葉梨法相の「死刑の判子を押すときだけニュースになる地味な役職」発言、それは分かった、だったらさっさと判子を押せと思ってしまう。
現在、収監中の死刑囚は106人、このごくつぶしどもを吊るすことが法務大臣の責務であるのになかなか判を突かない。ベルトコンベア式に片っ端から吊るしやがれと思う。死刑を執行する刑務官や検分する検察官の心的な負担を出来るだけ軽減するため、連続して死刑執行は行わないというのであればそれは大きな間違い。
最高裁判所大法廷は1948年(昭和23年)3月12日に「死刑制度は憲法第36条で禁止された『残虐な刑罰』には該当せず、合憲である」としている。また、刑事訴訟法でも死刑の執行の命令は判決確定の日から六か月以内にしなければならない旨が規定されている。葉梨大臣に限らず、法の番人である法務大臣が法律を守らない、こんなことがあっていいはずはなかろう。
法治国家なのだから死刑を言い渡されるようなクズはどんどん吊るすべき。心的な負担にしても、結局慣れだ。救急隊員になると嫌が応でも凄惨な現場に出くわす。新人隊員は飛び出たはらわたや切断された手足を見るとゲーゲー吐いてしまうという。また、ナポリタンやホルモンなど内臓を想起するものが食べられなくなるともいう。しかしこれもすべて慣れ、長年救急隊員をしている人で内臓が気持ち悪いなんて言っている隊員は一人もいない。
差別するつもりではない、屠殺場で働く人だってそうだ。毎日、牛や豚を殺していればそれは単なる作業でしかない。
だから殺れ。
殺(や)りが足りないから刑務官も検察官も負担になるのだ。
連日、吊るしていれば必ず慣れる。
だいたい、俺が殺していいのならいくらでも殺ってやる。代わりに出来ないのが歯がゆい。俺なら無給で殺してやるのに。