一考察
- 2022/05/05
- 19:27
俳優の渡辺裕之さんがお亡くなりになられた。
茨城県民であれば水戸市出身の俳優さんとして馴染み深く、3年前の茨城国体の開会式でもストーリーテラーとして花を添えた。
まだ、事故か自殺か判然とはしておらず、軽々なことは言えないが、仮に自殺であればそこは本人の意志を尊重すべきであると思うのだ。
報道によると、数年前投資詐欺にあい、1億円の負債を負ったという。その1億円と今回の縊死(いし)が直接結びつくのかどうかは分からないが、いずれにしても他人がどうこうできる問題はない以上、渡辺さんが起こした行動を正当化してあげないと彼は浮かばれないと思う。
人間という生き物は放っておいてもいずれ確実に死ぬ、今のところ致死率100%だ。これから先、科学の力で不老不死の薬が開発されるのかどうかは分からないが、絶大な権勢を誇った秦の始皇帝も、邪馬台国の卑弥呼も、ついぞ不老不死の薬は見つけられず、絶命している。この世に生を受けた瞬間から人は死に向かって歩き出す。これは抗えない事実だ。
だからこそ、己の信念でその歩みを止めたっていいじゃないかと思うのだ。
はた目から見れば羨むような存在であっても、当事者には受け入れがたい辛苦の影に怯えているのかもしれない。その辛苦の影から唯一逃げ出せる方法が自死であるならそれもまた人生の一つだと思う。
もちろん、自殺を肯定しているのではない。自殺などしないで済むならしない方がいいに決まっている。でも、自殺はいけないことだと思い止まらせることが出来るのは金銭であったり、病苦であったり、その人の苦痛を消し去ってくれる人だけだ。
3年前、立て続けに芸能人の自殺が起きた。
特に竹内結子さんの自殺はショッキングであった。引く手あまたの人気芸能人、私生活でも再婚し、子どもが生まれたばかり、容姿端麗なその姿に男女を問わず魅了された人も多いことだろう、しかし、理由は分からぬが本人には生きるよりも死を選ぶだけの何かがあったのだ。
それは尊重しましょうといっている。
ふざけんなという人に言いたいのは、じゃあ、どうせいと?
すべての面において劣っている俺みたいなパー太郎がどうやって竹内さんのような才能にも容姿にも恵まれている人を止められるというのだ。
そりゃあ、目の前で飛び降りようとしていれば止めるさ。
しかし、そんなものはほんの一時しのぎであり、365日24時間一緒にいることは出来ないのだからまたいつか死のうとするかもしれない。じゃあ、精神病院に入院させ、ベッドに縛り付けて点滴だけを注入していればいいのか。確かに、そこまですれば少なくとも入院している間は死ねない。手足をがんじがらめに縛られ、口には舌を噛み切らないようにタオルが入れられている。栄養は注入されているから死ねず、強制的に生かされる。
でも、これって人に対する尊厳もなにもあったものではないだろう。
いつも言うように、成人した大人に関しては生きるも死ぬも自由にすべきであり、自殺も一つの「生き方」として考えるべきだ。
茨城県民であれば水戸市出身の俳優さんとして馴染み深く、3年前の茨城国体の開会式でもストーリーテラーとして花を添えた。
まだ、事故か自殺か判然とはしておらず、軽々なことは言えないが、仮に自殺であればそこは本人の意志を尊重すべきであると思うのだ。
報道によると、数年前投資詐欺にあい、1億円の負債を負ったという。その1億円と今回の縊死(いし)が直接結びつくのかどうかは分からないが、いずれにしても他人がどうこうできる問題はない以上、渡辺さんが起こした行動を正当化してあげないと彼は浮かばれないと思う。
人間という生き物は放っておいてもいずれ確実に死ぬ、今のところ致死率100%だ。これから先、科学の力で不老不死の薬が開発されるのかどうかは分からないが、絶大な権勢を誇った秦の始皇帝も、邪馬台国の卑弥呼も、ついぞ不老不死の薬は見つけられず、絶命している。この世に生を受けた瞬間から人は死に向かって歩き出す。これは抗えない事実だ。
だからこそ、己の信念でその歩みを止めたっていいじゃないかと思うのだ。
はた目から見れば羨むような存在であっても、当事者には受け入れがたい辛苦の影に怯えているのかもしれない。その辛苦の影から唯一逃げ出せる方法が自死であるならそれもまた人生の一つだと思う。
もちろん、自殺を肯定しているのではない。自殺などしないで済むならしない方がいいに決まっている。でも、自殺はいけないことだと思い止まらせることが出来るのは金銭であったり、病苦であったり、その人の苦痛を消し去ってくれる人だけだ。
3年前、立て続けに芸能人の自殺が起きた。
特に竹内結子さんの自殺はショッキングであった。引く手あまたの人気芸能人、私生活でも再婚し、子どもが生まれたばかり、容姿端麗なその姿に男女を問わず魅了された人も多いことだろう、しかし、理由は分からぬが本人には生きるよりも死を選ぶだけの何かがあったのだ。
それは尊重しましょうといっている。
ふざけんなという人に言いたいのは、じゃあ、どうせいと?
すべての面において劣っている俺みたいなパー太郎がどうやって竹内さんのような才能にも容姿にも恵まれている人を止められるというのだ。
そりゃあ、目の前で飛び降りようとしていれば止めるさ。
しかし、そんなものはほんの一時しのぎであり、365日24時間一緒にいることは出来ないのだからまたいつか死のうとするかもしれない。じゃあ、精神病院に入院させ、ベッドに縛り付けて点滴だけを注入していればいいのか。確かに、そこまですれば少なくとも入院している間は死ねない。手足をがんじがらめに縛られ、口には舌を噛み切らないようにタオルが入れられている。栄養は注入されているから死ねず、強制的に生かされる。
でも、これって人に対する尊厳もなにもあったものではないだろう。
いつも言うように、成人した大人に関しては生きるも死ぬも自由にすべきであり、自殺も一つの「生き方」として考えるべきだ。