前回のちょっと続き
- 2022/05/28
- 17:08
物価とは基本的に下がり続けるものではないのかと思う。もちろん、あくまでも基本的な話。
日本の大衆車といえばトヨタカローラ。
30年前のカローラの値段は138万円、対して現在のカローラは252万円、30年で凡そ110万円値上がりした計算である。
しかし、これだって考えようによっては値下がりしているのではないかと思うのだ。いよいよ、覆面の奴、気が触れたかと思うのはちょっと待って欲しい。そもそも俺は元から気が触れている。
よく、日本は格差社会だという。
だが、この格差社会に異を唱えたのが東大を首席卒業した新進気鋭の経済学者である成田悠輔氏。彼は全然格差社会なんかじゃないという。
例えば資産1億円の富裕層と呼ばれる金持ちがいる、他方、貯蓄ゼロ、年収300万円以下の低所得者がいる。一見すると格差が広がっているような気もするが、格差社会を定義するのであれば全然そのレンジのふり幅が小さすぎるというのだ。
つまり、資産1億円の富裕層と呼ばれる人も本来はもしかすると、本当の資産価値は5億円、10億円かもしれないが、格差が広がっていないため、1億円に抑え付けられてしまっているというのだ。
他方、年収300万円の低額所得者であっても、日本には生活保護制度があるため、それ以上に下がりようがなく、結局、世界的なマクロ的な視野で見ると、中国やタイ、シンガポールのように年収数千円の人がいる一方、年収10億円の人がいるのが本来の格差社会であるはずなのに、日本は極めてふり幅の狭いレンジに収まっているため、格差社会なんかじゃないというのである。
これって目から鱗だと思うのだがどうだろうか。
同様にカローラも、スペックの問題もあるため、単純に比較は出来ないが、今、252万円で販売しているカローラも、30年前であれば400万円で販売しなければペイ出来ないクルマであったかもしれない。それが技術革新が進み、252万円で売れるようになった、絶対的な価格は確かに252万円であるけれど、相対的な値段で言えば150万円も値下がりをしていると言えなくもない。
もちろん、30年前にハイブリッド車はなく、今のカローラはハイブリッド車であるから、当時のカローラとはまったく別物の比較であるともいえなくもないが、それでも一応の比較としていうのであれば純粋に本来高額なものであっても技術革新によって値段は下がっているということが言えるんじゃなかろうかと思うのです。
ただ、格差社会と同じく、じゃあカローラを本来あるべき値段の400万円で販売しようとすると、よほどのカローラマニアでもない限り、わざわざ大金を払ってカローラを購入しようとはしないため、相対的な値下げを続けるしかないと思う。
だから、次のカローラがいつ発表されるかは分からないが、恐らく次の12代目カローラが発表され値段が300万円になったとしても、日本は格差の少ないデフレ社会であるからこの300万円はむしろ安すぎと思うのが経済的な視野で言えば正解だと思う。
これに対して、エルメスやロレックスなんかは大したものだと思う。
純粋な物として価値だけでいえばエルメスのバーキンだって、ロレックスのデイトナだって、職人の人件費と原材料費の高騰を加味しても、まあせいぜい20万円ってところだと思う。それを100万円や200万円で販売している。なのに値崩れを起こさない。
経済の入り口って中学校の公民の授業で習う需要と供給のバランスが大原則だと思う。確かに需要と供給は切っても切れないものであり、禍福は糾える縄の如しの喩えと同じで表裏一体であると思う。
でも、それほど簡単ではないのは25年間、デフレを脱却できない東大、京大卒のエリート官僚や政治家たちが一番よく分かっていると思う。
事実、先のイエール大学助教授の成田悠輔博士も、明確なデフレ脱却の方法を提示しているわけではなく、唯一の手段が老害たちすべてに自殺させて、新陳代謝を図るか、若者はどこかの県を乗っ取ってそこで新たな独立国を作れと、冗談だか本気だかよく分からないことを提唱している。それぐらい難しいのだ。
これに対して自分なんか江戸時代の士農工商制度と同じく、与えられた目の前の仕事を訥々とこなして、今日は巨人が勝ったから気分がいい、パチンコで2万円負けて悔しいといっているぐらいでちょうどいいと思うのです。難しく考えたってなにも変わらんし。
日本の大衆車といえばトヨタカローラ。
30年前のカローラの値段は138万円、対して現在のカローラは252万円、30年で凡そ110万円値上がりした計算である。
しかし、これだって考えようによっては値下がりしているのではないかと思うのだ。いよいよ、覆面の奴、気が触れたかと思うのはちょっと待って欲しい。そもそも俺は元から気が触れている。
よく、日本は格差社会だという。
だが、この格差社会に異を唱えたのが東大を首席卒業した新進気鋭の経済学者である成田悠輔氏。彼は全然格差社会なんかじゃないという。
例えば資産1億円の富裕層と呼ばれる金持ちがいる、他方、貯蓄ゼロ、年収300万円以下の低所得者がいる。一見すると格差が広がっているような気もするが、格差社会を定義するのであれば全然そのレンジのふり幅が小さすぎるというのだ。
つまり、資産1億円の富裕層と呼ばれる人も本来はもしかすると、本当の資産価値は5億円、10億円かもしれないが、格差が広がっていないため、1億円に抑え付けられてしまっているというのだ。
他方、年収300万円の低額所得者であっても、日本には生活保護制度があるため、それ以上に下がりようがなく、結局、世界的なマクロ的な視野で見ると、中国やタイ、シンガポールのように年収数千円の人がいる一方、年収10億円の人がいるのが本来の格差社会であるはずなのに、日本は極めてふり幅の狭いレンジに収まっているため、格差社会なんかじゃないというのである。
これって目から鱗だと思うのだがどうだろうか。
同様にカローラも、スペックの問題もあるため、単純に比較は出来ないが、今、252万円で販売しているカローラも、30年前であれば400万円で販売しなければペイ出来ないクルマであったかもしれない。それが技術革新が進み、252万円で売れるようになった、絶対的な価格は確かに252万円であるけれど、相対的な値段で言えば150万円も値下がりをしていると言えなくもない。
もちろん、30年前にハイブリッド車はなく、今のカローラはハイブリッド車であるから、当時のカローラとはまったく別物の比較であるともいえなくもないが、それでも一応の比較としていうのであれば純粋に本来高額なものであっても技術革新によって値段は下がっているということが言えるんじゃなかろうかと思うのです。
ただ、格差社会と同じく、じゃあカローラを本来あるべき値段の400万円で販売しようとすると、よほどのカローラマニアでもない限り、わざわざ大金を払ってカローラを購入しようとはしないため、相対的な値下げを続けるしかないと思う。
だから、次のカローラがいつ発表されるかは分からないが、恐らく次の12代目カローラが発表され値段が300万円になったとしても、日本は格差の少ないデフレ社会であるからこの300万円はむしろ安すぎと思うのが経済的な視野で言えば正解だと思う。
これに対して、エルメスやロレックスなんかは大したものだと思う。
純粋な物として価値だけでいえばエルメスのバーキンだって、ロレックスのデイトナだって、職人の人件費と原材料費の高騰を加味しても、まあせいぜい20万円ってところだと思う。それを100万円や200万円で販売している。なのに値崩れを起こさない。
経済の入り口って中学校の公民の授業で習う需要と供給のバランスが大原則だと思う。確かに需要と供給は切っても切れないものであり、禍福は糾える縄の如しの喩えと同じで表裏一体であると思う。
でも、それほど簡単ではないのは25年間、デフレを脱却できない東大、京大卒のエリート官僚や政治家たちが一番よく分かっていると思う。
事実、先のイエール大学助教授の成田悠輔博士も、明確なデフレ脱却の方法を提示しているわけではなく、唯一の手段が老害たちすべてに自殺させて、新陳代謝を図るか、若者はどこかの県を乗っ取ってそこで新たな独立国を作れと、冗談だか本気だかよく分からないことを提唱している。それぐらい難しいのだ。
これに対して自分なんか江戸時代の士農工商制度と同じく、与えられた目の前の仕事を訥々とこなして、今日は巨人が勝ったから気分がいい、パチンコで2万円負けて悔しいといっているぐらいでちょうどいいと思うのです。難しく考えたってなにも変わらんし。