無能は無能だと自覚しろ
- 2022/06/19
- 21:25
参院選の舌戦が始まり、各党とも争点はカネについて。
そのカネも防衛費を10兆円増やすという話から手持ちの現金が数百円しかないという貧困問題までまさに百花繚乱。
ただ、貧困問題に限って言うと単純に稼げないお前が無能なだけだろうと思うのです。
じゃあ、お前はどうなんだと仰られるでしょうが、俺は紛れもなく無能、しかも単なる無能と違い、前科まである。銀行で金を借りようとすると、未だに県警に事件の顛末を照会されたりする、はあ・・・。
だが、無能ではあるが、 無能に絶望もしなければ、無能を諦めてもいない、ここが他の無能と大きく異なるところ。逆襲のシャアのアムロレイみたいですが。
ちなみに、先週まで結構忙しく、ゴールデンウイーク以降、ほぼ休みがなかったですけども、それも先週末に納品をして、とりあえず、ここで一旦打ち止めかと思っていると、少し前に商談をした企業さんから制作を依頼したいというご連絡、来週以降もまた忙しくなる。そんなこんなでまあ死なない程度にはおもしろおかしく生きている。
つまり無能を自覚したうえで、無能ならばどう生きればよいのかというのを常々考えている。
弟は子供のころから勉強ができた、中学校では常に1番か2番、俺と違い、進学高を経て一流大学を卒業、そのまま上場企業に就職をして今はアメリカに単身赴任中、役職は四十代で部長だそうだ。 コイツは普段から億の金を動かしている。もちろん、言うまでもなく会社の金だ。
対して俺はというと、数十万円からせいぜい百万円程度の金。平均すると20万円程度だ。でもいいの、月に数件契約が取れれば一流大卒者のエリートサラリーマンと同じぐらいの収入はなるから(といっても役員報酬なので会社に金が貯まるだけで俺の収入は同じですが)。
学歴を含め、金銭の多寡でも弟に完敗だ。逆立ちしても敵わない。だが、負け惜しみでもなんでもなく、まったく悔しいとは思わない。
そう、生きるフィールドがハナから奴とは違うのだ。有能な奴はそういう場所で才能を切り売りするのが天命、片や俺みたいな無能は身の丈にあったフィールドで地べた這いつくばって銭を拾い集めるのが天命。
戦前とは違い、出自で一生が決まってしまうということはほぼほぼない。なかには家が荒み過ぎてヤクザになるしかなかったという人もいるかもしれないが、それだって、じゃあ荒んだ家の子は全員ヤクザになるのかといえばそんなことはなく、まともな人も多い。
厳しい言い方をすると、結局は自分次第なのだ。
あえて使わせてもらうが、いわゆる負け組、この手の人達って無能を自覚すると同時に諦めちゃっているのではないかと思う。
今の時代、人気ユーチューバーや人気インスタグラマーにならずとも月に数万から10万円程度の金を増やすぐらいなら割りと造作もない。こんなことを書くとすぐにアフィリエイトだとか、ウーバーイーツだとかと言い出す短絡的な人もいようが、そうではなく、例えば犬が好きなら、簡単なホームページを作って、犬の散歩代行しますとか、旅行中もワンちゃんのお世話をします、お世話の様子はテレビ電話で送信しますとかね、やればすぐに数千円は入ってくるだろう。墓参りが出来ない人のためにお墓の周りの草むしりをして、お線香をあげますとか、安否確認を含め、独居老人の話し相手になりますとかさ、自分の出来ることってあるでしょうってこと。
別に今の仕事を辞めんでもこういう便利屋みたいなことなら出来るんじゃないのか。俺が3週間に1度の割合で依頼している家事代行サービスの部屋掃除、いつも予約一杯だぞ。
つまり、勤務先がブラックだ、給料が安いとなじる前にもう少しやれることがあるんじゃねぇのか。
ついこないだも全財産が財布の中の300円という若者の特集をテレビで見たが、正直アホかと。そこまで金がなくなる前にいったいあんたなにしてたのと言いたい、また、こういう奴ほど、政治が悪い、竹中平蔵が悪いと言い出すから頭が痛くなる。
俺自身、別に無能を恥だなどと思っちゃいない。競馬で負けると、なんでこんな駄馬選んじまったかのかなぁ、俺はダメだ、ダメだ、ダメだと自分を全否定されたような気にはなるものの、生活も人生も懸けてまで馬券を買っておらず、5万円も負ければ痛いは痛いが、かと言って明日の飯代に事欠くということもない。良くも悪くもそこまで、ひりつくような勝負とは違う。夕飯を食うと割りとケロっと忘れてしまう。
別に中卒だろうが、高卒だろうが、金を稼ぐというだけであればさほど関係ない。官公庁や上場企業での出世は絶望的だが、純粋に金を稼ぎたいのであれば学歴など殆ど関係ない。ウチに来てくれている家政婦さん、彼女の学歴などまったく知らないし、別に学歴で選ぶ仕事じゃない。俺ががさつなぶん、丁寧にお掃除をしてくれればそれでいいのだ。
例えば家が貧乏で大学に行けなかったという人がいる。
それは仕方ないでしょうって。いくら嘆いてももう十代は終わっちゃったんだもん。そんなに勉強がしたけりゃ社会人入試で大学目指せばいいじゃないか、でも、それは嫌というか、金もないし、今更感があって出来ないんだろ。じゃあ、受け入れるしかねぇだろうよ。
受け入れたうえで、あとはどう上手に立ち回るかってことだと思うのですが、違うのでしょうか。
そのカネも防衛費を10兆円増やすという話から手持ちの現金が数百円しかないという貧困問題までまさに百花繚乱。
ただ、貧困問題に限って言うと単純に稼げないお前が無能なだけだろうと思うのです。
じゃあ、お前はどうなんだと仰られるでしょうが、俺は紛れもなく無能、しかも単なる無能と違い、前科まである。銀行で金を借りようとすると、未だに県警に事件の顛末を照会されたりする、はあ・・・。
だが、無能ではあるが、 無能に絶望もしなければ、無能を諦めてもいない、ここが他の無能と大きく異なるところ。逆襲のシャアのアムロレイみたいですが。
ちなみに、先週まで結構忙しく、ゴールデンウイーク以降、ほぼ休みがなかったですけども、それも先週末に納品をして、とりあえず、ここで一旦打ち止めかと思っていると、少し前に商談をした企業さんから制作を依頼したいというご連絡、来週以降もまた忙しくなる。そんなこんなでまあ死なない程度にはおもしろおかしく生きている。
つまり無能を自覚したうえで、無能ならばどう生きればよいのかというのを常々考えている。
弟は子供のころから勉強ができた、中学校では常に1番か2番、俺と違い、進学高を経て一流大学を卒業、そのまま上場企業に就職をして今はアメリカに単身赴任中、役職は四十代で部長だそうだ。 コイツは普段から億の金を動かしている。もちろん、言うまでもなく会社の金だ。
対して俺はというと、数十万円からせいぜい百万円程度の金。平均すると20万円程度だ。でもいいの、月に数件契約が取れれば一流大卒者のエリートサラリーマンと同じぐらいの収入はなるから(といっても役員報酬なので会社に金が貯まるだけで俺の収入は同じですが)。
学歴を含め、金銭の多寡でも弟に完敗だ。逆立ちしても敵わない。だが、負け惜しみでもなんでもなく、まったく悔しいとは思わない。
そう、生きるフィールドがハナから奴とは違うのだ。有能な奴はそういう場所で才能を切り売りするのが天命、片や俺みたいな無能は身の丈にあったフィールドで地べた這いつくばって銭を拾い集めるのが天命。
戦前とは違い、出自で一生が決まってしまうということはほぼほぼない。なかには家が荒み過ぎてヤクザになるしかなかったという人もいるかもしれないが、それだって、じゃあ荒んだ家の子は全員ヤクザになるのかといえばそんなことはなく、まともな人も多い。
厳しい言い方をすると、結局は自分次第なのだ。
あえて使わせてもらうが、いわゆる負け組、この手の人達って無能を自覚すると同時に諦めちゃっているのではないかと思う。
今の時代、人気ユーチューバーや人気インスタグラマーにならずとも月に数万から10万円程度の金を増やすぐらいなら割りと造作もない。こんなことを書くとすぐにアフィリエイトだとか、ウーバーイーツだとかと言い出す短絡的な人もいようが、そうではなく、例えば犬が好きなら、簡単なホームページを作って、犬の散歩代行しますとか、旅行中もワンちゃんのお世話をします、お世話の様子はテレビ電話で送信しますとかね、やればすぐに数千円は入ってくるだろう。墓参りが出来ない人のためにお墓の周りの草むしりをして、お線香をあげますとか、安否確認を含め、独居老人の話し相手になりますとかさ、自分の出来ることってあるでしょうってこと。
別に今の仕事を辞めんでもこういう便利屋みたいなことなら出来るんじゃないのか。俺が3週間に1度の割合で依頼している家事代行サービスの部屋掃除、いつも予約一杯だぞ。
つまり、勤務先がブラックだ、給料が安いとなじる前にもう少しやれることがあるんじゃねぇのか。
ついこないだも全財産が財布の中の300円という若者の特集をテレビで見たが、正直アホかと。そこまで金がなくなる前にいったいあんたなにしてたのと言いたい、また、こういう奴ほど、政治が悪い、竹中平蔵が悪いと言い出すから頭が痛くなる。
俺自身、別に無能を恥だなどと思っちゃいない。競馬で負けると、なんでこんな駄馬選んじまったかのかなぁ、俺はダメだ、ダメだ、ダメだと自分を全否定されたような気にはなるものの、生活も人生も懸けてまで馬券を買っておらず、5万円も負ければ痛いは痛いが、かと言って明日の飯代に事欠くということもない。良くも悪くもそこまで、ひりつくような勝負とは違う。夕飯を食うと割りとケロっと忘れてしまう。
別に中卒だろうが、高卒だろうが、金を稼ぐというだけであればさほど関係ない。官公庁や上場企業での出世は絶望的だが、純粋に金を稼ぎたいのであれば学歴など殆ど関係ない。ウチに来てくれている家政婦さん、彼女の学歴などまったく知らないし、別に学歴で選ぶ仕事じゃない。俺ががさつなぶん、丁寧にお掃除をしてくれればそれでいいのだ。
例えば家が貧乏で大学に行けなかったという人がいる。
それは仕方ないでしょうって。いくら嘆いてももう十代は終わっちゃったんだもん。そんなに勉強がしたけりゃ社会人入試で大学目指せばいいじゃないか、でも、それは嫌というか、金もないし、今更感があって出来ないんだろ。じゃあ、受け入れるしかねぇだろうよ。
受け入れたうえで、あとはどう上手に立ち回るかってことだと思うのですが、違うのでしょうか。