美術なんてものは自由に感じればそれでよし
- 2022/12/20
- 17:27

小原古邨(おはらこそん)と伊藤若冲の複製画を自宅の壁に飾った。
写真では分かりずらいが左からそれぞれの複製画がこれ。



ハッキリいって美術学的なことはまったく分からない。単純にああこれいいなと思って購入しただけ。それ以上でもそれ以下でもない。
もちろん、これを見て、同意してくれる人もいれば反対に嫌悪感を示す人や或いはなんとも思わないという人もいるだろう。なかにはシジュウカラの絵はいいがカラスはいただけないなんて意見もあるかもしれない。結局、芸術なんてものはそれでいいと思ってる。
先日放送されたM-1も毎回審査を巡り、必ず物議を醸す。M-1を1度も見ていない人間があれこれいうのもなんだが、あくまでも漫才なんてものはとどのつまり、その人の笑いの琴線に触れるかってことだと思う。今年優勝したウエストランドの漫才を見て、腹を抱えて笑った人がいる一方、くすりともしなかった人もいるだろう。なかには予選落ちした誰それの方がウエストランドよりよっぽど面白かったと憤っている人もいるだろう。
明確な答えがないから肯定も否定も出来ない。
芸術作品にしろ、漫才にしろ、数値にするのはなかなか難しい。
確かにAKBの総選挙のように、「推し」に対して票を投じることで人気の順位付けをすることは可能であるが、人気と歌の上手さやパフォーマンス能力の優劣はまた別の問題だと思う。1位の人と2位の人になにか芸術的な観点から違いがあるのかといえば、まったくAKBに興味がない人間からするとそれもよくわからない。
入学試験や資格試験、学校の定期テスト、サッカーや野球など明確に数値によって序列を決められるものは確かに公平。ケアレスミスやオウンゴールがあったとしても公式の場での点数は客観的な事実として受け止めなくてはならない。
こういった分かりやすく公平なものは基本的に結果がどうであれあまりモヤモヤしない。応援しているチームや個人が負ければ悔しいが、点差が付けられた以上、結果を受け入れるしかすべはない。
あくまでも俺はですが、自分の目で見て、純粋に美しいとか、面白いと思えば芸術作品に関してはそれが答えだと思う。それに対してあれこれいう人ももちろんいる。真っ向から否定されることもある。その否定も一つの答えとして受け止める。
抽象画の展覧会に行った人の笑い話がある。ほう、これが風か、ほうほう、これが海か、そしてこれが山かと見ていったら、実は一つずつズレていたという話。風を感じる見事な絵だと思っていた絵が実は海で、いい海の絵だと思っていたらそれは山であったというオチ。
所詮芸術なんてものはその程度の話。
美大を受験するとかであれば色々勉強もしなくてはならないのだろうが、一個人として芸術を堪能するのであればあまり肩ひじ張らず、好き、嫌い程度で見ればそれでいいんじゃなかろうかと思うのです。
>>川口 智秋さん
ずいぶん打ちましたね(笑…、ちゃいけないのか?)。でも、自分はそれでいいと思っています。俺からギャンブルを抜いてしまうといったいなんのために生きているのか分からなくなってしまいます。もちろん価値観は人それぞれですから、ギャンブルなんかなんの意味もないと思う人がいて当然であり、たとえ誰かに自分のギャンブル癖を否定されてもその否定を否定しません。
まあ、今は大枚張って家賃の支払いどうしようと思うことはさすがになくなりましたが。