アフリカで靴を売る
- 2023/03/06
- 11:28
アフリカに派遣された二人のセールスマン、彼らが売るのは靴。現地に到着すると全員が裸足、ひとりのセールスマンは「誰も靴を履いていないんじゃ売れっこない」と落胆する、もうひとりのセールスマンは「誰も靴を履いていない、これは巨大なマーケットだ」と歓喜する。
マーケティングや営業の世界で働く人なら一度は聞いたことがある寓話だろう。AIと文章作成も似たような話ではないか。
ChatGPTをはじめとしたAIによる文章作成が現実のものとなりつつある今、古参の記者やライターのなかには恐々としている人が少なからずいる。自分たちの仕事が将来、AIに取って代わられてしまうのではないか、そんな危惧だ。
『しっかりとした生地に、ほんのり酸味が利いたパンは独特だと評判になり、北は青森から南は愛媛まで全国から注文がくる。』
『S(記事では実名)さん(50)が4年半のイタリア生活を経て、2013年6月に始めたパン工房「パネッツァ」。外見は古い農家の蔵だが、室内は改装され、イタリア伝統の薪窯(まきがま)がしつらえられている。中に入ると、茶色い小麦の全粒粉が舞っていた。Sさんが、黙々とフォカッチャの生地にオリーブオイルを塗り、テンポ良く窯に入れていく。ローズマリーの香りと、パンが焼ける香ばしさが充満していた。』
朝日新聞の茨城版に掲載されたとあるパン屋さんを紹介する記事の抜粋。情景が目に浮かぶようだ。さすがは朝日新聞の記者だけあると溜飲を下げた。果たしてこれをAIが書けるであろうか。少なくとも10年やそこらでは無理だと思う。
靴のセールスマンの寓話と同じで、片やAIの時代がくるからもう物書きは駄目かもしれないと落胆する、片や上手にAIを利用してもっとよい文章を書こうと発奮する、結局この差のような気がする。AIを敵と見なすか、それとも頼れる相棒と見なすのか。文章など意味が通じればなんだってよい。一つの真理ではある。でも、ときには「のんきと見える人々も、心の底をたたいてみると、どこか悲しい音がする」、こんな味わい深い文章にも触れてみたい。夏目漱石の『吾輩は猫である』の引用だ。
推理小説を後ろから読む人はいない。ハラハラドキドキ、事件解決までの道中を洗練された文章とともに楽しみたいから単行本を買う。事件を紐解く一人の刑事になりきるには引き込まれるような文章が必要不可欠だ。その心がぐっと引き込まれる文章をAIが書けるようになるのか、正直疑問である。対してアプリケーションソフトのチュートリアルに余計な言い回しはいらない、欲しいのは端的かつ的確な情報。この手の正確性が求めれる文章には含蓄のある文章など害悪でしかない。正確無比、まさにAIが得意とする分野だろう。
要は場面場面で適宜使い分ければいい。使い分けを自然に出来るよう、もっともっと研鑽を積んでよい文章を書けるようになりたい。
マーケティングや営業の世界で働く人なら一度は聞いたことがある寓話だろう。AIと文章作成も似たような話ではないか。
ChatGPTをはじめとしたAIによる文章作成が現実のものとなりつつある今、古参の記者やライターのなかには恐々としている人が少なからずいる。自分たちの仕事が将来、AIに取って代わられてしまうのではないか、そんな危惧だ。
『しっかりとした生地に、ほんのり酸味が利いたパンは独特だと評判になり、北は青森から南は愛媛まで全国から注文がくる。』
『S(記事では実名)さん(50)が4年半のイタリア生活を経て、2013年6月に始めたパン工房「パネッツァ」。外見は古い農家の蔵だが、室内は改装され、イタリア伝統の薪窯(まきがま)がしつらえられている。中に入ると、茶色い小麦の全粒粉が舞っていた。Sさんが、黙々とフォカッチャの生地にオリーブオイルを塗り、テンポ良く窯に入れていく。ローズマリーの香りと、パンが焼ける香ばしさが充満していた。』
朝日新聞の茨城版に掲載されたとあるパン屋さんを紹介する記事の抜粋。情景が目に浮かぶようだ。さすがは朝日新聞の記者だけあると溜飲を下げた。果たしてこれをAIが書けるであろうか。少なくとも10年やそこらでは無理だと思う。
靴のセールスマンの寓話と同じで、片やAIの時代がくるからもう物書きは駄目かもしれないと落胆する、片や上手にAIを利用してもっとよい文章を書こうと発奮する、結局この差のような気がする。AIを敵と見なすか、それとも頼れる相棒と見なすのか。文章など意味が通じればなんだってよい。一つの真理ではある。でも、ときには「のんきと見える人々も、心の底をたたいてみると、どこか悲しい音がする」、こんな味わい深い文章にも触れてみたい。夏目漱石の『吾輩は猫である』の引用だ。
推理小説を後ろから読む人はいない。ハラハラドキドキ、事件解決までの道中を洗練された文章とともに楽しみたいから単行本を買う。事件を紐解く一人の刑事になりきるには引き込まれるような文章が必要不可欠だ。その心がぐっと引き込まれる文章をAIが書けるようになるのか、正直疑問である。対してアプリケーションソフトのチュートリアルに余計な言い回しはいらない、欲しいのは端的かつ的確な情報。この手の正確性が求めれる文章には含蓄のある文章など害悪でしかない。正確無比、まさにAIが得意とする分野だろう。
要は場面場面で適宜使い分ければいい。使い分けを自然に出来るよう、もっともっと研鑽を積んでよい文章を書けるようになりたい。