アラフィフの高望み
- 2022/11/07
- 12:00
『年収500万円は「高望み」です…42歳独身女性が「絶望」したアラフォー婚活の現実』、この記事はスッとした。
https://news.yahoo.co.jp/articles/6876d50cf4ebe
かいつまんでいうと、婚活を始めた42歳独身女性、結婚相談所のアドバイザーに、「多くは望みません。同年代で年収500万円以上の普通の容姿の男性と結婚したいです」と伝えたところ、それは高望みだと言われ、愕然とした、そして3年が経ち、45歳になった彼女は今でも相手が見つからず独身のままであると。
もちろんこの記事が「作文」なのか実話なのかは分からない。ただ十分あり得そうな話ではある。
二十代の美形であれば高望みをするのも分かる。三十代前半でギリだろう。三十代後半を過ぎたらもはやもらってくれるだけで感謝しろとすら思う。この記事にもある「40歳を過ぎたとはいえ、まだそれなりに容姿に自信のあった美鈴さん」、それなりだと思っているのは美鈴さんあなただけであり、まともな男性はあなたを単なる行き遅れとしか見ていない。
これが現実だ。それどころか、四十代半ばで独身であると、「言葉の端々にトゲがあり、相手への思いやりがない」、「家事がまったくできず汚部屋住まい」、「痛すぎるジャニヲタ」など、なにか性格に欠陥があるのではないかと勘繰ってしまう。きれいな女性であれば尚更だ。美人なのに結婚しない四十代女性、男の偏見かもしれないが、ちょっとこれはおかしいぞと思ってしまう。
いやいや、芸能人の誰々は四十代半後半でもとても輝いているとでもいうのだろうが、それとあなたとどう関係が?女優の石田ゆり子さんは御年53歳、今も変わらぬ美貌にクラクラするが、石田さんと行かず後家の貴方とを比較することに一体なんの意味があるのか?
一線で活躍する人気芸能人と結婚相談所で必死に婚活をするアラフィフ女、比べることに意味はない。むしろ比較すればするほど虚しくなるだけではなかろうか。あくまでも憶測だが石田さんは結婚が「出来ない」ではなく、「しない」のだ。今後は分からないが、少なくとも今まではそう。
「出来ない」と「しない」、同じ独身でも天と地とほどに意味が異なる。
確かに自分の人生であるから好きにすればいいのは事実であるが人間に必要なものは自分を客観視することだと思う。報われない努力をすることも人生の醍醐味の一つかもしれないが、まったくテレビに出たこともないのに四十過ぎてお笑いで喰っていくとか、歌手になるとか言っていたら滑稽を通り越して単なるアホである。この美鈴さんも同じだと思う。白馬の王子様がいつか迎えに来てくれる、そう願う気持ちは分からぬでもないが白馬の王子はとっくの昔に誰かを迎え終わって幸せに暮らしている。冷静に考えれば分かるはずだ。
実は同じことを俺自身にも言い聞かせている。
別に俺だって好き好んで独身を選んでいるのではない。決して再婚を頑なに拒否しているわけではない。ただ、社長とは名ばかり、実態は万年金欠病に悩むしがないフリーランスだ、いったい誰がこんなプータローもどきと結婚するのだ。そんな物好きはいやしない、身の程は十分弁えている。だから一人でいる。
ある意味、美鈴さんと違い現実を受け入れている。受け入れたうえでどうすればまずまず楽しく生きられるかを考えている。ボチボチ仕事をして、好きなアーティストのコンサートに行ったり、映画を見たり、お酒を飲んだりして楽しく暮らせればそれでいいと思っている。死ぬときゃ路傍の石として、野垂れ死にすればいい、そう腹を括っている。舐めるな。そこが美鈴さんと俺の大違い。
人間、寿命が延びたとはいえ、アラフィフはどこまでいってもアラフィフなのだ。アラフィフはアラフィフらしく謙虚に生きるべきであると自戒している。くれぐれも高望みをしてはいけない。
https://news.yahoo.co.jp/articles/6876d50cf4ebe
かいつまんでいうと、婚活を始めた42歳独身女性、結婚相談所のアドバイザーに、「多くは望みません。同年代で年収500万円以上の普通の容姿の男性と結婚したいです」と伝えたところ、それは高望みだと言われ、愕然とした、そして3年が経ち、45歳になった彼女は今でも相手が見つからず独身のままであると。
もちろんこの記事が「作文」なのか実話なのかは分からない。ただ十分あり得そうな話ではある。
二十代の美形であれば高望みをするのも分かる。三十代前半でギリだろう。三十代後半を過ぎたらもはやもらってくれるだけで感謝しろとすら思う。この記事にもある「40歳を過ぎたとはいえ、まだそれなりに容姿に自信のあった美鈴さん」、それなりだと思っているのは美鈴さんあなただけであり、まともな男性はあなたを単なる行き遅れとしか見ていない。
これが現実だ。それどころか、四十代半ばで独身であると、「言葉の端々にトゲがあり、相手への思いやりがない」、「家事がまったくできず汚部屋住まい」、「痛すぎるジャニヲタ」など、なにか性格に欠陥があるのではないかと勘繰ってしまう。きれいな女性であれば尚更だ。美人なのに結婚しない四十代女性、男の偏見かもしれないが、ちょっとこれはおかしいぞと思ってしまう。
いやいや、芸能人の誰々は四十代半後半でもとても輝いているとでもいうのだろうが、それとあなたとどう関係が?女優の石田ゆり子さんは御年53歳、今も変わらぬ美貌にクラクラするが、石田さんと行かず後家の貴方とを比較することに一体なんの意味があるのか?
一線で活躍する人気芸能人と結婚相談所で必死に婚活をするアラフィフ女、比べることに意味はない。むしろ比較すればするほど虚しくなるだけではなかろうか。あくまでも憶測だが石田さんは結婚が「出来ない」ではなく、「しない」のだ。今後は分からないが、少なくとも今まではそう。
「出来ない」と「しない」、同じ独身でも天と地とほどに意味が異なる。
確かに自分の人生であるから好きにすればいいのは事実であるが人間に必要なものは自分を客観視することだと思う。報われない努力をすることも人生の醍醐味の一つかもしれないが、まったくテレビに出たこともないのに四十過ぎてお笑いで喰っていくとか、歌手になるとか言っていたら滑稽を通り越して単なるアホである。この美鈴さんも同じだと思う。白馬の王子様がいつか迎えに来てくれる、そう願う気持ちは分からぬでもないが白馬の王子はとっくの昔に誰かを迎え終わって幸せに暮らしている。冷静に考えれば分かるはずだ。
実は同じことを俺自身にも言い聞かせている。
別に俺だって好き好んで独身を選んでいるのではない。決して再婚を頑なに拒否しているわけではない。ただ、社長とは名ばかり、実態は万年金欠病に悩むしがないフリーランスだ、いったい誰がこんなプータローもどきと結婚するのだ。そんな物好きはいやしない、身の程は十分弁えている。だから一人でいる。
ある意味、美鈴さんと違い現実を受け入れている。受け入れたうえでどうすればまずまず楽しく生きられるかを考えている。ボチボチ仕事をして、好きなアーティストのコンサートに行ったり、映画を見たり、お酒を飲んだりして楽しく暮らせればそれでいいと思っている。死ぬときゃ路傍の石として、野垂れ死にすればいい、そう腹を括っている。舐めるな。そこが美鈴さんと俺の大違い。
人間、寿命が延びたとはいえ、アラフィフはどこまでいってもアラフィフなのだ。アラフィフはアラフィフらしく謙虚に生きるべきであると自戒している。くれぐれも高望みをしてはいけない。