なんだか取り留めのない話をつらつらと
- 2023/01/11
- 11:26
たまたまここ数回、徳川家康のことについて書いたが、歴史なんてものは結構曖昧なもの。
さすがに昭和50年代以降になればメディアが発達し、客観的な事実が記録して残されているため、各々の解釈に多少の齟齬はあっても、事実関係はほぼ疑いようがない。
だが、それ以前になると途端に曖昧になる。たかだか80年前のことなのに、従軍慰安婦問題や南京事件については意見が未だに噛み合わないのがいい例だ。噛み合わないのは結局のところ、記録映像がなく、仮にあったとしても軍主体のいかにもご都合主義的なプロパガンダ映像ばかり。だからこそ、中韓にはいいように解釈され、付け入れられてしまっている。
日本が侵略戦争を起こしたのは事実、そこは謙虚に受け止めるべきであるが、だからといって、してもいないことまで謝るのはいくらなんでも論理が飛躍し過ぎている。
南京事件について語る前に東日本大震災を例に考えてみる。
東日本大震災では約2万人が死者・行方不明者になっている。親族や友人など、直接の知り合いで亡くなった人はいないが、「知り合いの知り合い」であると、人付き合いのあまりしない俺ですら数人存在する。バイト先にいた同僚のお姉さん、福島出身の伯父さん(母の姉の夫)の親族、弟の会社に勤めていた社員、2万人も亡くなると一般的には誰かしらの死が間接的であっても耳に入ってくるケースが多い。
しかしながら、南京事件に関しては不思議なことに公称30万人も亡くなっているのにも関わらず、今いる南京市民から親族や近所の人が殺されたといった話がまるでない。もちろん、戦後しばらくたって余所から移り住んできた人もいるだろうが、それであっても普通はまた聞きレベルにせよ、職場や近所の人から、「昔、うちのおじいちゃんは日本人にひどい殺され方をしてねぇ」などと聞くものじゃないのか。中国人にはそういった習慣はないのか。もし習慣がないならどうして伝聞が伝わるのか凄く不思議だ。
東日本大震災の例でいうと、自分が見聞きした3人の犠牲者はいずれも茨城県外の方、具体的には岩手県、福島県、神奈川県の方、半径にすると400km圏内といったところだ。交通機関やインターネットの発達という時代背景は違うにせよ、人付き合いが極めて薄い俺でもこうして耳に入ってくる。
南京事件当時の南京市の人口は20万から30万人といわれている。
仮に20万人の人口であると、-10万人が死んだことになるが、そもそもマイナス〇人の死者っていったいどういうことか。当たり前だが死者の数が0より多く減ることはない。
じゃあ、人口がマックスの30万人であると、ほぼ全員が旧日本軍に殺された計算になる。それも公平に見てかなりおかしな話だ。これから統治する場所の市民を全員殺害してしまうのか。むしろ、旧日本軍が悪漢無頼の集団であったとするのであれば男子は労働力としてこき使い、若い女性は慰安婦として軍人たちの慰み者にするのではないだろうか。日本人にとっては不俱戴天の仇敵であるスターリンですら、捕虜にした旧日本兵を恣意的に虐殺はしていない。シベリア開拓の労働力にするため、捕虜を解放せず、抑留させておいたのだ。捕虜を労働力として酷使することは明確なジュネーブ条約違反であるが、少なくともスターリンが日本兵を虐殺するために捕虜としたわけではない、これは明らかだ。
スターリンを擁護するつもりはさらさらないが事実は事実として受け止めるべき。そのうえで日本政府はロシアにもっと強く抗議をしろよとウクライナ戦争前はずっとそう思っていた。鈴木宗男のようなバカなど放っておけ。
そもそも30万人も殺されればその骨はいったいどこに消えたのか。
フランス・パリのカタコンベ(600万人の遺骨が納められている地下納骨堂)のようなものは未だ見つかっていない。
なにも俺は南京事件がまったくなかったといっているのではない、日本海軍機による南京空襲によって数百人程度が死亡したのは事実だろう。また、便衣兵を含め、一般市民の一部は見せしめのため、殺害された可能性は払拭できない。そこは謙虚に受け止めるべきであり、謝罪や反省もすべきであると思う。
だからといって、やってもいないことまで謝罪する必要はさらさらない。
中国にすれば人数の多寡は問題じゃない、蛮行自体が問題だというのであればなんの確証もないのに犠牲者を憶測だけで発表するなといいたい。そもそも中国国内の政治情勢によって犠牲者数が増えたり減ったりするのはおかしい。中国国内の政治経済が不安定になってくると日本叩きをしてガス抜きをするのはもはや中国共産党のお家芸であるが、それを鵜呑みにしてしまう一部の日本人もアホ過ぎる。
つまり、歴史というのはかなり曖昧なものなのだ。今回は書かないが従軍慰安婦問題も然り、決してゼロとはいわないが、韓国や北朝鮮が主張する数字はあまりにも荒唐無稽過ぎて、議論どころか、失笑すらこぼれる。
曖昧なものを文献や画像、伝聞などによって、出来る限り、史実の客観性を担保する、少なくともメディアが発達する1960年代まではここらへんが限界だ。特に戦争関連であると勝者にとって不都合な資料は破却され、美談に仕立てられがちだ。
そのうえで、俺などは面白おかしく描かれた歴史小説を足りない頭で都合よく解釈しながら読んでいるに過ぎない。映画、漫画、ゲームで広く語られる三国志も、あれは殆どが三国志演義という小説からの引用であって、有名な桃園の誓いも三国志演義に描かれた創作の一つに過ぎず、実際にそういった事実はないとされている。でも、小説と割り切って読むのであればそれもアリだなと。
さすがに昭和50年代以降になればメディアが発達し、客観的な事実が記録して残されているため、各々の解釈に多少の齟齬はあっても、事実関係はほぼ疑いようがない。
だが、それ以前になると途端に曖昧になる。たかだか80年前のことなのに、従軍慰安婦問題や南京事件については意見が未だに噛み合わないのがいい例だ。噛み合わないのは結局のところ、記録映像がなく、仮にあったとしても軍主体のいかにもご都合主義的なプロパガンダ映像ばかり。だからこそ、中韓にはいいように解釈され、付け入れられてしまっている。
日本が侵略戦争を起こしたのは事実、そこは謙虚に受け止めるべきであるが、だからといって、してもいないことまで謝るのはいくらなんでも論理が飛躍し過ぎている。
南京事件について語る前に東日本大震災を例に考えてみる。
東日本大震災では約2万人が死者・行方不明者になっている。親族や友人など、直接の知り合いで亡くなった人はいないが、「知り合いの知り合い」であると、人付き合いのあまりしない俺ですら数人存在する。バイト先にいた同僚のお姉さん、福島出身の伯父さん(母の姉の夫)の親族、弟の会社に勤めていた社員、2万人も亡くなると一般的には誰かしらの死が間接的であっても耳に入ってくるケースが多い。
しかしながら、南京事件に関しては不思議なことに公称30万人も亡くなっているのにも関わらず、今いる南京市民から親族や近所の人が殺されたといった話がまるでない。もちろん、戦後しばらくたって余所から移り住んできた人もいるだろうが、それであっても普通はまた聞きレベルにせよ、職場や近所の人から、「昔、うちのおじいちゃんは日本人にひどい殺され方をしてねぇ」などと聞くものじゃないのか。中国人にはそういった習慣はないのか。もし習慣がないならどうして伝聞が伝わるのか凄く不思議だ。
東日本大震災の例でいうと、自分が見聞きした3人の犠牲者はいずれも茨城県外の方、具体的には岩手県、福島県、神奈川県の方、半径にすると400km圏内といったところだ。交通機関やインターネットの発達という時代背景は違うにせよ、人付き合いが極めて薄い俺でもこうして耳に入ってくる。
南京事件当時の南京市の人口は20万から30万人といわれている。
仮に20万人の人口であると、-10万人が死んだことになるが、そもそもマイナス〇人の死者っていったいどういうことか。当たり前だが死者の数が0より多く減ることはない。
じゃあ、人口がマックスの30万人であると、ほぼ全員が旧日本軍に殺された計算になる。それも公平に見てかなりおかしな話だ。これから統治する場所の市民を全員殺害してしまうのか。むしろ、旧日本軍が悪漢無頼の集団であったとするのであれば男子は労働力としてこき使い、若い女性は慰安婦として軍人たちの慰み者にするのではないだろうか。日本人にとっては不俱戴天の仇敵であるスターリンですら、捕虜にした旧日本兵を恣意的に虐殺はしていない。シベリア開拓の労働力にするため、捕虜を解放せず、抑留させておいたのだ。捕虜を労働力として酷使することは明確なジュネーブ条約違反であるが、少なくともスターリンが日本兵を虐殺するために捕虜としたわけではない、これは明らかだ。
スターリンを擁護するつもりはさらさらないが事実は事実として受け止めるべき。そのうえで日本政府はロシアにもっと強く抗議をしろよとウクライナ戦争前はずっとそう思っていた。鈴木宗男のようなバカなど放っておけ。
そもそも30万人も殺されればその骨はいったいどこに消えたのか。
フランス・パリのカタコンベ(600万人の遺骨が納められている地下納骨堂)のようなものは未だ見つかっていない。
なにも俺は南京事件がまったくなかったといっているのではない、日本海軍機による南京空襲によって数百人程度が死亡したのは事実だろう。また、便衣兵を含め、一般市民の一部は見せしめのため、殺害された可能性は払拭できない。そこは謙虚に受け止めるべきであり、謝罪や反省もすべきであると思う。
だからといって、やってもいないことまで謝罪する必要はさらさらない。
中国にすれば人数の多寡は問題じゃない、蛮行自体が問題だというのであればなんの確証もないのに犠牲者を憶測だけで発表するなといいたい。そもそも中国国内の政治情勢によって犠牲者数が増えたり減ったりするのはおかしい。中国国内の政治経済が不安定になってくると日本叩きをしてガス抜きをするのはもはや中国共産党のお家芸であるが、それを鵜呑みにしてしまう一部の日本人もアホ過ぎる。
つまり、歴史というのはかなり曖昧なものなのだ。今回は書かないが従軍慰安婦問題も然り、決してゼロとはいわないが、韓国や北朝鮮が主張する数字はあまりにも荒唐無稽過ぎて、議論どころか、失笑すらこぼれる。
曖昧なものを文献や画像、伝聞などによって、出来る限り、史実の客観性を担保する、少なくともメディアが発達する1960年代まではここらへんが限界だ。特に戦争関連であると勝者にとって不都合な資料は破却され、美談に仕立てられがちだ。
そのうえで、俺などは面白おかしく描かれた歴史小説を足りない頭で都合よく解釈しながら読んでいるに過ぎない。映画、漫画、ゲームで広く語られる三国志も、あれは殆どが三国志演義という小説からの引用であって、有名な桃園の誓いも三国志演義に描かれた創作の一つに過ぎず、実際にそういった事実はないとされている。でも、小説と割り切って読むのであればそれもアリだなと。