ババ抜き
- 2022/08/05
- 10:35
周知のように、茨城県でもコロナ感染者数が連日過去最高を更新、1日あたりの新規感染者数が3000人目前と言ってたのが、今では3000人を軽く飛び越え、5000人が現実味を帯びてきている。下手したら今日にも記録更新しそうな勢いである。恐らく、最終的なピーク時には8千人程度になるのではないかと思われるが毎日がトランプのババ抜きをやらされているような気分だ。
確率の試行については高校の確率統計の授業で習ったが独立と従属がある。独立とは分かりやすくいうとサイコロ。理論上、サイコロで1の目を出そうと思っても、永久に出ないということがあり得る(天文学的な数値ではあるが)、サイコロを6回振ったって1の目が1回も出ないなんてザラだ。じゃあ、7回目に1の目が出るかといえばそんなことない。8回目も9回目も同様。その代わり立て続けに1の目が出るということもある。対して従属は商店街のガラガラポンの福引、外れ玉はその都度全て退けていく、外れ玉をガラガラの中に戻してはいけない、つまり、外れの玉が減るたびに次にクジを引く人の大当たり確率は高まる。最後の1個まで大当たりの玉が出なければ最後にクジを引く人の大当たり確率は言わずもがな100%である。
コロナに限らず、感染症はどんなに感染力が強くとも確実に罹患しない人もいるため、計算上はどこまで行っても独立というのが正しい。但し、独立の計算が成り立つのは絶対にうつらない人がいるというのが大前提。
一応、頭の中では分かっちゃいるが、コロナの感染は独立ではなく、いつかは必ず当たってしまう従属なんじゃないかと思ってしまう。
トランプのババ抜きも商店街の福引と同じで、最後は誰かがジョーカーを引いて負けが確定する。
毎日毎日、トランプのババ抜きをやらされている気分だ。本当は違うのだが、茨城県の人口が287万人、コロナの新規感染者が5000人だとすると毎日ランダムに集められた600人でババ抜きをして、たまたま、今日は599人に入り生還したという感覚だ。幸い、なんとか599人に入っていたと安堵すると同時に明日のババ抜きは今日よりも参加者が100人減って、500人での生き残り合戦かと陰鬱な気持ちになる。最後は100人ぐらいのババ抜きか。
いや、別に感染しても殆どが重症化せず、そもそも犯罪じゃない、ジョーカーを引いたと思うこと自体が間違っている、それはもちろん分かっているのだが、連日ここまで大きく報道されていると、罹患者からすればなんとなく法廷で裁かれる被告人の気分になるのではないかと思ってしまう。事実、先日風邪を引いた時もそうだった。陰性が確定するまで、鬱屈した気分でいた。風邪の諸症状よりも気分の落ち込みの方が切実で、このままコロナだったらどうしようかと思った。
知らず知らずのうちにコロナイコール悪と洗脳されてしまっているのだ。
だからといって、コロナイコール悪と洗脳されることが必ずしも悪いことではないというのも事実である。あくまでも俺はですけど、コロナにうつりそうな場所には行かない。花火大会やフェスなど大勢の人が集まるところへは行かない(元々好きじゃないというのもあるが)、出来る限り、引きこもって家にいるを実践。最近は近所の居酒屋にも行っていない。もう一か月近く行っていない。
結果、今のところ、感染しないでいる。
ただ、本当に「今のところ」だ。明日は我が身で、無人島で完全に孤立した生活をしているわけではないので、明日ジョーカーを引いているかもしれない。
だから、ジョーカーじゃないって。

確率の試行については高校の確率統計の授業で習ったが独立と従属がある。独立とは分かりやすくいうとサイコロ。理論上、サイコロで1の目を出そうと思っても、永久に出ないということがあり得る(天文学的な数値ではあるが)、サイコロを6回振ったって1の目が1回も出ないなんてザラだ。じゃあ、7回目に1の目が出るかといえばそんなことない。8回目も9回目も同様。その代わり立て続けに1の目が出るということもある。対して従属は商店街のガラガラポンの福引、外れ玉はその都度全て退けていく、外れ玉をガラガラの中に戻してはいけない、つまり、外れの玉が減るたびに次にクジを引く人の大当たり確率は高まる。最後の1個まで大当たりの玉が出なければ最後にクジを引く人の大当たり確率は言わずもがな100%である。
コロナに限らず、感染症はどんなに感染力が強くとも確実に罹患しない人もいるため、計算上はどこまで行っても独立というのが正しい。但し、独立の計算が成り立つのは絶対にうつらない人がいるというのが大前提。
一応、頭の中では分かっちゃいるが、コロナの感染は独立ではなく、いつかは必ず当たってしまう従属なんじゃないかと思ってしまう。
トランプのババ抜きも商店街の福引と同じで、最後は誰かがジョーカーを引いて負けが確定する。
毎日毎日、トランプのババ抜きをやらされている気分だ。本当は違うのだが、茨城県の人口が287万人、コロナの新規感染者が5000人だとすると毎日ランダムに集められた600人でババ抜きをして、たまたま、今日は599人に入り生還したという感覚だ。幸い、なんとか599人に入っていたと安堵すると同時に明日のババ抜きは今日よりも参加者が100人減って、500人での生き残り合戦かと陰鬱な気持ちになる。最後は100人ぐらいのババ抜きか。
いや、別に感染しても殆どが重症化せず、そもそも犯罪じゃない、ジョーカーを引いたと思うこと自体が間違っている、それはもちろん分かっているのだが、連日ここまで大きく報道されていると、罹患者からすればなんとなく法廷で裁かれる被告人の気分になるのではないかと思ってしまう。事実、先日風邪を引いた時もそうだった。陰性が確定するまで、鬱屈した気分でいた。風邪の諸症状よりも気分の落ち込みの方が切実で、このままコロナだったらどうしようかと思った。
知らず知らずのうちにコロナイコール悪と洗脳されてしまっているのだ。
だからといって、コロナイコール悪と洗脳されることが必ずしも悪いことではないというのも事実である。あくまでも俺はですけど、コロナにうつりそうな場所には行かない。花火大会やフェスなど大勢の人が集まるところへは行かない(元々好きじゃないというのもあるが)、出来る限り、引きこもって家にいるを実践。最近は近所の居酒屋にも行っていない。もう一か月近く行っていない。
結果、今のところ、感染しないでいる。
ただ、本当に「今のところ」だ。明日は我が身で、無人島で完全に孤立した生活をしているわけではないので、明日ジョーカーを引いているかもしれない。
だから、ジョーカーじゃないって。
