元日の回顧録
- 2023/01/06
- 10:51
しょうもないものを書こうと思うと、意外に書けず、それで今日までズルズルときてしまったが、年末年始期間中、甥たちにお年玉をあげた以外、正月らしいことをまったくやっていない。大晦日は普通に過ごし、22時過ぎに寝た。紅白はおろか、テレビ自体を点けていない。元日の朝、あえて目覚ましは掛けず、奇跡的に5時台に目覚めれば阿字ヶ浦あたりに初日の出を見に行こうと思ったが、起きたら7時、すでに空は明るい。奇跡は起きず。奇跡が起きたら起きたでこの寒い中、出掛けるのも億劫だなと思っていただけに内心ホッとしたのもまた事実。今年も天の邪鬼だ。
湯を沸かし、風呂に入り、体が温かくなる。
「スタバはやっているのか?」と確認もせず近くのスタバに出来掛けみる。やっていた。何年か前は福袋を買う人たちで道路が渋滞するほど混雑していたが、まったくその気配はない。今はこのご時世を鑑み、やっていないのか?それともネット販売とかなのか、分からないし、興味もないので知りたくもない。むしろガラガラの店内がすこぶる心地よい。
注文はコールドブリューコーヒー(アイス)と根菜チキンサラダラップ、2023年始めて口にしたのがこれ。年越しそばもおせち料理も食べていない。
昼近くまでスタバでコーヒーを飲みながら、年末に買った火坂雅志の『天下 家康伝』を読む。別に今年の大河は関係ない。これを読む前に家康の幼少期から小牧・長久手の戦いまでを描いた司馬遼太郎の『覇王の家』を読んで面白かったので、違うアプローチで家康を知りたいなと思っただけ。それにしても今年の大河は如何なものか?徳川家康を演じる尿潤こと(意味を知らない人はググれ)松本潤、いくらなんでもイケメンが過ぎるだろう。
徳川家康がイケメンであったという文献はないはずだ。司馬遼太郎も火坂雅志も作中ではひどい言いよう。実物より2割増し、3割増しで描かれた肖像画を見てもイケメンとはほど遠い部類。視聴率低下に喘ぐ乾坤一擲の一撃が松潤の起用なのかもしれないが、むしろ、この起用は逆ではないかと思う。大河ドラマ・どうする家康が家康の人生をどこまで描くのか分からないが、晩年まで描くとなればいくらなんでも尿潤もとい、松潤では無理があり過ぎる。
渋沢栄一のときも思ったが、まだ若い頃はいい、でも、主人公が五十才を過ぎたらキャストを変えろ。90歳の爺様を童顔の吉沢亮が演じる奇妙さは異様だった。だいたい、今の五十代と違い、戦前の五十代といったらもう立派におじいちゃんだ。それでなくても肌つやのいいイケメン俳優をキャスティングすることでよりその違和感は際立つ。
そもそも大河ドラマの家康は津川雅彦さんがはまり役過ぎて津川家康を未だ越えられずにいる視聴者は多い。家康は津川雅彦、秀吉は竹中直人、これはもう鉄板。
どうする家康はとりあえず初回一回だけ見て、その後どうするか判断する。ダジャレじゃなくマジで。
さて、腹が減った。さすがに正月らしくまともなものを食べたいと思い、大洗の海鮮料理が美味いお店に出掛けみたらうんざりするほどの大行列、並んで迄は食べたくない。仕方なく、近くのとん太ラーメンで可もなく不可もなく無難極まりない焼肉定食を食べて帰宅。帰宅後はダラダラとホームページ制作の仕事をする。元日から仕事をするなんて俺って偉いと少し悦に入ったが、なんのことはない、年末サボってしまったツケを元日に払っているに過ぎず、実は偉くもなんともない。
夕方、吉野家に出掛け見ると店は真っ暗、他の地域は分からないが、うちの近所の吉野家は休みだ。昼に続き、またもや仕方なくすき家に行ってみる、こちらは開いていた。すき鍋定食を食べたが、好みの問題はあるにせよ、個人的には吉野家のすき鍋定食が圧勝だ。
唯一、すき家が勝っているのは吉野家が生卵が1個に対して、すき家は2個、それだけ。ただこの生卵も実はイーブンなんじゃないかと思っている。吉野家は殻を割った生卵が出されるのに対して、すき家は殻付きの生卵を2個出される。当然、自分で殻を割って食べるのだが、割ると高確率で、白身の部分(卵白)が指についたり、勢い余って細かい殻が卵に入ってしまったりする。これがたまらなくウザい。
お前が卵を割るのが下手なんだろうと言われるだろうが、下手なものは下手でしょうがない。料理人でもあるまいし、わざわざ練習するほどのものでもない。この日もべちゃっとやってしまった。それも2個、テーブルの紙ナプキンで指先を拭き、お椀に入った生卵の中から殻の欠片を箸で取り出すが、なんでたかだかすき鍋定食を食べるだけなのに、ここまでイライラしなくちゃいけないのだろうか。
元日からすき家の生卵に対してここまでイライラしているのって日本全国で多分俺一人だと思う。
帰宅して、新海誠監督の『天気の子』をプライムビデオで見る。無料。圧倒的な映像美はさすが、内容もよかった。途中からハッピーエンドで終わってくれとひたすら祈る思いで見ていた。色々設定に無理があるのは新海誠監督の新海誠監督たるアイデンティティの為せる業なのだろう。それでも最後一応は大団円、アニメながら救われた気になる。
しかし、結末の既視感は凄かった。基本的な流れは『すずめの戸締り』と一緒。根っこはどちらも一緒、地震と雨雲の違いしかないといったら言い過ぎか。
22時、眠くなったので寝た。
考えてみると、この元日の過ごし方こそが、いかにも俺らしくてしょうもない話であった。
>>川口 智秋さん
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
自分自身、キレのある話を書いているってまったく思っていないんですよね。ただ、それってどうなのって思う疑問を言葉にしているだけですね。結果的に読まれた方がそう思ってくれるのであれば嬉しいですが。
湯を沸かし、風呂に入り、体が温かくなる。
「スタバはやっているのか?」と確認もせず近くのスタバに出来掛けみる。やっていた。何年か前は福袋を買う人たちで道路が渋滞するほど混雑していたが、まったくその気配はない。今はこのご時世を鑑み、やっていないのか?それともネット販売とかなのか、分からないし、興味もないので知りたくもない。むしろガラガラの店内がすこぶる心地よい。
注文はコールドブリューコーヒー(アイス)と根菜チキンサラダラップ、2023年始めて口にしたのがこれ。年越しそばもおせち料理も食べていない。
昼近くまでスタバでコーヒーを飲みながら、年末に買った火坂雅志の『天下 家康伝』を読む。別に今年の大河は関係ない。これを読む前に家康の幼少期から小牧・長久手の戦いまでを描いた司馬遼太郎の『覇王の家』を読んで面白かったので、違うアプローチで家康を知りたいなと思っただけ。それにしても今年の大河は如何なものか?徳川家康を演じる尿潤こと(意味を知らない人はググれ)松本潤、いくらなんでもイケメンが過ぎるだろう。
徳川家康がイケメンであったという文献はないはずだ。司馬遼太郎も火坂雅志も作中ではひどい言いよう。実物より2割増し、3割増しで描かれた肖像画を見てもイケメンとはほど遠い部類。視聴率低下に喘ぐ乾坤一擲の一撃が松潤の起用なのかもしれないが、むしろ、この起用は逆ではないかと思う。大河ドラマ・どうする家康が家康の人生をどこまで描くのか分からないが、晩年まで描くとなればいくらなんでも尿潤もとい、松潤では無理があり過ぎる。
渋沢栄一のときも思ったが、まだ若い頃はいい、でも、主人公が五十才を過ぎたらキャストを変えろ。90歳の爺様を童顔の吉沢亮が演じる奇妙さは異様だった。だいたい、今の五十代と違い、戦前の五十代といったらもう立派におじいちゃんだ。それでなくても肌つやのいいイケメン俳優をキャスティングすることでよりその違和感は際立つ。
そもそも大河ドラマの家康は津川雅彦さんがはまり役過ぎて津川家康を未だ越えられずにいる視聴者は多い。家康は津川雅彦、秀吉は竹中直人、これはもう鉄板。
どうする家康はとりあえず初回一回だけ見て、その後どうするか判断する。ダジャレじゃなくマジで。
さて、腹が減った。さすがに正月らしくまともなものを食べたいと思い、大洗の海鮮料理が美味いお店に出掛けみたらうんざりするほどの大行列、並んで迄は食べたくない。仕方なく、近くのとん太ラーメンで可もなく不可もなく無難極まりない焼肉定食を食べて帰宅。帰宅後はダラダラとホームページ制作の仕事をする。元日から仕事をするなんて俺って偉いと少し悦に入ったが、なんのことはない、年末サボってしまったツケを元日に払っているに過ぎず、実は偉くもなんともない。
夕方、吉野家に出掛け見ると店は真っ暗、他の地域は分からないが、うちの近所の吉野家は休みだ。昼に続き、またもや仕方なくすき家に行ってみる、こちらは開いていた。すき鍋定食を食べたが、好みの問題はあるにせよ、個人的には吉野家のすき鍋定食が圧勝だ。
唯一、すき家が勝っているのは吉野家が生卵が1個に対して、すき家は2個、それだけ。ただこの生卵も実はイーブンなんじゃないかと思っている。吉野家は殻を割った生卵が出されるのに対して、すき家は殻付きの生卵を2個出される。当然、自分で殻を割って食べるのだが、割ると高確率で、白身の部分(卵白)が指についたり、勢い余って細かい殻が卵に入ってしまったりする。これがたまらなくウザい。
お前が卵を割るのが下手なんだろうと言われるだろうが、下手なものは下手でしょうがない。料理人でもあるまいし、わざわざ練習するほどのものでもない。この日もべちゃっとやってしまった。それも2個、テーブルの紙ナプキンで指先を拭き、お椀に入った生卵の中から殻の欠片を箸で取り出すが、なんでたかだかすき鍋定食を食べるだけなのに、ここまでイライラしなくちゃいけないのだろうか。
元日からすき家の生卵に対してここまでイライラしているのって日本全国で多分俺一人だと思う。
帰宅して、新海誠監督の『天気の子』をプライムビデオで見る。無料。圧倒的な映像美はさすが、内容もよかった。途中からハッピーエンドで終わってくれとひたすら祈る思いで見ていた。色々設定に無理があるのは新海誠監督の新海誠監督たるアイデンティティの為せる業なのだろう。それでも最後一応は大団円、アニメながら救われた気になる。
しかし、結末の既視感は凄かった。基本的な流れは『すずめの戸締り』と一緒。根っこはどちらも一緒、地震と雨雲の違いしかないといったら言い過ぎか。
22時、眠くなったので寝た。
考えてみると、この元日の過ごし方こそが、いかにも俺らしくてしょうもない話であった。
>>川口 智秋さん
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
自分自身、キレのある話を書いているってまったく思っていないんですよね。ただ、それってどうなのって思う疑問を言葉にしているだけですね。結果的に読まれた方がそう思ってくれるのであれば嬉しいですが。