いい時代でした
- 2022/10/21
- 11:46
仲本工事さんがお亡くなりになられた。今月の初めにはアントニオ猪木さんも鬼籍に入られた。
ともにご冥福をお祈りするばかりだが、アラフィフ世代以上であると、金曜20時からの『新日本プロレス』と土曜20時からの『8時だョ!全員集合』は避けて通ることが出来ない。
昭和の時代、テレビは一家に一台が基本、子供部屋や寝室にテレビのある家庭は相当珍しかった。家庭での娯楽といえばテレビ一択、ファミコンはまだない。つまり、望むと望まざるを別にして、誰かがテレビをつけると皆が右へ倣えでその番組を見る以外、選択肢がなかったのである。
そういう時代の中でプロレスと全員集合はとりわけ出色であり、全員集合の最高視聴率は50.5%、新日も平均視聴率20%超え、モハメド・アリ対猪木の異種格闘技戦ではやはり50%オーバーと、今では考えられないお化けコンテンツであった。単純な話、日本人の2人に1人が見ているのだ。全員集合も新日も放送の翌日(全員集合は土曜日の放送であったため厳密にいうと月曜日)は番組の話題で持ち切り、教室の中ではアントニオ猪木のコブラツイストや卍固めの練習をする光景がごくごく当たり前に見られた。その練習がいったいなんの役に立つのかは分からないが。
自分自身、特に懐古趣味なわけでもないが、それでもやっぱり昭和50年代って良かったなと思う。夕飯を食べ終えると、一目散に机に向かい宿題をする、あくまでも作業として宿題を「する」だけであり、そこに覚えよう、学ぼうという意識はない、宿題を終えるとテレビの前にかぶりつき、おふくろが剥いてくれた梨やリンゴをかじりながら、「猪木、猪木―!」、「あわわわ、志村、後ろ、後ろ」と一喜一憂。アントニオ猪木が宿敵長州力に負けてしまうと、本気で悔しがり、志村けんが後ろからお化けに襲われると早く逃げろとヤキモキした。
ハッキリ言って今思い返すと、とんでもなく茶番なのであるが、当時はそれこそ老いも若きもプロレスに熱狂し、ドリフを見て大爆笑をしたのである。プロレスごっこをせず、ドリフのひげダンスをしなかった男の子って存在するのか、それぐらい熱狂した。俺も暇さえあれば弟にプロレスの技を掛けていた。弟は痛てぇ、痛てぇとよく泣いていたが知らん。むしろ泣いている弟の方が親父に、「泣くんじゃねぇ、バカ野郎」と叱られた。
今更こんなことをいっても仕方のないことのだが、昭和の時代は全てが単純。面白ければ笑い、腹が立てば怒り、悲しければ泣く、感情に対し、すこぶる素直で、喜怒哀楽が物凄くピュアな時代であった。良くも悪くも腹に溜め込まず、サッパリしていた。だからこそ後腐れがなく、すべてが牧歌的であった。
今はなにかするとすぐにコンプライアンスだ、差別だと騒ぎ立てられ、過度に反応を恐れる時代になってしまった。それが令和の御代だと言われたらなにも返せないが、もう少し寛容な世の中であってほしいと思ってしまうのも事実。まあ無理なんだけどさ。
ともにご冥福をお祈りするばかりだが、アラフィフ世代以上であると、金曜20時からの『新日本プロレス』と土曜20時からの『8時だョ!全員集合』は避けて通ることが出来ない。
昭和の時代、テレビは一家に一台が基本、子供部屋や寝室にテレビのある家庭は相当珍しかった。家庭での娯楽といえばテレビ一択、ファミコンはまだない。つまり、望むと望まざるを別にして、誰かがテレビをつけると皆が右へ倣えでその番組を見る以外、選択肢がなかったのである。
そういう時代の中でプロレスと全員集合はとりわけ出色であり、全員集合の最高視聴率は50.5%、新日も平均視聴率20%超え、モハメド・アリ対猪木の異種格闘技戦ではやはり50%オーバーと、今では考えられないお化けコンテンツであった。単純な話、日本人の2人に1人が見ているのだ。全員集合も新日も放送の翌日(全員集合は土曜日の放送であったため厳密にいうと月曜日)は番組の話題で持ち切り、教室の中ではアントニオ猪木のコブラツイストや卍固めの練習をする光景がごくごく当たり前に見られた。その練習がいったいなんの役に立つのかは分からないが。
自分自身、特に懐古趣味なわけでもないが、それでもやっぱり昭和50年代って良かったなと思う。夕飯を食べ終えると、一目散に机に向かい宿題をする、あくまでも作業として宿題を「する」だけであり、そこに覚えよう、学ぼうという意識はない、宿題を終えるとテレビの前にかぶりつき、おふくろが剥いてくれた梨やリンゴをかじりながら、「猪木、猪木―!」、「あわわわ、志村、後ろ、後ろ」と一喜一憂。アントニオ猪木が宿敵長州力に負けてしまうと、本気で悔しがり、志村けんが後ろからお化けに襲われると早く逃げろとヤキモキした。
ハッキリ言って今思い返すと、とんでもなく茶番なのであるが、当時はそれこそ老いも若きもプロレスに熱狂し、ドリフを見て大爆笑をしたのである。プロレスごっこをせず、ドリフのひげダンスをしなかった男の子って存在するのか、それぐらい熱狂した。俺も暇さえあれば弟にプロレスの技を掛けていた。弟は痛てぇ、痛てぇとよく泣いていたが知らん。むしろ泣いている弟の方が親父に、「泣くんじゃねぇ、バカ野郎」と叱られた。
今更こんなことをいっても仕方のないことのだが、昭和の時代は全てが単純。面白ければ笑い、腹が立てば怒り、悲しければ泣く、感情に対し、すこぶる素直で、喜怒哀楽が物凄くピュアな時代であった。良くも悪くも腹に溜め込まず、サッパリしていた。だからこそ後腐れがなく、すべてが牧歌的であった。
今はなにかするとすぐにコンプライアンスだ、差別だと騒ぎ立てられ、過度に反応を恐れる時代になってしまった。それが令和の御代だと言われたらなにも返せないが、もう少し寛容な世の中であってほしいと思ってしまうのも事実。まあ無理なんだけどさ。