山椒
- 2022/10/01
- 19:07
近頃、そこに希望もなければ、生産性もまったくない、取り留めもない話をするのも人間生きていくうえでは案外大事なんじゃないかと思うようになった。
先日、行きつけの居酒屋で実際にあった話だ。
酔客は俺一人、カウンターで豚足を肴にレモンサワーを飲んでいるときのことだ、「青木ガラス屋(仮名)の親父、駅前の小料理屋のおっかあ(ママ)と不倫してるわ」(居酒屋のマスター)
「・・・は?」(俺)
「二人で一緒にいるところ、俺、見たもん」(居酒屋のマスター)
「・・・どこで?」(俺)
「昭和通りの山新(ホームセンター)」(居酒屋のマスター)
「・・・へ、それだけ?」(俺)
「昼間から二人で山新にいるっておかしいだろうよ、あれは不倫、間違いない、俺はなーんでも知っている」(居酒屋のマスター)
「・・・・」(俺)
この会話になんの脈絡もなければ学ぶべき教訓もない。その不倫が事実であろうがなかろうが俺にとってはまったくどうでもいい話である、興味がない。だいたい、ガラス屋の親父も小料理屋のママもまったく知らない人だ。生産性のせの字もない話、しかも不倫の根拠がホームセンターで俺、見たもん、凡そ根拠とは呼べぬほど希薄な根拠。
一見せずともこの会話にはなんの意味もない。たまたま今回はガラス屋の親父がしているという不倫の話だが(本当かよ)、得てしてこの店でする会話はこんな話ばかりだ。実にしょうもない。先日はこちらが食べているのにも関わらず自宅の庭に野良猫が来て大きなクソをして困ると言われた。
しかしながら、しょうもない話をすることもとかく無機質になりがちな日常に於いては案外大切なことなんじゃないかと思うのだ。あまり仕事の話はしないが、一応、仕事はしている(これ結構大事)。モニターとにらめっこをしながらカタカタとキーボードを叩く日常。そんな生活のなかで会ったこともないガラス屋の親父の、しかも不倫の話を振られるとは到底予測不能、メイウェザーのパンチほどじゃないにしてもそれなりに衝撃的なコンビネーションではある。そもそも朝倉未来と違い、こちらは打たれると心の準備が出来ていない。そこに突如としてキレッキレのパンチを繰り出されるのだ。静かに飲んでいる方の身にもなれ、たまったもんじゃない。
そして痛飲を終え、数百メートルの距離をテクテク歩いて帰る。
さっきのあの話はいったい何だったんだと思うことしきり、下手すると布団に入っても考える。あまりにも取り留めがなさ過ぎて正直イライラすることも多い。
だが、なんら生産性のない会話であっても、こうして何かしらを考える手立てになっているのであれば無味乾燥な日常に於けるピリリと辛い山椒程度の意味は果たせていると思うのである。
その山椒がいったいどれだけよい影響を及ぼしているのか分からぬが、多少なりともプラスに考えないと、この先、生きていくのがあまりにもつら過ぎるじゃないか。
先日、行きつけの居酒屋で実際にあった話だ。
酔客は俺一人、カウンターで豚足を肴にレモンサワーを飲んでいるときのことだ、「青木ガラス屋(仮名)の親父、駅前の小料理屋のおっかあ(ママ)と不倫してるわ」(居酒屋のマスター)
「・・・は?」(俺)
「二人で一緒にいるところ、俺、見たもん」(居酒屋のマスター)
「・・・どこで?」(俺)
「昭和通りの山新(ホームセンター)」(居酒屋のマスター)
「・・・へ、それだけ?」(俺)
「昼間から二人で山新にいるっておかしいだろうよ、あれは不倫、間違いない、俺はなーんでも知っている」(居酒屋のマスター)
「・・・・」(俺)
この会話になんの脈絡もなければ学ぶべき教訓もない。その不倫が事実であろうがなかろうが俺にとってはまったくどうでもいい話である、興味がない。だいたい、ガラス屋の親父も小料理屋のママもまったく知らない人だ。生産性のせの字もない話、しかも不倫の根拠がホームセンターで俺、見たもん、凡そ根拠とは呼べぬほど希薄な根拠。
一見せずともこの会話にはなんの意味もない。たまたま今回はガラス屋の親父がしているという不倫の話だが(本当かよ)、得てしてこの店でする会話はこんな話ばかりだ。実にしょうもない。先日はこちらが食べているのにも関わらず自宅の庭に野良猫が来て大きなクソをして困ると言われた。
しかしながら、しょうもない話をすることもとかく無機質になりがちな日常に於いては案外大切なことなんじゃないかと思うのだ。あまり仕事の話はしないが、一応、仕事はしている(これ結構大事)。モニターとにらめっこをしながらカタカタとキーボードを叩く日常。そんな生活のなかで会ったこともないガラス屋の親父の、しかも不倫の話を振られるとは到底予測不能、メイウェザーのパンチほどじゃないにしてもそれなりに衝撃的なコンビネーションではある。そもそも朝倉未来と違い、こちらは打たれると心の準備が出来ていない。そこに突如としてキレッキレのパンチを繰り出されるのだ。静かに飲んでいる方の身にもなれ、たまったもんじゃない。
そして痛飲を終え、数百メートルの距離をテクテク歩いて帰る。
さっきのあの話はいったい何だったんだと思うことしきり、下手すると布団に入っても考える。あまりにも取り留めがなさ過ぎて正直イライラすることも多い。
だが、なんら生産性のない会話であっても、こうして何かしらを考える手立てになっているのであれば無味乾燥な日常に於けるピリリと辛い山椒程度の意味は果たせていると思うのである。
その山椒がいったいどれだけよい影響を及ぼしているのか分からぬが、多少なりともプラスに考えないと、この先、生きていくのがあまりにもつら過ぎるじゃないか。