4回目の接種券
- 2022/10/17
- 11:42
やっと4回目のワクチン接種券が届いた。
他の市町村に住む人に聞くと、俺よりも後に3回目の接種を受けたのに俺よりも先に4回目の接種を終えている人もいる。もちろん、自治体によって差異があるのは承知だが、ヤキモキしたのも事実、早速予約を取ろう。
なお、俺自身、決して「ワク信」ではないがなるべくなら打った方がいいのではというスタンス。前回の第七波、知り合い5人がコロナに感染した。内、2人は未接種、1人は2回目を打ったが3回目は打たずであった。結果論だが打てばよかったのではないかと思っている。残りの2人は接種済みであった。
その3人とも後遺症もなく、少なくとも現時点では至って健康なのだ、ワク信と決定的に違うのはコロナに感染してもそこまで重症化しないのであれば感染したら運が悪かったと諦めるのも一つの考え方であると、それは十分理解している、だからこそ一方的にワクチン接種を強要するつもりはない。
ここで風邪について考えてみる。風邪に関しては少し哲学的な話になってしまう。
高齢者や小児以外は風邪など極端な話、医者はおろか、クスリすらいらない。消化の良い、栄養があるものを食べて静かに寝ていればまず治る。健康体の人が風邪をこじらせて死んでしまったという話は聞いたことがない(くれぐれも高齢者や子供を除く)。しかし、病院に行き、クスリを処方してもらえばつらい時間を短縮できる、これは事実だ。数日間、治るのが遅れても我慢するか、数日間でも早く治したいと思うかはもはや個人の哲学であると思っている。一生のうちの数日間など取るに足らない時間であるから病院に行くのは馬鹿馬鹿しいと考える人がいるのも理解できるし、数日間でも早く楽になるならさっさと治療を受ける方が有意義だと思うのも理解できる。ちなみに俺は後者。
風邪で熱があり、喉が痛いのはつらい、このつらさを数日であっても短縮できるのであれば俺は金を払いたい。
ある意味、最近のオミクロン株も風邪に極めて症状が近いので感染してしまったら諦める、だからワクチン接種をしないという考えも一定程度理解できるのだ。
ワク信でも反ワクでもそうだが、必死になっている人っていったいなにと戦っているのだろうかと思う。何かしらの既得権益があり、ワクチンを猛烈に奨めているのであればともかく、結構な数の人がワクチン接種を巡り、家庭内不和になったという。ワクチン接種が原因で離婚をした人もかなりいるそうだ。
世の中には一方通行な人がいる。
自分の考えが絶対的に正しく、その考えを認めない奴はバカだと思っている人。インテリに多い。
俺なんかは直接自分に害がなければ割りとそのへんは寛容であり、知り合いにワクチンを打ってないと言われても、否定も肯定もせず、へーそうなんだで終わり。
最近、堀江貴文さんはワクチンを打たなかった仕事上のパートナーを頭が悪過ぎるといって縁を切ったと少し話題になったが、正直そこまでのことかと思う。堀江さんがパートナーに選ぶぐらいであるから元々優秀な人だと思う。その人をワクチン未接種というだけで絶縁する意味が理解できない。
また、そのワクチンを打たなかった人の記事を読むと、彼は元々アナフィラキシー症状があり、純粋に異物を体内に入れることへ抵抗があるという。甲殻アレルギーの人にこのズワイガニは上手いから食え、食わない奴はバカだと決めつけるようなもんじゃないのか。
俺には食えよなんていえない。
せいぜい言えることといえばこのズワイガニは身が詰まっていて美味しいですよ、よかったらどうぞまでだ。実は甲殻アレルギーなんですよと言われれば、それは失礼しましたとむしろこちらが謝る。
ワクチンも哲学で打たないのか、体質的に打てないのかもある、そこを一括りするのも無理があるし、体質的に打てない人を白眼視するのはいくらなんでも常軌を逸し過ぎる。哲学で打たない人に関しても、理由を聞くのが第一だ。だいたい、ワクチンを打たなくとも当たり前だが違法でもなんでもない。逆に反ワクの連中がワクチン接種者をバカにするのもうざい。お前らが打たないのは別に構わない、ただ、人に強要するなと。打たないことで精神的な安寧を得られるのであればよく分かったからそれ以上騒ぐなと言いたい。
脳内ではいつも反ワクとワク信が関ケ原の合戦のようにせめぎ合っている。
俺は伊達政宗のようにあえて合戦には参戦せず、一歩引いて見ている。日和見主義ともいう。
他の市町村に住む人に聞くと、俺よりも後に3回目の接種を受けたのに俺よりも先に4回目の接種を終えている人もいる。もちろん、自治体によって差異があるのは承知だが、ヤキモキしたのも事実、早速予約を取ろう。
なお、俺自身、決して「ワク信」ではないがなるべくなら打った方がいいのではというスタンス。前回の第七波、知り合い5人がコロナに感染した。内、2人は未接種、1人は2回目を打ったが3回目は打たずであった。結果論だが打てばよかったのではないかと思っている。残りの2人は接種済みであった。
その3人とも後遺症もなく、少なくとも現時点では至って健康なのだ、ワク信と決定的に違うのはコロナに感染してもそこまで重症化しないのであれば感染したら運が悪かったと諦めるのも一つの考え方であると、それは十分理解している、だからこそ一方的にワクチン接種を強要するつもりはない。
ここで風邪について考えてみる。風邪に関しては少し哲学的な話になってしまう。
高齢者や小児以外は風邪など極端な話、医者はおろか、クスリすらいらない。消化の良い、栄養があるものを食べて静かに寝ていればまず治る。健康体の人が風邪をこじらせて死んでしまったという話は聞いたことがない(くれぐれも高齢者や子供を除く)。しかし、病院に行き、クスリを処方してもらえばつらい時間を短縮できる、これは事実だ。数日間、治るのが遅れても我慢するか、数日間でも早く治したいと思うかはもはや個人の哲学であると思っている。一生のうちの数日間など取るに足らない時間であるから病院に行くのは馬鹿馬鹿しいと考える人がいるのも理解できるし、数日間でも早く楽になるならさっさと治療を受ける方が有意義だと思うのも理解できる。ちなみに俺は後者。
風邪で熱があり、喉が痛いのはつらい、このつらさを数日であっても短縮できるのであれば俺は金を払いたい。
ある意味、最近のオミクロン株も風邪に極めて症状が近いので感染してしまったら諦める、だからワクチン接種をしないという考えも一定程度理解できるのだ。
ワク信でも反ワクでもそうだが、必死になっている人っていったいなにと戦っているのだろうかと思う。何かしらの既得権益があり、ワクチンを猛烈に奨めているのであればともかく、結構な数の人がワクチン接種を巡り、家庭内不和になったという。ワクチン接種が原因で離婚をした人もかなりいるそうだ。
世の中には一方通行な人がいる。
自分の考えが絶対的に正しく、その考えを認めない奴はバカだと思っている人。インテリに多い。
俺なんかは直接自分に害がなければ割りとそのへんは寛容であり、知り合いにワクチンを打ってないと言われても、否定も肯定もせず、へーそうなんだで終わり。
最近、堀江貴文さんはワクチンを打たなかった仕事上のパートナーを頭が悪過ぎるといって縁を切ったと少し話題になったが、正直そこまでのことかと思う。堀江さんがパートナーに選ぶぐらいであるから元々優秀な人だと思う。その人をワクチン未接種というだけで絶縁する意味が理解できない。
また、そのワクチンを打たなかった人の記事を読むと、彼は元々アナフィラキシー症状があり、純粋に異物を体内に入れることへ抵抗があるという。甲殻アレルギーの人にこのズワイガニは上手いから食え、食わない奴はバカだと決めつけるようなもんじゃないのか。
俺には食えよなんていえない。
せいぜい言えることといえばこのズワイガニは身が詰まっていて美味しいですよ、よかったらどうぞまでだ。実は甲殻アレルギーなんですよと言われれば、それは失礼しましたとむしろこちらが謝る。
ワクチンも哲学で打たないのか、体質的に打てないのかもある、そこを一括りするのも無理があるし、体質的に打てない人を白眼視するのはいくらなんでも常軌を逸し過ぎる。哲学で打たない人に関しても、理由を聞くのが第一だ。だいたい、ワクチンを打たなくとも当たり前だが違法でもなんでもない。逆に反ワクの連中がワクチン接種者をバカにするのもうざい。お前らが打たないのは別に構わない、ただ、人に強要するなと。打たないことで精神的な安寧を得られるのであればよく分かったからそれ以上騒ぐなと言いたい。
脳内ではいつも反ワクとワク信が関ケ原の合戦のようにせめぎ合っている。
俺は伊達政宗のようにあえて合戦には参戦せず、一歩引いて見ている。日和見主義ともいう。