なんとかしないとね
- 2021/12/17
- 11:36
ネットニュースの記事ゆえ、『作文』の可能性も否定できない、それを踏まえた話だが、母子家庭に暮らす中学生の女の子、中学校入学のとき、文具を百均で集めて揃えたという。
その百均文具をクラスメイトにいじられ、彼女は以後、登校拒否の引きこもりになってしまった。百均文具をいじられるということは遠回しに貧乏と言われたようでひどく心に刺さったとのことだ。
正直、子供ってある意味大人より残酷だからこの手の話は多少話を盛っていたとしてもまんざら嘘ではないだろうなと思ってしまう。
これが大人なら平気というか、割りとどうでもいい。
俺の場合、商売柄、取り引き先の社長さんや銀行、保険会社から社名の入ったボールペンなどを頂くことがあり、書き心地がよければなんの気兼ねもなく普通に使う。無料なので百均以下だ。それに対して恥ずかしいと思ったことはない、というか、この記事を読むまで文具の値段の多寡で羞恥心など特段意識すらしなかった。まあ、書き味は頂いたものを含めて重視していますが。
考えて見ると、小中高というのは物に対するエリート意識みたいなものが確実に存在する。
俺が子供の頃、40年近く前の話だ。
ジャージやジャンパー、靴などにアディダスやプーマのマークが入っていることが子供ながらにステータスであった。
今になっては別にアディダスのジャージを着ていたからといって足が速くなるわけでもないので、ジャージなんて別になんだっていいだろうという思いしかないのだが、オマージュといっていいのか、インスパイアといっていいのか分からないが、当時、明らかにアディダスやプーマを意識した模倣品が存在した。
パッと見というか、パッと見なくても明らかに違うのだが、当時アディダスを模したアディオスという模倣品があった。本家本元のロゴマークが月桂樹の冠をモチーフにした三つ葉マークであったが、模倣品もご丁寧にも三つ葉のマーク、ただ、アディダスの三本線がアディオスでは四本だったか、よく覚えていないがとにかく違うのだ。
おふくろが単に安いからという理由だけでそのアディオスのジャンパーを買ってきてしまい、仕方なく、それを着ていくと上級生にいじられる。これが嫌で嫌で・・・。アディオスがどうのこうのというより、いじられるのが嫌だった。俺の通っていた小学校は集団登校のため、近所の上級生と一緒に登校するしかなく、どんなにわんぱく坊主であっても小学生の1年の差は大きく、上級生との体力には雲泥の差があり、喧嘩したって負けしまう。


今ならむしろネタとして美味しい。実際アディダスを模したアジダス(三つ葉が魚のアジ)だったり、PUMAならぬKUMAという熊がトレードマークの偽ブランド品もあるが、当時はひどくバカにされた気になった。装いにガキの頃からやたらとこだわりのある弟などはこんな偽物、絶対に着ていかないと泣いて騒ぐ始末だった(俺は親父にぶん殴られるのが嫌だというのと単純に寒い思いをしたくないので着ていった)。
一応、うちは金持ちでもない代わりに別に貧困家庭ではないので、アディオス(!)のジャンパーを着ていたところで貧乏をなじられることもなかったが、裏を返せば、貧困家庭の子でもないのにも限られず、偽物のジャンパーを着ているだけでひどく惨めな気持ちになるのだ、これが貧困とリンクしていたら当時の俺たち兄弟はもっとささくれていたと思う。
社交界にデビューするような上級国民は別にして、平民であると正直なところ、着るものや文具など、イチイチあれこれ思ったりしない。必要なのはその人に似合っているかどうかと、清潔感があるかどうかだけ。俺の飲み友達に水戸でも有数のご令嬢おばさんがいる、彼女が使っているバッグはヴィトンのモノグラムを模した偽物バッグだ。
皆、彼女が金持ちなのを知っているのでヴィトンモドキのバッグを使っていたってなんとも思わない。俺を含め、飲み屋に集う住人全員が彼女の資産には逆立ちしたって敵わない。そもそもなんでそんなセレブがこんな場末の居酒屋に来るんだよという話でもありますが・・・。
いずれにしても子供の貧困問題ってなんとかしなくてはならんと思う。この百均文具だけじゃなく、炊き出しに並んだり、こども食堂を利用していたりするともしかしてそれをなじられることがあるかもしれない。
民間の共助ももちろん大事ですが、国が自治体がひとりも取り残さないという強い決意で貧困問題と取り組まないと、優秀な人材を潰してしまうことにもなりかねないのでなんとかしようぜと思うのです。
その百均文具をクラスメイトにいじられ、彼女は以後、登校拒否の引きこもりになってしまった。百均文具をいじられるということは遠回しに貧乏と言われたようでひどく心に刺さったとのことだ。
正直、子供ってある意味大人より残酷だからこの手の話は多少話を盛っていたとしてもまんざら嘘ではないだろうなと思ってしまう。
これが大人なら平気というか、割りとどうでもいい。
俺の場合、商売柄、取り引き先の社長さんや銀行、保険会社から社名の入ったボールペンなどを頂くことがあり、書き心地がよければなんの気兼ねもなく普通に使う。無料なので百均以下だ。それに対して恥ずかしいと思ったことはない、というか、この記事を読むまで文具の値段の多寡で羞恥心など特段意識すらしなかった。まあ、書き味は頂いたものを含めて重視していますが。
考えて見ると、小中高というのは物に対するエリート意識みたいなものが確実に存在する。
俺が子供の頃、40年近く前の話だ。
ジャージやジャンパー、靴などにアディダスやプーマのマークが入っていることが子供ながらにステータスであった。
今になっては別にアディダスのジャージを着ていたからといって足が速くなるわけでもないので、ジャージなんて別になんだっていいだろうという思いしかないのだが、オマージュといっていいのか、インスパイアといっていいのか分からないが、当時、明らかにアディダスやプーマを意識した模倣品が存在した。
パッと見というか、パッと見なくても明らかに違うのだが、当時アディダスを模したアディオスという模倣品があった。本家本元のロゴマークが月桂樹の冠をモチーフにした三つ葉マークであったが、模倣品もご丁寧にも三つ葉のマーク、ただ、アディダスの三本線がアディオスでは四本だったか、よく覚えていないがとにかく違うのだ。
おふくろが単に安いからという理由だけでそのアディオスのジャンパーを買ってきてしまい、仕方なく、それを着ていくと上級生にいじられる。これが嫌で嫌で・・・。アディオスがどうのこうのというより、いじられるのが嫌だった。俺の通っていた小学校は集団登校のため、近所の上級生と一緒に登校するしかなく、どんなにわんぱく坊主であっても小学生の1年の差は大きく、上級生との体力には雲泥の差があり、喧嘩したって負けしまう。


今ならむしろネタとして美味しい。実際アディダスを模したアジダス(三つ葉が魚のアジ)だったり、PUMAならぬKUMAという熊がトレードマークの偽ブランド品もあるが、当時はひどくバカにされた気になった。装いにガキの頃からやたらとこだわりのある弟などはこんな偽物、絶対に着ていかないと泣いて騒ぐ始末だった(俺は親父にぶん殴られるのが嫌だというのと単純に寒い思いをしたくないので着ていった)。
一応、うちは金持ちでもない代わりに別に貧困家庭ではないので、アディオス(!)のジャンパーを着ていたところで貧乏をなじられることもなかったが、裏を返せば、貧困家庭の子でもないのにも限られず、偽物のジャンパーを着ているだけでひどく惨めな気持ちになるのだ、これが貧困とリンクしていたら当時の俺たち兄弟はもっとささくれていたと思う。
社交界にデビューするような上級国民は別にして、平民であると正直なところ、着るものや文具など、イチイチあれこれ思ったりしない。必要なのはその人に似合っているかどうかと、清潔感があるかどうかだけ。俺の飲み友達に水戸でも有数のご令嬢おばさんがいる、彼女が使っているバッグはヴィトンのモノグラムを模した偽物バッグだ。
皆、彼女が金持ちなのを知っているのでヴィトンモドキのバッグを使っていたってなんとも思わない。俺を含め、飲み屋に集う住人全員が彼女の資産には逆立ちしたって敵わない。そもそもなんでそんなセレブがこんな場末の居酒屋に来るんだよという話でもありますが・・・。
いずれにしても子供の貧困問題ってなんとかしなくてはならんと思う。この百均文具だけじゃなく、炊き出しに並んだり、こども食堂を利用していたりするともしかしてそれをなじられることがあるかもしれない。
民間の共助ももちろん大事ですが、国が自治体がひとりも取り残さないという強い決意で貧困問題と取り組まないと、優秀な人材を潰してしまうことにもなりかねないのでなんとかしようぜと思うのです。