孤独死を考える
- 2021/12/02
- 14:08
コロナ禍以降、漠然と介護について考えていることがある。
ある人と連絡が取れなくなり、安否確認のため、訪問してみると、自宅で亡くなっていた、こういうケースがコロナ禍以降、かなり増えているんじゃないかと思う。かなりというのはもちろん肌感覚であってもしかするとコロナ禍以前とさほど変わりがないかもしれないが。
ただ、老若男女問わず一人暮らしの人がコロナに感染して亡くなったり、或いはコロナ禍によって職を失い、栄養失調症や飢餓で亡くなった人もいれば、遠距離に住んでいる親を事実上の移動制限により、介護をすることが出来ず、気が付いたときには亡くなっていたという場合もあるでしょう。
ここで漠然と考えたというのは、人間以外の動物で介護をする動物って果たしているのだろうかということ。
子育てに関して言うと、哺乳類、鳥類は恐らくだが全種類子育てをする、魚や爬虫類、両生類も一部ではあるが決して卵を産みっぱなしではなく、子育てをする種が存在する。
ちなみにだが猛毒を持つキングコブラのメスは卵に枯葉をかぶせて保温し、巣の周りにとぐろを巻いて孵化するまで卵を保護する。
その他、蜂やアリなどは一つのコロニーの中で役割が与えられ、子育て係の個体が存在する、いわゆる働きアリであり、働き蜂である。
しかし、果たして介護をする動物っているのだろうか。
自身の親であったり、兄弟であったり、群れで生活をする仲間が老衰や病気、ケガで動けなくなったとする、動物なりの感情として、仲間が朽ちていくことへの憐憫や不安という思いは確かにあるのかもしれない。
でも、だからといって水を運んできて飲ませてやったり、餌を細かくかみ砕き、消化しやすいようにして食べさせてやったりということはこれも多分だがしないと思う。
つまりなにが言いたいのかというと、そもそも論として野生の動物というものはすべて孤独死なのである、いやいや猿や狼、ライオンなどはコロニーを作って生活を営み、死ぬときには周りに仲間がいるじゃないかと言われるかもしれないが、いても基本ほったらかしなのだ。また、死に行く者も仲間になにも求めないのが不文律のルールであろう。
それゆえ、孤独死については孤独死をする方も孤独死をされた側もあまり悲観的に考える必要はないのではないのかと思う。
ただ、ここで勘違いして欲しくないのは介護職はやはり必要であるし、介護そのものを否定しているのではない。
そうではなく、結果として、孤独死が起きてしまったとしてもそれは自然界ではごくごく当たり前の出来事であるから必要以上に悔やむ必要などないのではなかろうかと。子や孫に囲まれて大団円を迎えられるのであればそれは結構な話であるが、仮に迎えられずともそれは自然界の摂理に照らし合わせて鑑みればなにも珍しいことではないのであまり途方に暮れる必要もないなと思う。
ある人と連絡が取れなくなり、安否確認のため、訪問してみると、自宅で亡くなっていた、こういうケースがコロナ禍以降、かなり増えているんじゃないかと思う。かなりというのはもちろん肌感覚であってもしかするとコロナ禍以前とさほど変わりがないかもしれないが。
ただ、老若男女問わず一人暮らしの人がコロナに感染して亡くなったり、或いはコロナ禍によって職を失い、栄養失調症や飢餓で亡くなった人もいれば、遠距離に住んでいる親を事実上の移動制限により、介護をすることが出来ず、気が付いたときには亡くなっていたという場合もあるでしょう。
ここで漠然と考えたというのは、人間以外の動物で介護をする動物って果たしているのだろうかということ。
子育てに関して言うと、哺乳類、鳥類は恐らくだが全種類子育てをする、魚や爬虫類、両生類も一部ではあるが決して卵を産みっぱなしではなく、子育てをする種が存在する。
ちなみにだが猛毒を持つキングコブラのメスは卵に枯葉をかぶせて保温し、巣の周りにとぐろを巻いて孵化するまで卵を保護する。
その他、蜂やアリなどは一つのコロニーの中で役割が与えられ、子育て係の個体が存在する、いわゆる働きアリであり、働き蜂である。
しかし、果たして介護をする動物っているのだろうか。
自身の親であったり、兄弟であったり、群れで生活をする仲間が老衰や病気、ケガで動けなくなったとする、動物なりの感情として、仲間が朽ちていくことへの憐憫や不安という思いは確かにあるのかもしれない。
でも、だからといって水を運んできて飲ませてやったり、餌を細かくかみ砕き、消化しやすいようにして食べさせてやったりということはこれも多分だがしないと思う。
つまりなにが言いたいのかというと、そもそも論として野生の動物というものはすべて孤独死なのである、いやいや猿や狼、ライオンなどはコロニーを作って生活を営み、死ぬときには周りに仲間がいるじゃないかと言われるかもしれないが、いても基本ほったらかしなのだ。また、死に行く者も仲間になにも求めないのが不文律のルールであろう。
それゆえ、孤独死については孤独死をする方も孤独死をされた側もあまり悲観的に考える必要はないのではないのかと思う。
ただ、ここで勘違いして欲しくないのは介護職はやはり必要であるし、介護そのものを否定しているのではない。
そうではなく、結果として、孤独死が起きてしまったとしてもそれは自然界ではごくごく当たり前の出来事であるから必要以上に悔やむ必要などないのではなかろうかと。子や孫に囲まれて大団円を迎えられるのであればそれは結構な話であるが、仮に迎えられずともそれは自然界の摂理に照らし合わせて鑑みればなにも珍しいことではないのであまり途方に暮れる必要もないなと思う。