そう思っただけ
- 2022/07/20
- 13:37
たまたま歴史好きなことから以前よりナチスドイツについて勉強をしていた。まあ勉強といっても書籍を読んだり、NHKのドキュメンタリー番組(映像の世紀など)を見る程度の歴史の先生からすると完全に子供だまし程度の稚拙なものではあるのだが。
そこに新型コロナウイルスが襲い、近代以降初めて、今なお続く、地球規模でのパンデミックを世界は経験することになる。かつてペストもコレラも大流行したが五大陸すべてを制覇したわけではなく、死者数の多寡は別にしても北極や南極の住人まで同一の病気に感染したのは後にも先にも新型コロナウイルスが初めてである。
当然、日本も対策を講じたのだが、個人的に思ったのは民主主義が足かせになってはいやしないかということ。また、民主主義の限界ではないのかと。
今更な話であるが、ワクチンが足りないという状況に陥ったとき、政府は民主主義の原則に則り、都道府県へのワクチン配布は人口比率を基準にした。分かりやすく言えば東京と一番人口の少ない鳥取県とでは26倍の差があり、東京に1000本ワクチンを配るのであれば鳥取には39本配るといった極めて民主的な手法を講じた。
しかし、あの時、爆発的な感染をしていたのは東京や大阪、札幌など、大都市である。対して、鳥取は確か、一日の感染者数が数人から数十名程度であったはず、岩手県に至ってはゼロコロナをいつまで継続するかという超低空飛行での感染度合いであった。これが民間企業であれば鳥取は大都市が沈静化するまで完全に無視するはずだ。満遍なく比例数に応じてワクチンを配りましょうという企業経営者がいたとするならその会社の経営基盤は相当危うい。
だからこそ鳥取の県民には申し訳ないが数の論理に従って、もし感染してしまったら後は運を天に任せて頂きたい。もちろん、解熱剤の処方や栄養補給用の点滴は供与するが、それ以上の対策はしない、こうすべきだったはず。
そして、肝心要の東京への往来は食料品や生活必需品、燃料など必要最小限度に留め、神奈川、千葉、埼玉、山梨を結ぶ橋や県境の道路には自衛隊を配して、人の往来を遮断する。当然、都内への通勤・通学の人は会社なり、学校を休んでもらう。無理やり越境しようとするものには容赦なく暴徒を鎮圧するためのゴム弾を発射して、逮捕も辞さない。先日まで行われていたまんま上海の対策と同じである。
いやいや、こんなことはできっこないですよ、日本は民主主義なんだから。
しかし、確かに平時にはそれも結構であるが、パンデミックや争乱が起きると、民主主義の脆さが途端に露呈する。
そもそも、国会議員がコロナ対策を練るというのがおかしいとはいえないだろうか。
国会議員の先生の大半が大卒であっても、その殆どが法学部、経済学部、政治学部など、文系の出身であって、医学を含めた自然科学には疎い人たちばかりだ(それを決して悪いと言っているのではない、あしからず)。
本来なら、医歯薬学に精通した自然科学者が議論して国の方針を決定するはずなのに、文系出身の科学とは一番ほど遠いところにいる人たちが最終判断をする。
もちろん、そのためには政府の分科会があり、専門家会議があるのは分かるのだけれど、決断をするのは文系出身の総理大臣である。良きにしろ悪しきにしろ、尾身会長の意見を代弁しているだけであり、意地悪な言い方をすると尾身会長が判断を間違うとそっくりそのままトレースされて、政府判断を間違うというまさに薄氷を踏むが如しの意思決定である。
政治や経済のことを決めるのであれば現在の国会議員の先生方でいいと思うが、コロナや原発の問題は果たして文系出身の政治家に理解できるのかという疑問がふつふつと湧いてくる。
さらに言うと、先日当選した生稲晃子さんや今井絵理子さん、あの手の元アイドルに国を託すだけの高い知見があるのかというと、非常に疑問だ。事実、生稲さんは忖度なしの鋭いツッコミが売りである池上彰氏の選挙特番への出演を拒否した。今になって、そんなことはない、あれは池上さんのスタンドプレーだと、生稲陣営は抗議文を送付したとのことであるが、それならなんで出演しなかったの、出演をすればバカが露呈するからでしょ。まあある意味賢い選択ではあるが。
また、れいわ新選組では特定枠を利用して意思の疎通が困難な障害者を性懲りもなく今回も国会に送り込んだ。
まともに会話が出来ない人を言論の府に送り込む理由ってなに?
別に障害者を差別するわけではない。国会議員の仕事は障害者の意見を吸い上げて、その障害者の声を代弁することだろ、議論がまともに出来ない人を立候補として立たせる意味がまったくわからない。これが落選した乙武さんであれば別です、彼は弁舌が立ち、頭もキレる(ただシモが多少だらしない)。こういう人であれば障害者の声を生に届けられると思うが、会話が成立しない人を国会議員にするのは絶対に反対。これも民主主義の弊害の一つであると思う。
そもそも、衆議院が突発的に解散をすると、権力は一時的に参議院に移る。これも妄想のあり得ない話であるがその際、戦争や原発事故が起きたりすると議決は参院のみで決定する。口の利けない政治家や科学的な知見はもちろんのこと、政策も経済も疎いパッパラパーなアイドル上がりが国の命運を握ることになる。こういう人に国民の命を託せるのか。
特定枠で障害者の天畠大輔氏を指名しなければ比例はれいわ新選組に投票しようと思っていたが、これじゃさすがにあかんと比例は国民民主党に票を投じた。
見た目の善し悪しであったり、情にほだされてまともに会話も出来ない障害者に票を投じるのも民主主義の良いところである反面、率直にいって害悪だと思っている。
よくヒトラーはオーストリアを併合する1938年で政治家を辞めていればドイツ史上に名を残す名宰相であったというのが今もドイツ国内ではそう信じられている。
ナチスドイツの失敗はホロコーストと無謀な二正面作戦、東はソ連、西はフランス・イギリス・アメリカと諸葛孔明や孫武(孫子の兵法の著者)が見たら泡を吹いて卒倒しそうなほどのアホな作戦を展開したことである。
しかし、ポーランドに侵攻するまでの政策は見習うべき点があると思う。ナチスドイツでも景気回復のためにナチス版のニューディール政策を行ったが、雇用を確保するために極力重機を使わず、手作業でインフラ整備工事を行ったのである。その結果、当時、庶民には高嶺の花であった自動車を庶民が買えるようになった。それが有名なポルシェ博士と共同開発をしたフォルクスワーゲン・ビートルである。今なお、基本的なシルエットは変えることなく、人気の車種である。また、福利厚生として今では当たり前のバカンスもナチスドイツが実質的な始祖と言われている。
今や日本ではナチスドイツの名をあげることすらがもはや禁忌であり、かつて麻生さんが「ナチスドイツの手口を学べ」といって謝罪に追い込まれたことがある。
だが、サラリーマンなら当たり前に徴収されている源泉徴収もナチスドイツの開発であるし、これはまあ確かに問題発言であるが、20世紀に医学が目覚ましく発展したのもナチスが数々の人体実験を行ったからである。癌治療の研究が大幅に進んだのもホロコーストの負の副産物である。
だからといって、民主主義をぶっ潰せといっているのではない。前回の記事に書いた通り、あくまでも俺は、「そう思っている」という話をせっかくだから書いたまで。
これもまた同意を求めるではなく、ただ悪意を垂れ流して悦に入るだけの駄文。次回からは金玉やペニスなどもっと軽い話にしたい。
そこに新型コロナウイルスが襲い、近代以降初めて、今なお続く、地球規模でのパンデミックを世界は経験することになる。かつてペストもコレラも大流行したが五大陸すべてを制覇したわけではなく、死者数の多寡は別にしても北極や南極の住人まで同一の病気に感染したのは後にも先にも新型コロナウイルスが初めてである。
当然、日本も対策を講じたのだが、個人的に思ったのは民主主義が足かせになってはいやしないかということ。また、民主主義の限界ではないのかと。
今更な話であるが、ワクチンが足りないという状況に陥ったとき、政府は民主主義の原則に則り、都道府県へのワクチン配布は人口比率を基準にした。分かりやすく言えば東京と一番人口の少ない鳥取県とでは26倍の差があり、東京に1000本ワクチンを配るのであれば鳥取には39本配るといった極めて民主的な手法を講じた。
しかし、あの時、爆発的な感染をしていたのは東京や大阪、札幌など、大都市である。対して、鳥取は確か、一日の感染者数が数人から数十名程度であったはず、岩手県に至ってはゼロコロナをいつまで継続するかという超低空飛行での感染度合いであった。これが民間企業であれば鳥取は大都市が沈静化するまで完全に無視するはずだ。満遍なく比例数に応じてワクチンを配りましょうという企業経営者がいたとするならその会社の経営基盤は相当危うい。
だからこそ鳥取の県民には申し訳ないが数の論理に従って、もし感染してしまったら後は運を天に任せて頂きたい。もちろん、解熱剤の処方や栄養補給用の点滴は供与するが、それ以上の対策はしない、こうすべきだったはず。
そして、肝心要の東京への往来は食料品や生活必需品、燃料など必要最小限度に留め、神奈川、千葉、埼玉、山梨を結ぶ橋や県境の道路には自衛隊を配して、人の往来を遮断する。当然、都内への通勤・通学の人は会社なり、学校を休んでもらう。無理やり越境しようとするものには容赦なく暴徒を鎮圧するためのゴム弾を発射して、逮捕も辞さない。先日まで行われていたまんま上海の対策と同じである。
いやいや、こんなことはできっこないですよ、日本は民主主義なんだから。
しかし、確かに平時にはそれも結構であるが、パンデミックや争乱が起きると、民主主義の脆さが途端に露呈する。
そもそも、国会議員がコロナ対策を練るというのがおかしいとはいえないだろうか。
国会議員の先生の大半が大卒であっても、その殆どが法学部、経済学部、政治学部など、文系の出身であって、医学を含めた自然科学には疎い人たちばかりだ(それを決して悪いと言っているのではない、あしからず)。
本来なら、医歯薬学に精通した自然科学者が議論して国の方針を決定するはずなのに、文系出身の科学とは一番ほど遠いところにいる人たちが最終判断をする。
もちろん、そのためには政府の分科会があり、専門家会議があるのは分かるのだけれど、決断をするのは文系出身の総理大臣である。良きにしろ悪しきにしろ、尾身会長の意見を代弁しているだけであり、意地悪な言い方をすると尾身会長が判断を間違うとそっくりそのままトレースされて、政府判断を間違うというまさに薄氷を踏むが如しの意思決定である。
政治や経済のことを決めるのであれば現在の国会議員の先生方でいいと思うが、コロナや原発の問題は果たして文系出身の政治家に理解できるのかという疑問がふつふつと湧いてくる。
さらに言うと、先日当選した生稲晃子さんや今井絵理子さん、あの手の元アイドルに国を託すだけの高い知見があるのかというと、非常に疑問だ。事実、生稲さんは忖度なしの鋭いツッコミが売りである池上彰氏の選挙特番への出演を拒否した。今になって、そんなことはない、あれは池上さんのスタンドプレーだと、生稲陣営は抗議文を送付したとのことであるが、それならなんで出演しなかったの、出演をすればバカが露呈するからでしょ。まあある意味賢い選択ではあるが。
また、れいわ新選組では特定枠を利用して意思の疎通が困難な障害者を性懲りもなく今回も国会に送り込んだ。
まともに会話が出来ない人を言論の府に送り込む理由ってなに?
別に障害者を差別するわけではない。国会議員の仕事は障害者の意見を吸い上げて、その障害者の声を代弁することだろ、議論がまともに出来ない人を立候補として立たせる意味がまったくわからない。これが落選した乙武さんであれば別です、彼は弁舌が立ち、頭もキレる(ただシモが多少だらしない)。こういう人であれば障害者の声を生に届けられると思うが、会話が成立しない人を国会議員にするのは絶対に反対。これも民主主義の弊害の一つであると思う。
そもそも、衆議院が突発的に解散をすると、権力は一時的に参議院に移る。これも妄想のあり得ない話であるがその際、戦争や原発事故が起きたりすると議決は参院のみで決定する。口の利けない政治家や科学的な知見はもちろんのこと、政策も経済も疎いパッパラパーなアイドル上がりが国の命運を握ることになる。こういう人に国民の命を託せるのか。
特定枠で障害者の天畠大輔氏を指名しなければ比例はれいわ新選組に投票しようと思っていたが、これじゃさすがにあかんと比例は国民民主党に票を投じた。
見た目の善し悪しであったり、情にほだされてまともに会話も出来ない障害者に票を投じるのも民主主義の良いところである反面、率直にいって害悪だと思っている。
よくヒトラーはオーストリアを併合する1938年で政治家を辞めていればドイツ史上に名を残す名宰相であったというのが今もドイツ国内ではそう信じられている。
ナチスドイツの失敗はホロコーストと無謀な二正面作戦、東はソ連、西はフランス・イギリス・アメリカと諸葛孔明や孫武(孫子の兵法の著者)が見たら泡を吹いて卒倒しそうなほどのアホな作戦を展開したことである。
しかし、ポーランドに侵攻するまでの政策は見習うべき点があると思う。ナチスドイツでも景気回復のためにナチス版のニューディール政策を行ったが、雇用を確保するために極力重機を使わず、手作業でインフラ整備工事を行ったのである。その結果、当時、庶民には高嶺の花であった自動車を庶民が買えるようになった。それが有名なポルシェ博士と共同開発をしたフォルクスワーゲン・ビートルである。今なお、基本的なシルエットは変えることなく、人気の車種である。また、福利厚生として今では当たり前のバカンスもナチスドイツが実質的な始祖と言われている。
今や日本ではナチスドイツの名をあげることすらがもはや禁忌であり、かつて麻生さんが「ナチスドイツの手口を学べ」といって謝罪に追い込まれたことがある。
だが、サラリーマンなら当たり前に徴収されている源泉徴収もナチスドイツの開発であるし、これはまあ確かに問題発言であるが、20世紀に医学が目覚ましく発展したのもナチスが数々の人体実験を行ったからである。癌治療の研究が大幅に進んだのもホロコーストの負の副産物である。
だからといって、民主主義をぶっ潰せといっているのではない。前回の記事に書いた通り、あくまでも俺は、「そう思っている」という話をせっかくだから書いたまで。
これもまた同意を求めるではなく、ただ悪意を垂れ流して悦に入るだけの駄文。次回からは金玉やペニスなどもっと軽い話にしたい。