男なら安目を売るべからず
- 2023/04/12
- 11:28
ホットペッパーグルメ外食総研が発表した調査報告がネットで盛り上がっている。お酒を飲めない人は居酒屋に行っても約二割が飲み物を注文しないそうだ。その理由は勿体ない。
ネット民(5ちゃんねる)の多くは「居酒屋で飲み物を頼むのはマナー、何も飲み物を頼まないのは非常識」であった。その分食べ物を注文すればいいだろうといった意見もあった。
マナーももちろんそうだが、男なら安目を売っていけない、これがまずある。外では格好をつけたい。仲間数人で居酒屋に行く。ハンドルキーパーであったり、或いは医者から止められており自分は飲めない。それでもウーロン茶かコーラぐらいは最低限注文をする。乾杯の時、無料のお冷ください、お通しもいりませんでは人としての貫目が安くみられてしまう。店に対してよりも、集まっている仲間から安く見られはしないかと考えてしまう。
これが「お食事だけの方でもお気軽にご利用ください」と書いてる居酒屋にご飯を食べに行くのであればノードリンクでも問題はない。しかし、食事を前提としない一般的な居酒屋であればアルコールを飲む飲まないは別にしてなにか飲み物を注文すべき。それは店のためでもあるが、他人から安く見られないようにする自分のためでもある。
昔は下戸(酒が体質的に飲めない人)が誰かを接待する時、予め店員さんに自分は酒が飲めないが、かといってまったく飲まないと場が興ざめしてしまうので自分がレモンサワーといったらレモンサワーの代金を支払うから炭酸水にレモンを入れて出してくれと、予め頼んでおく人がいた。粋だと思う。また、それが単なる炭酸水であるのをなにかの拍子で知ってしまっても接待する人の意を酌んで素知らぬふりをしてやるのも男の度量のひとつだ。
ジェンダーレス社会の実現に強い憂慮を抱いている。男は男らしく、女は女らしく、いくら時代に逆行しようとも一番しっくりくる。男が男らしくあるためにどうあるべきか。男なら決して安目を売ってはいけない、これに尽きる。簡単なようで難しくもある。男として安目を売ると「おかま野郎」と笑われる。おかま野郎と笑われるのは死ぬよりも苦しい、そういう生き方を自ら選んだ。
確かに金は有限であり、出来ること、出来ないことがある。昔からない袖は振れぬといわれる。格好をつけようにも金がなく、格好をつけられないときもある。そのときは場を辞するべき。一杯400円のウーロン茶、確かに高い。原価は業務用のものを使っているため、せいぜいしても数十円程度だろう。原価に対して数十倍以上の金を払わされる、金銭的な価値観は人それぞれであるからボッタクリと思うのも自由。
もし一杯400円のウーロン茶が高いと思って注文したくないのであれば初めから行かなければいいのだ。行かない自由は確実に存在する。仲間数人と居酒屋に行き、私は生ビール、僕はレモンサワー、私はハイボール、じゃあ自分は無料のお冷で、見事なまでのおかま野郎だ。安目を売るなといいたい。
中にはおかま野郎を見て、金銭感覚がしっかりした人だと評価する女性もいるかもしれないが、大半の女性はセコさに嫌気が差し、百年の恋も醒めるだろう。男から見てもそうだ、おかま野郎になにか大事な仕事を託せるかといえばとても託せない。
また、自分の金は出し渋るくせに人の金なら遠慮なくたかる習性があるのもおかま野郎の特徴だ。とにかくセコい。この手のセコ男が出世するかといえばまずしない。人望が決定的になさすぎる。なにものべつ幕無しに散財する必要はない。出すべきところは出す。ただそれだけだ。徳川家康が吝嗇家(りんしょくか=ケチ)であったのは有名な話だが、接待や贈り物をするときの家康は誰よりも大金を投じた。締めるべきところと遣うべきところをキッチリ分けていた。見習うべきだと思う。
ネット民(5ちゃんねる)の多くは「居酒屋で飲み物を頼むのはマナー、何も飲み物を頼まないのは非常識」であった。その分食べ物を注文すればいいだろうといった意見もあった。
マナーももちろんそうだが、男なら安目を売っていけない、これがまずある。外では格好をつけたい。仲間数人で居酒屋に行く。ハンドルキーパーであったり、或いは医者から止められており自分は飲めない。それでもウーロン茶かコーラぐらいは最低限注文をする。乾杯の時、無料のお冷ください、お通しもいりませんでは人としての貫目が安くみられてしまう。店に対してよりも、集まっている仲間から安く見られはしないかと考えてしまう。
これが「お食事だけの方でもお気軽にご利用ください」と書いてる居酒屋にご飯を食べに行くのであればノードリンクでも問題はない。しかし、食事を前提としない一般的な居酒屋であればアルコールを飲む飲まないは別にしてなにか飲み物を注文すべき。それは店のためでもあるが、他人から安く見られないようにする自分のためでもある。
昔は下戸(酒が体質的に飲めない人)が誰かを接待する時、予め店員さんに自分は酒が飲めないが、かといってまったく飲まないと場が興ざめしてしまうので自分がレモンサワーといったらレモンサワーの代金を支払うから炭酸水にレモンを入れて出してくれと、予め頼んでおく人がいた。粋だと思う。また、それが単なる炭酸水であるのをなにかの拍子で知ってしまっても接待する人の意を酌んで素知らぬふりをしてやるのも男の度量のひとつだ。
ジェンダーレス社会の実現に強い憂慮を抱いている。男は男らしく、女は女らしく、いくら時代に逆行しようとも一番しっくりくる。男が男らしくあるためにどうあるべきか。男なら決して安目を売ってはいけない、これに尽きる。簡単なようで難しくもある。男として安目を売ると「おかま野郎」と笑われる。おかま野郎と笑われるのは死ぬよりも苦しい、そういう生き方を自ら選んだ。
確かに金は有限であり、出来ること、出来ないことがある。昔からない袖は振れぬといわれる。格好をつけようにも金がなく、格好をつけられないときもある。そのときは場を辞するべき。一杯400円のウーロン茶、確かに高い。原価は業務用のものを使っているため、せいぜいしても数十円程度だろう。原価に対して数十倍以上の金を払わされる、金銭的な価値観は人それぞれであるからボッタクリと思うのも自由。
もし一杯400円のウーロン茶が高いと思って注文したくないのであれば初めから行かなければいいのだ。行かない自由は確実に存在する。仲間数人と居酒屋に行き、私は生ビール、僕はレモンサワー、私はハイボール、じゃあ自分は無料のお冷で、見事なまでのおかま野郎だ。安目を売るなといいたい。
中にはおかま野郎を見て、金銭感覚がしっかりした人だと評価する女性もいるかもしれないが、大半の女性はセコさに嫌気が差し、百年の恋も醒めるだろう。男から見てもそうだ、おかま野郎になにか大事な仕事を託せるかといえばとても託せない。
また、自分の金は出し渋るくせに人の金なら遠慮なくたかる習性があるのもおかま野郎の特徴だ。とにかくセコい。この手のセコ男が出世するかといえばまずしない。人望が決定的になさすぎる。なにものべつ幕無しに散財する必要はない。出すべきところは出す。ただそれだけだ。徳川家康が吝嗇家(りんしょくか=ケチ)であったのは有名な話だが、接待や贈り物をするときの家康は誰よりも大金を投じた。締めるべきところと遣うべきところをキッチリ分けていた。見習うべきだと思う。