るのだろうが街中でもよく見かける。スカートを履きたい生徒は今まで通り履けばいいし、ズボンを履きたい生徒はズボンを履けばいい、そういう選択肢はあっていい。だからといって男子生徒がスカートを履くのはダメだ。おかしくはないし、矛盾もしていない。
ライオンのオスは基本的に狩りをしない。狩りはもっぱらメスライオンの役目。オスは群れの中で偉そうにふんぞり返り、メスが獲ってきた獲物を我先にと一番初めに食う。メスライオンは自分で獲った獲物にも関わらずオスのおこぼれを預かる。カマキリや蜘蛛の仲間の多くはオスよりもメスの方がひと回り大きく、オスは無残にも交尾のあとメスに食べられてしまう(逃げてしまうオスもいるが)。アリやハチは女王主体のコミュニティを作り、集団生活を営む。働き蜂(アリ)は終生女王に尽くす。それ以外に生きる術はない。
これが自然の摂理だ。良いも悪いもない。むろんジェンダーレスといった概念など微塵もない。羽根の綺麗な孔雀はすべてオス、メスの孔雀が私も派手な羽根が欲しいといくらそう願ったところでそれは叶わぬ夢。
人と動物は違う、その通りかもしれない。ただ、人は人である以前に動物の一種だ。別に他人からなにを言われようともこれまでのスタイルは変えないし、変えるつもりはない。その結果、ひんしゅくを買って男女を問わず、人が離れていってしまっても構わない。俺の人生は俺のためだけにある。誰にも迷惑を掛けず、俺が満足ならどんなに偏った考えであろうともそれが正解。
昭和の香りが色濃く残る木造、古アパートの二階、くわえタバコをした女性が窓を開け、半身を窓の外に乗り出し、気怠そうにサッシの縁に寄りかかっている。覇気もなければ化粧っ気もない初夏の昼下がり。眼下にはキャッキャッと戯れている下校中の小学生たち。くゆらす紫煙の先の日差しは眩しいが蝉の声はまだない。そこで外を見ながらボソリ、「あんたと結婚してやるよ」、そう言われたい。夢だ。引っ越すか、昭和の古アパートに。アパートの名は一刻館。