もしかすると気付いている方もいるかもしれない。
昨年の秋から文章の書き方を変えた。文章の書き方について今更ながら勉強をし直した。文章の書き方に関するハウトゥー本を数冊購入、まったくフラットな状態で読んでみた。
文章の上手な人は例外なく、文章が短く分かりやすい。これは正直盲点であった。文章とは余計なものを付け足して、あえて難しくするのが大人の文章術だと思っていたからだ。試しに朝日新聞の有料サイトに登録してみた。確かに天声人語や社説にそこまで長い一文はない。せいぜい80文字程度だ、100文字を超える1文はほぼ存在しない。大学入試にも頻出する朝日新聞の社説、長々と重たい文章が書かれているイメージがあっただけに意外だ。
ちなみに何故極右主義者のお前が朝日新聞を購読するのかといえば自分とは反対の意見だからこそ、真面目に読むであろうと考えたからである。耳当たりのよい記事はそれだけに抜けるのも早く記憶に残りづらい。ふざけるなと怒りに打ち震えるぐらいの方がよっぽど真剣に読むだろう。決して主義主張が変わったからではない。
文章の書き方に話を戻すと、「こと」、「という」の多用は文章がもたつき、稚拙に見えるため、出来る限りやめるべき、これも意外や意外、盲点であった。文法や語法を考えずひたすら好き放題に文章を書いているとついつい使いがちな「こと」と「という」。確かに「こと」、「という」は書く側すると楽、使い勝手が良い万能調味料にすら思える。過去のブログを読み直してみると使用頻度が多く、なるほど稚拙だ。だから最近はあまり使っていない。一旦、「こと」、「という」を書いてしまったとしても、出来るだけ違う表現に書き直している。
別に文章が上手になったからといって何も変わらない。ただ、大人の嗜みとして相応の文章が書けるようになりたい、それだけの理由。まさに五十の手習い。決して悪い趣味ではないと思うのだが。