人工知能と感情
- 2023/03/22
- 20:33

ガルパンの舞台挨拶動画がYouTubeにアップされている。劇場版公開の舞台挨拶であるから8年前の動画。声優の竹内仁美さんが感極まって声を詰まらす。見ているこちらもついついもらい泣き。
ひとつ無粋を承知でいうのであればあの落涙を人工知能AIが理解し、自発的に再現するのは可能なのだろうかと、ふと思った。竹内仁美さんが感極まったのは恐らく素敵な作品に関われた幸せ、いいスタッフや仲間に恵まれた嬉しさ、対してつらい記憶や苦しかった思い出もあるだろう、思うように演技が出来ずに落ち込んだ日もあったと思う。正負様々な思いが交錯した末の涙だろう。
感情の部分をAIがいったいどう捉えるのかが未だによくわからない。一般的にAIは学習を積み重ねて、より人間の感覚に近づく。プラスマイナス、データ分析をして、脳がこういう状態であれば人は涙を流す、これは技術的にも可能だと思うが、機械的に分析して今このタイミングで涙を流せば正解、果たしてこれを純粋に感動の涙といえるのか。いうなればお芝居を見ているのに近い。ここは涙を流すシーンだから泣けと予め監督に指示されていると同じ所作。
ドラえもんは広義でいうところのAIにカテゴライズされると思う。ドラえもんは知っての通り、ネズミが大の苦手。家にネズミが出てパニックになったドラえもんはネズミを退治するため、あろうことか「地球破壊爆弾」なる物騒なひみつ道具を持ち出す。ネズミを退治しないとまた体の一部をかじられてしまう、だからこその地球破壊爆弾なのであろうが、地球破壊爆弾を額面通りに受け取るのであればネズミがいなくなる代わりに自身の存在すらも地上から消え失せる。死なばもろともなのか、それともオーバーロードの末に起きたAIの暴走なのかは不明だが、論理的な思考よりも感情が先走ってしまった末の失態だと思う。
そこがどう見ても人間的なのだ。形相も完全に気が触れた人のそれ、キチガイの顔だ。冷静に考えるまでもなく、ネズミを殺すには殺鼠剤を撒く、或いはネズミ捕り用の罠を仕掛ければよく、わざわざ地球を滅亡される必要はない。専門の害獣駆除業者に依頼する手もある。
蛇が大嫌いな人に蛇を投げつければどうなるか。毒はないから安心しろといったところで感情の制御が利かず、動転してえらい騒ぎになるのが目に見える。蛇が苦手な人は口から泡を吹いて気絶したり、泣き喚いて発狂するかもしれない。ドラえもんの場合、なまじっかひみつ道具が使えるだけに結果はより深刻だ。本来、人を豊かにさせるべきAIがいっときの感情に揺さぶられ、人を絶望の淵へ追い込む。
少年漫画を相手になにを真面目に語っているのかといわれるだろうが、AIの未来を想起するうえで感情の存在を無視するのは危険。演算処理能力を極限まで高め、学者が数年に渡って取り組んできた高度な微分積分の問題もAIが瞬時に解決する、これは進めるべき。
ただし、感情にまつわる部分は慎重にならざるを得ない。感情とは時に制御が効かなくなるもの。人は理性の生き物だそうだが、感情が理性を上回るのもしばしば、思っているのとは違った裏腹な行動をするのもしばしば、だからこそ、世の中は面白くもあるが、これをそのままコンピューターに当てはめていいものなのか正直わからない。AIがへそを曲げ、今日は気分が乗らないので仕事をしない、まるで落語にでも出てきそうな話だが、決してないとは言い切れないもどかしさがある。仕事をしないだけならまだしも、AIがやさぐれた気分になり、人を傷つける言葉や侮蔑する言葉を発したら不快だ。こいつをからかってやろうとあえて間違いを教えるようじゃいったいなんのためのAIか。もはやバットマンにおけるジョーカー、完全なる愉快犯だ。
事実、過去にはネット上にある意見をスクレイピングして学習させたらAIが差別主義者になってしまったと話題になった。少なくとも向こう3、40年ぐらいで映画・ターミネーターのようにAIが出生率までをコントロールし、人がAIのために身を捧げ働く時代がくるとは到底思えないが、コンピューターが感情を持ち、業務に支障をきたすようになったら本末転倒だ。
ちなみにこの記事もAIが書いている。