ギリギリアウトな話、ただいいと思う
- 2023/02/01
- 10:34
仮に報道されているルフィが黒幕だとする。まだ、捜査の段階であるから軽率なことはいえないが仮の話だ。今後、捜査を重ね、真犯人だと断定されたとする。
コイツらの家族を晒し者にして、血祭りにしてしまってもなんら問題ないと思う。もちろん、血祭りとは肉体的な暴力ではなく、ネットに個人情報をばら撒くなどの社会的な制裁。果たしてやる人がいるかどうかは分からぬが、殊、コイツらに限っていえばむしろ家族への肉体的な暴力もありなんじゃないかとすら思っている。
識者は加害者本人と家族は別、家族に危害を加えるのは絶対にしてはいけないと語る、法律でもやはりそうだ。
ただ、ルフィに関しては親兄弟まですべて社会的に抹殺して構わない。その理由は闇バイトに応募してきた人が話を聞いて怖くなり、やっぱりやめる、或いは途中で抜けさせくださいと懇願しても一切聞く耳を持たず、だったらお前の家族に危害を加えるからなといって脅していたからだ。
法律をまったく抜きにして考えると、自分も同じ真似をされても文句はいえない。散々家族に危害を加えると脅しておきながら、いざ自分の家族がやられるのは困る、そんな都合のいい話があっていいはずはない。虫が良すぎる。クズどもの家族を標的にするのはなんら問題がない、目には目を歯には歯をだ。
相当、アウトな発言なのは分かる。
ルフィが関わった事件かどうかは分からぬが、振り込め詐欺に引っ掛かり、老後の資金を失い、自責の念にかられ、自ら死を選んだ高齢の女性がいる。彼女は亡くなった主人に申し訳ない、子供たちに申し訳ない、自分が浅はかであったと死ぬまで悩み苦しんだ。こんな話、許せるのか?
犯行とまったく無関係である犯人の家族に責任があるのかといえば当然ない。
しかし、クズどもにも多少なりとも良心の欠片が残っているのであればこの家族への攻撃は相当に堪えるはず。犯罪は自身が逮捕され、自分が被告の立場になると、自分が犯した罪であるのにも関わらず、司法に敷かれたレールに従ってどんどん自分の意思とは無関係に事が進んで行ってしまう。自分の事件であるのに肝心の当事者が一番蚊帳の外。警察官、検察官、弁護士、裁判官だけで一方的に話が進められていってしまう。結局、被告本人はその流れに身をゆだねるしかなく、ひとり置き去りにされてしまう。
もちろん、否認や黙秘といった手段もあるが、言いたいのはそうではなく、否認をしたらしたでのレールに従って進むだけであるし、同様に黙秘もそう、或いは罪を認めてもそう、すべてがレールに従って粛々と進んでいくという話。その結果、刑務所に行けば刑務所のルールに従って生活するほかなく、死刑であっても拘置所(死刑囚は刑務所に行かず、拘置所で刑の執行を待つ)のルールに従って、クビを吊られるのを待つ。捕まった瞬間から刑罰に解放されるその瞬間までただひたすらレールに乗っている以外為す術がない。
事件の当事者であるのに自分は半ば傍観者的な立場でいるしかない。このへんは実際、自分が当事者になってみないと分からない感覚だと思う。
そのうえでだ、一番堪えるのが矢面に立たされる家族の苦悩だと思う。自分がなにも出来ないだけに本当に苦しい。ネットで晒し者にされる。自宅や職場に嫌がらせの電話がひっきりなしにかかってくる。職場にいられなくなり実質的なクビ。兄弟の縁談が破談になる。クルマを傷つけられ、家のガラスを割られる。毎日大量のカタログ類や代引きの出前が届く。深夜、救急車を呼ばれる、等々、こんな嫌がらせをされたら肉体的にも精神的にもほとほとまいってしまう。
まともな神経の持ち主であれば家族がこんな目にあっていれば苦しくてたまらないだろう。自分がされるよりも苦しい。
だからこそ、家族に対する嫌がらせはするべきだ。
とはいえ、俺はしない、捕まりたくはない。ただ、誰かはやるだろう。そこに期待。但し、言うまでもないが、たまたま同姓であるなどと、一方的にルフィの家族と決めつけて、無関係の人を襲うのは絶対にやめろ。やるならよくよく調べて確実に家族と分かってからやれ。
コイツらの家族を晒し者にして、血祭りにしてしまってもなんら問題ないと思う。もちろん、血祭りとは肉体的な暴力ではなく、ネットに個人情報をばら撒くなどの社会的な制裁。果たしてやる人がいるかどうかは分からぬが、殊、コイツらに限っていえばむしろ家族への肉体的な暴力もありなんじゃないかとすら思っている。
識者は加害者本人と家族は別、家族に危害を加えるのは絶対にしてはいけないと語る、法律でもやはりそうだ。
ただ、ルフィに関しては親兄弟まですべて社会的に抹殺して構わない。その理由は闇バイトに応募してきた人が話を聞いて怖くなり、やっぱりやめる、或いは途中で抜けさせくださいと懇願しても一切聞く耳を持たず、だったらお前の家族に危害を加えるからなといって脅していたからだ。
法律をまったく抜きにして考えると、自分も同じ真似をされても文句はいえない。散々家族に危害を加えると脅しておきながら、いざ自分の家族がやられるのは困る、そんな都合のいい話があっていいはずはない。虫が良すぎる。クズどもの家族を標的にするのはなんら問題がない、目には目を歯には歯をだ。
相当、アウトな発言なのは分かる。
ルフィが関わった事件かどうかは分からぬが、振り込め詐欺に引っ掛かり、老後の資金を失い、自責の念にかられ、自ら死を選んだ高齢の女性がいる。彼女は亡くなった主人に申し訳ない、子供たちに申し訳ない、自分が浅はかであったと死ぬまで悩み苦しんだ。こんな話、許せるのか?
犯行とまったく無関係である犯人の家族に責任があるのかといえば当然ない。
しかし、クズどもにも多少なりとも良心の欠片が残っているのであればこの家族への攻撃は相当に堪えるはず。犯罪は自身が逮捕され、自分が被告の立場になると、自分が犯した罪であるのにも関わらず、司法に敷かれたレールに従ってどんどん自分の意思とは無関係に事が進んで行ってしまう。自分の事件であるのに肝心の当事者が一番蚊帳の外。警察官、検察官、弁護士、裁判官だけで一方的に話が進められていってしまう。結局、被告本人はその流れに身をゆだねるしかなく、ひとり置き去りにされてしまう。
もちろん、否認や黙秘といった手段もあるが、言いたいのはそうではなく、否認をしたらしたでのレールに従って進むだけであるし、同様に黙秘もそう、或いは罪を認めてもそう、すべてがレールに従って粛々と進んでいくという話。その結果、刑務所に行けば刑務所のルールに従って生活するほかなく、死刑であっても拘置所(死刑囚は刑務所に行かず、拘置所で刑の執行を待つ)のルールに従って、クビを吊られるのを待つ。捕まった瞬間から刑罰に解放されるその瞬間までただひたすらレールに乗っている以外為す術がない。
事件の当事者であるのに自分は半ば傍観者的な立場でいるしかない。このへんは実際、自分が当事者になってみないと分からない感覚だと思う。
そのうえでだ、一番堪えるのが矢面に立たされる家族の苦悩だと思う。自分がなにも出来ないだけに本当に苦しい。ネットで晒し者にされる。自宅や職場に嫌がらせの電話がひっきりなしにかかってくる。職場にいられなくなり実質的なクビ。兄弟の縁談が破談になる。クルマを傷つけられ、家のガラスを割られる。毎日大量のカタログ類や代引きの出前が届く。深夜、救急車を呼ばれる、等々、こんな嫌がらせをされたら肉体的にも精神的にもほとほとまいってしまう。
まともな神経の持ち主であれば家族がこんな目にあっていれば苦しくてたまらないだろう。自分がされるよりも苦しい。
だからこそ、家族に対する嫌がらせはするべきだ。
とはいえ、俺はしない、捕まりたくはない。ただ、誰かはやるだろう。そこに期待。但し、言うまでもないが、たまたま同姓であるなどと、一方的にルフィの家族と決めつけて、無関係の人を襲うのは絶対にやめろ。やるならよくよく調べて確実に家族と分かってからやれ。