身の程を弁える
- 2022/11/08
- 12:07
昨日も書いたがここにきてとみに考えるのは身の程を弁えるということ。
二十代は身の程など考えず好き放題にすればいいと思うし、事実、してきた。結果として前科がついたがそれに後悔はない。
しかし、いくら寿命が延びたとはいえ、五十歳は五十歳、後はどれだけ誤魔化し誤魔化し、職業人としての人生を全うするかを考える。健康次第、これが大前提ではあるが、一応、自営業ではあるから70歳までは働くと思う。宝くじが当たることは想定しない。
来年はいよいよ五十の大台、残り20年である。20年もと思うか、20年しかと思うかは人それぞれ置かれた状況によって異なるだろうが、俺の場合、20年しかと思っている。その残り20年をいかに誤魔化せるか、これに掛かっていると思う。
誤魔化すうえで一番大切なものは身の程を弁えることだと思う。
実は至ってまともな正業でこれをやってみたかったというものがある。具体的になにとは言わないがまったくの畑違いの業種だ。これが四十代前半までであればギリギリ挑戦したと思うが、今はもはや夢ですらない。銀行の融資や国の補助金を遣えば出来なくもないだろうが、全身全霊を賭すにはあまりにも遅すぎる。体力も気力もない。失敗したら取り返しがつかず多くの人に迷惑を掛ける、迷惑を掛けるのは本意じゃない。
だから分不相応であると、諦めた。
この諦めに悔いはない。負け惜しみでもなんでもない。納得ずくの諦めだ。諦めの先には清々しささえある。
それは二十代から今まで好き放題やってきたからこそ諦められる。
体力が年齢ともに衰えていくことはこれは誰でも理解できる。プロスポーツ選手は競技にもよるが遅くとも四十代前半には引退をする。早いと二十代後半で引退だ。問題は気力。正直若いときは体力が衰えても気力は死ぬまで衰えないと思っていた。体が追い付かなくとも魂は不変であると思っていたが、どうやら違うらしい。
四十代後半になり、気力も減衰していくのだと知った。
馬鹿馬鹿しい話であるが、昔なら勝ち負けはともかく、喧嘩になっても気力だけは若い連中に負けやしないと思っていたが、今は出来ることなら無駄な争いなどしたくない。出来れば関わりたくない。先日書いた7月に2回警察沙汰になった件も決して自分から喧嘩をふっ掛けたわけではない。相手が絡んできたから関わっただけであり、なにもなきゃ見て見ぬふりをして素通りだ。また、それでいいと思ってしまっている。怪我をするのが嫌だとかではなく(まあそれもあるが)、単純に気が弱くなっている。
このへんの感覚って若い人には理解出来ないと思うし、理解しているようでは駄目だ。
だが、五十代になれば、身の程を弁えて、現実を見据えないとアホである。
若いうちはアホでありたいと思ったが、今はアホじゃなく残りの人生出来ることなら穏やかに生きたいと思う。仕事を含め、戦うのはもういいかなって。
二十代は身の程など考えず好き放題にすればいいと思うし、事実、してきた。結果として前科がついたがそれに後悔はない。
しかし、いくら寿命が延びたとはいえ、五十歳は五十歳、後はどれだけ誤魔化し誤魔化し、職業人としての人生を全うするかを考える。健康次第、これが大前提ではあるが、一応、自営業ではあるから70歳までは働くと思う。宝くじが当たることは想定しない。
来年はいよいよ五十の大台、残り20年である。20年もと思うか、20年しかと思うかは人それぞれ置かれた状況によって異なるだろうが、俺の場合、20年しかと思っている。その残り20年をいかに誤魔化せるか、これに掛かっていると思う。
誤魔化すうえで一番大切なものは身の程を弁えることだと思う。
実は至ってまともな正業でこれをやってみたかったというものがある。具体的になにとは言わないがまったくの畑違いの業種だ。これが四十代前半までであればギリギリ挑戦したと思うが、今はもはや夢ですらない。銀行の融資や国の補助金を遣えば出来なくもないだろうが、全身全霊を賭すにはあまりにも遅すぎる。体力も気力もない。失敗したら取り返しがつかず多くの人に迷惑を掛ける、迷惑を掛けるのは本意じゃない。
だから分不相応であると、諦めた。
この諦めに悔いはない。負け惜しみでもなんでもない。納得ずくの諦めだ。諦めの先には清々しささえある。
それは二十代から今まで好き放題やってきたからこそ諦められる。
体力が年齢ともに衰えていくことはこれは誰でも理解できる。プロスポーツ選手は競技にもよるが遅くとも四十代前半には引退をする。早いと二十代後半で引退だ。問題は気力。正直若いときは体力が衰えても気力は死ぬまで衰えないと思っていた。体が追い付かなくとも魂は不変であると思っていたが、どうやら違うらしい。
四十代後半になり、気力も減衰していくのだと知った。
馬鹿馬鹿しい話であるが、昔なら勝ち負けはともかく、喧嘩になっても気力だけは若い連中に負けやしないと思っていたが、今は出来ることなら無駄な争いなどしたくない。出来れば関わりたくない。先日書いた7月に2回警察沙汰になった件も決して自分から喧嘩をふっ掛けたわけではない。相手が絡んできたから関わっただけであり、なにもなきゃ見て見ぬふりをして素通りだ。また、それでいいと思ってしまっている。怪我をするのが嫌だとかではなく(まあそれもあるが)、単純に気が弱くなっている。
このへんの感覚って若い人には理解出来ないと思うし、理解しているようでは駄目だ。
だが、五十代になれば、身の程を弁えて、現実を見据えないとアホである。
若いうちはアホでありたいと思ったが、今はアホじゃなく残りの人生出来ることなら穏やかに生きたいと思う。仕事を含め、戦うのはもういいかなって。