ニュルニュル~
- 2023/04/07
- 14:08
誰かに評価されたいと思ってブログを書いているのではない。備忘録と自己満足のため。ただ、その自己満足がなかなか思うように得られず日々四苦八苦しているのが実情。
理由は分かっている。表現力のなさからくる自己嫌悪。語彙力が圧倒的に足りない、高卒の限界だと思う。気の利いた表現には当然相応の語彙力が求められるが、そもそも語彙を知らないためどうしても拙い表現になってしまう。それでも日々精進して、「あいつは高卒ながらもなかなかいい文章を書く」、そういわれるまで頑張りたい。
しかしながら、文章の持つ、わびさび、そして破壊力はなにも語彙力だけの問題でもない。
「A子の料理ってどんなかな?アワビにバナナをさしたやつ…」
「エックス線でもあてたろか? なに~、セックス線だって!」
「本番前のホンバン?バッカァ~!!生放送前のナマだよ~!!ニュルニュル~~~…」
「前から発注しとけ!言うてるやないか ママが具合悪いときに、エッチビデオは買えへんてか?エッチビデオは無理でもエッチはできるっちゅうんかい」
昨日謝罪会見を行った黒岩神奈川県知事が不倫相手に送ったメールだ。
なかなかの破壊力である。
黒岩知事といえばフジテレビ入社後は花形部署である報道局社会部に配属され、退職するまで報道畑を歩んだエリートだ。メールを見て、まず率直に感じたのは読んでいるこちらの方が恥ずかしくなるなの苦い思い。目を背けたくなる。教室の中でメモ紙にこっそりと書いた私小説、お調子者のクラスメイトに取り上げられ、みんなの前でヤーイ、ヤーイと読まれてしまう気恥ずかしさ。真っ赤な顔をして机に突っ伏す。まさにあの感覚といったらいいか。
かつて三島由紀夫は『春の雪』で濡れ場を、「清顕は聡子の裾をひらき、友禅の長襦袢の裾は、紗綾形(さやがた)と亀甲の雲の上をとびめぐる鳳凰の五色の尾の乱れを左右へはねのけて、幾重に包まれた聡子の腿を遠く窺わせた。しかし清顕は、まだ、まだ遠いと感じていた。まだかきわけて行かねばならぬ幾重の雲があった。」と表現した。エロティシズムの中に格式の高さが感じられる。三島ならではの第一級の表現だ。
対して、黒岩知事のメールには格式の高さなど微塵もない。今日び、栃木や埼玉のヤリマンにすらこんなふざけたメールを送ったりはしないだろう。
ともすると、書き手は格式の高さに縛られがちである。少しでも良い文章を書こうとする意気込みが却って空回りを招くときもある。そこで我々も黒岩知事を見習うべきではないかと思うのだ。なにが「セックス線」だ、なにが「生放送前のナマだよ~!!ニュルニュル~~~」だ、ふざけるな、いい加減にしろと怒りたくもなるのを一先ず腹に納め、今一度文章作成の原点に立ち返りたい。文章作成の原点とはなにも格式ばった高尚な表現ばかりをいうのではない。公衆便所に書かれた落書き程度の文章でもこうして白日の下に晒されると三島に負けず劣らずの破壊力を持つ。
そこでまずは不倫をすることから始めたい。そのためには結婚相手を探す必要がある。独身のまま付き合うのを不倫とは言わない。それは単なる恋人。不倫をするために結婚をする。不倫がしたい。だったら人妻と付き合えばいいじゃないか、それはダメだ。なにも間男を目指すわけではない。間男はいい文章を書かないし、書けない。高い気位をもって不倫をしたい、不倫相手に「ニュルニュル~~~」のメールを送りたい。
理由は分かっている。表現力のなさからくる自己嫌悪。語彙力が圧倒的に足りない、高卒の限界だと思う。気の利いた表現には当然相応の語彙力が求められるが、そもそも語彙を知らないためどうしても拙い表現になってしまう。それでも日々精進して、「あいつは高卒ながらもなかなかいい文章を書く」、そういわれるまで頑張りたい。
しかしながら、文章の持つ、わびさび、そして破壊力はなにも語彙力だけの問題でもない。
「A子の料理ってどんなかな?アワビにバナナをさしたやつ…」
「エックス線でもあてたろか? なに~、セックス線だって!」
「本番前のホンバン?バッカァ~!!生放送前のナマだよ~!!ニュルニュル~~~…」
「前から発注しとけ!言うてるやないか ママが具合悪いときに、エッチビデオは買えへんてか?エッチビデオは無理でもエッチはできるっちゅうんかい」
昨日謝罪会見を行った黒岩神奈川県知事が不倫相手に送ったメールだ。
なかなかの破壊力である。
黒岩知事といえばフジテレビ入社後は花形部署である報道局社会部に配属され、退職するまで報道畑を歩んだエリートだ。メールを見て、まず率直に感じたのは読んでいるこちらの方が恥ずかしくなるなの苦い思い。目を背けたくなる。教室の中でメモ紙にこっそりと書いた私小説、お調子者のクラスメイトに取り上げられ、みんなの前でヤーイ、ヤーイと読まれてしまう気恥ずかしさ。真っ赤な顔をして机に突っ伏す。まさにあの感覚といったらいいか。
かつて三島由紀夫は『春の雪』で濡れ場を、「清顕は聡子の裾をひらき、友禅の長襦袢の裾は、紗綾形(さやがた)と亀甲の雲の上をとびめぐる鳳凰の五色の尾の乱れを左右へはねのけて、幾重に包まれた聡子の腿を遠く窺わせた。しかし清顕は、まだ、まだ遠いと感じていた。まだかきわけて行かねばならぬ幾重の雲があった。」と表現した。エロティシズムの中に格式の高さが感じられる。三島ならではの第一級の表現だ。
対して、黒岩知事のメールには格式の高さなど微塵もない。今日び、栃木や埼玉のヤリマンにすらこんなふざけたメールを送ったりはしないだろう。
ともすると、書き手は格式の高さに縛られがちである。少しでも良い文章を書こうとする意気込みが却って空回りを招くときもある。そこで我々も黒岩知事を見習うべきではないかと思うのだ。なにが「セックス線」だ、なにが「生放送前のナマだよ~!!ニュルニュル~~~」だ、ふざけるな、いい加減にしろと怒りたくもなるのを一先ず腹に納め、今一度文章作成の原点に立ち返りたい。文章作成の原点とはなにも格式ばった高尚な表現ばかりをいうのではない。公衆便所に書かれた落書き程度の文章でもこうして白日の下に晒されると三島に負けず劣らずの破壊力を持つ。
そこでまずは不倫をすることから始めたい。そのためには結婚相手を探す必要がある。独身のまま付き合うのを不倫とは言わない。それは単なる恋人。不倫をするために結婚をする。不倫がしたい。だったら人妻と付き合えばいいじゃないか、それはダメだ。なにも間男を目指すわけではない。間男はいい文章を書かないし、書けない。高い気位をもって不倫をしたい、不倫相手に「ニュルニュル~~~」のメールを送りたい。