キンタマ
- 2022/07/21
- 11:44
「人類最大の発明は複利である」
世紀の天才物理学者アルバート・アインシュタインの有名な言葉。
しかし、ちょっと待ってくださいよ、アインシュタインさん、あなたは大事なことを忘れていませんかと、東野幸治ばりの押し気味で、俺は疑義を呈したいのである。
複利が金持ちになったり、貧乏になったりするトリガーポイントであることに異存はないが所詮は人が作った経済の副産物、そんなことよりも俺は「フェラチオこそが人類最大の発明である」と声を大にしていいたい。
だって、よくよく冷静になって考えてもらいたい。皆さんが当たり前のようにやったり、やられたりしているこのフェラチオ、他の動物から見ればアナル(肛門)から飯を食うかのごとく異形、まったく理解が追いつかないはずだ。拙い知識で申し訳ないが、俺は人間以外でフェラチオをする動物を知らない。そのぐらい驚天動地のコペルニクス的な大発明にも関わらず、フェラチオに関する評価は存外低く、教科書で学ぶこともなければNHKのクローズアップ現代で特集されることもない。
だからこそ、今一度、フェラチオについて真剣に考える時期に来ているのではないかと思い、今回、思い切って記事を書いたのである。
それなのに、お気づきのとおり、表題は「キンタマ」、どこか矛盾していませんかと。
一般的にフェラチオといえば、亀頭から竿の根本までを舐め回す行為をフェラチオという。
確かに間違いではない、むしろ正しい、しかし、俺から言わすと不完全燃焼なのである。
亀頭や竿を舐め回し、ペニスが固くなるとなし崩し的に挿入というのが性交の流れであるが、あなた、なにか大事なことを忘れていませんかと俺は世の女性たちに強く問いたいのである。
これは求めない男性たちにも問題があるのだが、女性の多くはキンタマを蔑ろにし過ぎである。緩急をつけ、亀頭や竿を上手に舐め回す女性は多い。売れっ子のソープ嬢であると出来て当たり前、まったく風俗やAVとは無縁の素人女性であっても彼氏や旦那に仕込まれて上手に竿舐め、亀頭舐めをこなす女性もそれなりに存在する。
だが、自発的にキンタマを責めてくる女性は意外なほど少ない。
「フェラチオは頼むものではなく、させるもの」、とある作家のけだし名言であるが、さらに付け加えると、「タマ舐めは頼むものではなく、させるもの」なのである。
仁王立ちでもいいし、あおむけや四つん這いでもいいのだが、男性はもっとキンタマをアピールし、女性もタマ舐めを出来てはじめて一人前、これぞまさしく完成されたフェラチオであると、そう認識すべきだろう。
かつて、土浦桜町で出会ったソープ嬢には感動した。とにかくキンタマの扱いが抜群にうまいのである。子どもがソフトクリームを舐めるようにベロベロと舐め回したかと思えば、片タマを口に含み、タコの吸盤のように吸い付き、口内でキンタマを弄(もてあそ)ぶ。
さすがは名うて名プレイヤーであると、彼女の持つ秘儀の奥深さに感心したと同時に、俺はプロアマを問わず、タマ舐めを無視し続ける多くの女性たちに失望したのであった。
もしかすると、男性諸君の中には言っていることはイチイチごもっともだけど、現実的にタマ舐めをお願いするなんて無理だと思っている人もいるかもしれない。否定はしまい、タマ舐めを願い出た結果、あまりのタマの臭さに辟易して女性から別れを切り出されるということも決して無きにしも非ずだからだ。
実際、フェラチオに至るまでには金を相当遣い、また神経が擦り切れるほど気も遣ったことであろう。それをたった一回のタマ舐めでご破算にするはあまりに忍びなく、言い出したくても言い出せないその忸怩たる気持ちは理解できなくもない。付き合いはじめたばっかりのカップルなら尚更だろう。
或いは熟年のベテラン夫婦にもこれは言えるかもしれない。何十年もキンタマを無視続けてきたのに、なにを今更タマ舐めだ、素直に認められないのはお互いの意地や照れがそこにあるのかもしれない。子どもが成人して孫までいたりすると余計にそうであろう。
でも、21世紀はもう少し冷静且つ謙虚になってキンタマについて考える新世紀にしてもいいのではないのだろうか。虚心坦懐に教師も生徒もキンタマの持つ生殖器としての役割ではなく、もっと官能的な部分でのキンタマの役割を真剣に議論すべきではないのか。
臭いものに蓋をしてオブラートに包むのではなく、真っ向から四つに組んでキンタマと正しく向き合あう、そういう時期に差し掛かっているのような気がしてならないのである。
ちなみに、本記事を電車の中や喫茶店で読んで声を出して吹き出してしまったら俺の勝ちである。
世紀の天才物理学者アルバート・アインシュタインの有名な言葉。
しかし、ちょっと待ってくださいよ、アインシュタインさん、あなたは大事なことを忘れていませんかと、東野幸治ばりの押し気味で、俺は疑義を呈したいのである。
複利が金持ちになったり、貧乏になったりするトリガーポイントであることに異存はないが所詮は人が作った経済の副産物、そんなことよりも俺は「フェラチオこそが人類最大の発明である」と声を大にしていいたい。
だって、よくよく冷静になって考えてもらいたい。皆さんが当たり前のようにやったり、やられたりしているこのフェラチオ、他の動物から見ればアナル(肛門)から飯を食うかのごとく異形、まったく理解が追いつかないはずだ。拙い知識で申し訳ないが、俺は人間以外でフェラチオをする動物を知らない。そのぐらい驚天動地のコペルニクス的な大発明にも関わらず、フェラチオに関する評価は存外低く、教科書で学ぶこともなければNHKのクローズアップ現代で特集されることもない。
だからこそ、今一度、フェラチオについて真剣に考える時期に来ているのではないかと思い、今回、思い切って記事を書いたのである。
それなのに、お気づきのとおり、表題は「キンタマ」、どこか矛盾していませんかと。
一般的にフェラチオといえば、亀頭から竿の根本までを舐め回す行為をフェラチオという。
確かに間違いではない、むしろ正しい、しかし、俺から言わすと不完全燃焼なのである。
亀頭や竿を舐め回し、ペニスが固くなるとなし崩し的に挿入というのが性交の流れであるが、あなた、なにか大事なことを忘れていませんかと俺は世の女性たちに強く問いたいのである。
これは求めない男性たちにも問題があるのだが、女性の多くはキンタマを蔑ろにし過ぎである。緩急をつけ、亀頭や竿を上手に舐め回す女性は多い。売れっ子のソープ嬢であると出来て当たり前、まったく風俗やAVとは無縁の素人女性であっても彼氏や旦那に仕込まれて上手に竿舐め、亀頭舐めをこなす女性もそれなりに存在する。
だが、自発的にキンタマを責めてくる女性は意外なほど少ない。
「フェラチオは頼むものではなく、させるもの」、とある作家のけだし名言であるが、さらに付け加えると、「タマ舐めは頼むものではなく、させるもの」なのである。
仁王立ちでもいいし、あおむけや四つん這いでもいいのだが、男性はもっとキンタマをアピールし、女性もタマ舐めを出来てはじめて一人前、これぞまさしく完成されたフェラチオであると、そう認識すべきだろう。
かつて、土浦桜町で出会ったソープ嬢には感動した。とにかくキンタマの扱いが抜群にうまいのである。子どもがソフトクリームを舐めるようにベロベロと舐め回したかと思えば、片タマを口に含み、タコの吸盤のように吸い付き、口内でキンタマを弄(もてあそ)ぶ。
さすがは名うて名プレイヤーであると、彼女の持つ秘儀の奥深さに感心したと同時に、俺はプロアマを問わず、タマ舐めを無視し続ける多くの女性たちに失望したのであった。
もしかすると、男性諸君の中には言っていることはイチイチごもっともだけど、現実的にタマ舐めをお願いするなんて無理だと思っている人もいるかもしれない。否定はしまい、タマ舐めを願い出た結果、あまりのタマの臭さに辟易して女性から別れを切り出されるということも決して無きにしも非ずだからだ。
実際、フェラチオに至るまでには金を相当遣い、また神経が擦り切れるほど気も遣ったことであろう。それをたった一回のタマ舐めでご破算にするはあまりに忍びなく、言い出したくても言い出せないその忸怩たる気持ちは理解できなくもない。付き合いはじめたばっかりのカップルなら尚更だろう。
或いは熟年のベテラン夫婦にもこれは言えるかもしれない。何十年もキンタマを無視続けてきたのに、なにを今更タマ舐めだ、素直に認められないのはお互いの意地や照れがそこにあるのかもしれない。子どもが成人して孫までいたりすると余計にそうであろう。
でも、21世紀はもう少し冷静且つ謙虚になってキンタマについて考える新世紀にしてもいいのではないのだろうか。虚心坦懐に教師も生徒もキンタマの持つ生殖器としての役割ではなく、もっと官能的な部分でのキンタマの役割を真剣に議論すべきではないのか。
臭いものに蓋をしてオブラートに包むのではなく、真っ向から四つに組んでキンタマと正しく向き合あう、そういう時期に差し掛かっているのような気がしてならないのである。
ちなみに、本記事を電車の中や喫茶店で読んで声を出して吹き出してしまったら俺の勝ちである。